日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

堀口捨己の「草 庭」と出雲大社本殿(1)

2016-03-06 20:51:14 | 素描 建築の人

何時の頃からか僕の部屋の本棚の真ん中に「草 庭」と題した本が鎮座している。
その両隣には`建築は兵士ではない(鈴木博之)、`建築の七燈`(ジョン・ラスキン)、周辺に建築の存在への示唆を与えてくれた`レンブラントでダーツ遊びとは(ジョセフ・L・サックス),少数派建築論(宮内嘉久)、そして本棚に収まりきれなくなって`民俗知識論の課題・沖縄の知識人類学`という僕の問題意識を培った渡邊欣雄(現国学院大学教授)の著作と、JAZZを放つと副題のある洋泉社の`JAZZー´などが「草 庭」の上に横たわっている。そのいずれもが、堀口先生の草庭とは直接のリンクはしてはいないものの、僕の問題意識を共有しているのだ。

さてこの「草 庭」。奥付を見ると、1974年9月30日初版第4刷とあって、堀口捨己・1895年岐阜県生まれ、1918年に東大を卒業、現在明治大学講師、と記載されている。

僕の学んだ明治大学建築学科は、堀口先生(教授)が建築学科長となって主として東大からの教授連によって設立された。僕はその10期生(故あって僕は二部…夜間部)。入学したのは1958年だからこの奥付はつじつまが合わない。冒頭の「はしがき」には昭和22年8月と日時が記載されていて、そうだとすると1947年、堀口先生が52歳のときの著作だ。
 
冒頭に「再版に当たって」と題した著者の`再版について筑摩書房から話があったときは私には驚きであった、と言う堀口先生の率直な想いが記載されている。編輯委員会が行われた折、太田博太郎博士が出てきて下さったので、新しい資料が出てきたので一部を取り込みたいと述べたら、再版ではなく改訂版になってしまうとの指摘があって、そのまま復刻することにしたと述べている。奥付もそうなのかとわかったが、不思議な本だ。
ページをめくると、彼方此方に鉛筆による傍線が引いてあり、ところどころに文字の書き込みがある。ことに、「茶室の思想的背景とその構成」に多く、二重線を引いてあるものもある。また「信長茶会記」と「石州の茶と慈光院の茶室」の所々にも傍線が引いてあり、私事ではあるものの、30代半ばという若き僕自身の好奇心!がうかがえて興味深い。

其れはさておき、太田博士は、その論考の中で堀口先生の桂離宮論に関連して、「干からびた機能主義の其れではなく、建築を芸術とみる建築家の精神から出ている」と述べる。そして建物と茶の湯の研究と副題のある「草 庭」。五編の論考。そして僕は、先生が茶室の、茶の湯の研究者として、建築家として、どの考察にも綿密で膨大な「註」があり、あらゆる文献を考察して論考していることに言葉も出ない。

この一文を書き起こしながら、堀口先生が設計をされた駿河台の白亜の校舎の教室の最前席で、先生の講義を受講した五十数年前を改めて想い起こしている。

<この論考は、5月22日に明大駿河台校舎で行われる明大建築学科の同窓会「明建会」の5年毎に行う大会で、学生時代、堀口先生に学んだことなどを題材にして講話することを視野に入れて書きはじめたものである>


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2 コメント

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不勉強 ()
2016-03-09 12:29:06
堀口氏の建築は、江戸東京建物園に移築されている「小出邸」(昔、キムタクのドラマでも使われましたね)しか見学したことがありません。
でもちょっと調べたら、あの「如庵」移築も手掛けられたのですね。如庵は犬山に旅行した際、見学しました。
追伸
書き手の名手penkouさんに恐縮なのですが・・・
堀口氏の生年は「1895年」かと・・・
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Unknown (penkou)
2016-03-09 17:57:02
mさんへ
間違い指摘ありがとうございます汗顔!取り急ぎ直しましたが改めてもう一度整理してみます。
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