日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄文化紀行(Ⅱ-6)名護十字路

2007-04-09 17:50:21 | 沖縄考

名護と聞くと、僕をはじめとする建築家は即座に像設計集団(Team Zoo+アトリエ・モビル)が設計し、1981年に建てられた「名護市庁舎」を思い起こす。
アサギテラスといわれるブーゲンビリアを這わせたパーゴラを配置して遮光や通風に配慮し、沖縄の風土と共生した建築として建築家には知られているが、様々な形をしたシーサーを沢山取り付けたことで、沖縄の人々や観光客に馴染まれているかもしれない。
しかし今回の僕たちが訪ねるのは、名護十字路の近くに立つガジュマルの大木と石碑だ。

この高さが19メートルもあり、樹齢280年から300年と言われるガジュマルは道路の中央に立っていて、車はそこを迂回する。

樹木の前に1750年に建てられた石碑は、当時の琉球王府の名護遷都論議を納めるために蔡温(具志頭親方)がその経緯と遷都反対論を記したものだという。この場所が名護の玄関口になるので、風水の原点「屏風」(ひんぷん)といわれるようになり、このガジュマルも「ひんぷんガジュマル」と呼ばれるようになった。平成9年(1997年)には、国の天然記念物に指定された。
石碑の文言は漢文だ。かすれていて読み取れない。道路の向かい側に市がつくった説明版が設置されていておおよその様子はわかるが、これだけでは遷都論など名護の歴史を捉えることはできない。
でも僕は渡邊教授の説明を聞きながら、此処にも風水の痕跡があり、それを市や国が認めているのだと感慨を覚えた。

さて飯を食おうと名護の中心地「名護十字路」に向かう。ところが人が歩いていない。車も少ない。あちこちの店のシャッターが下りていて閑散としている。食事のできる店がない。今日は街の定休日かと思った。
やっと見つけた「かどや食堂」にはいる。定食のグルクン唐揚げがぱりっとして旨い。刺身も旨い。旨いのだが人が来ない。聞くとこの商店街はシャッター街になってしまったという。
観光客もこの街に来ない。それでもかどや食堂を手伝うこの店のお嬢さんは「がんばります」と微笑んだ。私が頑張らなくてはという。嘗て調査の折何度も名護を訪れた渡邊教授は愕然としている。

名護市は人口58,000名あまり、沖縄本島北部の要に位置する。北へ上ると海洋博公園やその先には備瀬がある。キャンプシュラブを抱えていて沖縄の課題を内在しているが、僕たち旅行者には産業構成が見えてこない。それにしてもシャッター街を歩くのは辛い。

昨年来たときに賑やかだった那覇の国際通りも活気がないと気になった。
店はお土産のシーサーで溢れているがどの店も同じだ。珍しい泡盛もあるが、東京だって買えるではないか。牧志公設市場の2階飲み屋街「マチグワー」はいつものとおりやすくて旨いし、とりわけイカ墨ソーメンには参る。そこだってお客が上ってくるエスカレーターから離れた店は早仕舞いしてしまう。どうしたのだ。

沖縄は観光を選んだ。産業育成に手を抜いたのだろうか。この一年の変化がなぜか気になる。飛行機は満席なのに!
同行の学生諸君を案内したJAZZのライブハウス「寓話」も満席。僕と肩を叩き合ったピアニスト屋良さんは相変わらず元気で、見事なリズム感とリリカルなタッチで僕たちを夢中にさせてくれたのだけど・・・



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