日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

胸を打つこの想いは何時までも!

2018-04-29 21:17:42 | 沖縄考

沖縄の若き(僕より弐回りほど…)建築家・盟友ともいえる根路銘安史が、建築の講習会受講の為に來都(東京)した。若きなどと記すと苦笑されそうだが、彼の主導によって数多くの人々を巻き込み、例年2月に行われてきた聖クララ教会(沖縄県与那原町)でのコンサートは、今年の2月11日(日)の第12回目を期に閉じることになった。その折の淡々とした彼のメッセージに心打たれたことを忘れ得ない。

その彼と新宿で一杯やりながら、コンサートのことだけではなく建築を主体として、人の生きていくことへ踏み込んだ四方山話が尽きなかった。 

閉じることは、始めることよりも決断力が必要だとついつい瞑目したくなる。しかも例年この音楽会は常に満席、僕は特別招待のような形で招聘され、ここ数年、冒頭に挨拶をされる神父さんの後、此の建築に魅了されている建築家の一人としての一言を述べさせて戴いてきた。

今年は神父さんの都合がつかなくて例年お世話になって僕とも親しくなったシスター中村さんのにこやかな挨拶に心打たれたが、僕の一言(挨拶)は無しとした。そして嘗て、隣接されている修道院宿舎(基本的には修道女のための!)に2度ほど泊めて戴いたことなどを想い起こしたりした。

そういう縁もあって神父さんや修道女の方々とも懇意になり、当初は神父さんが2次会(懇親会)に同伴して下さったこともあった。 

`初めがあれば終わりがある`とよく言われる。でも、この聖クララ教会での此のコンサートとの出会いは少し違うような気がしている。コンサート自体は終焉し、登場して僕達を魅了し親しくなった音楽家連、同行した建築家とも疎遠となってしまうだろうが、その人たちとの出会いは僕のどこかに何時までも留まっているような気がしている。とどのつまり沖縄への、此の教会・この建築への僕の想いが、僕自身、閉じる・忘却することはありえなと確信する。 <写真・聖クララ教会>

<追記>この一文を起稿しながら、7年前になる2011年3月11日に発生した`東日本大震災`の翌年から、仙台をベースにして、毎年、閖上(ゆりあげ:宮城県名取市。今年は訪れなかったが)、そして女川に赴き、その復興の様相に目を向けてきたことを、聖クララ教会でのコンサートと共に記しておきたくなった。女川行きも今年で終焉しようかと想っているからだ。

その女川は、昨年に観た復興の様相から思いがけず町の姿が大きく変わり、残念ながら、必ずしもその様相に得心できなかったことを敢えて付記しておく。というよりも正直がっかりしたのだが・・・ 

本文は今年の、仙台、女川から帰郷した翌日になる今日(4月29日)のUP。事前に概要起稿したものに手を入れてのUPです。<文中敬称略>

 



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