日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

闘わない建築家「槇文彦」 豊田講堂から代官山ヒルサイド・テラスそして未来へ

2009-05-06 12:21:44 | 素描 建築の人

心に深く留まっている「コトバ」がある。
「私は闘わない建築家なのです」。
今年の2月19日に行った「モダニズムの源流 豊田講堂からヒルサイドテラス そして未来へ」と題するDOCOMOMO×OZONセミナーでの建築家・槇文彦さんのコトバだ。

ハーバード大で学び、そのまま教鞭をとった槇さんのその時代(1960年・32歳の時)に建てた名古屋大学「豊田講堂」は、建築家槇文彦のデビュー作でもある。
9年後に建てた代官山ヒルサイド・テラス第一期から現在に至るその建築群は、その一つ一つが僕たちを触発させる魅力的な建築であると共に、建築家が都市をつくりうる事例として、建築界に大きな刺激を与えた。それはとりもなおさず1期と2期の建築群の背後に建っていて重要文化財として保存された「朝倉邸」を所有していた朝倉家との信頼関係、「朝倉不動産」とのコラボレートによって、時間をかけてつくり上げてきたプロジェクトでもある。

このプロジェクトでは、つくりながらの試行錯誤、つまり学び取りながらゆっくりと時間をかけてつくってきたと槇さんは言う。その根底には「闘わない」という氏の人生観が内在しているのだ。
興味深いのは、メタボリズムという1960年代の思潮を受け止めながら建てた、豊田講堂からヒルサイド・テラスへの流れ、そして現在つくり続けている建築には、槇さん自ら「私はモダニストです」と述べているモダニズムの源流が脈打っているのだ。

その主要テーマの一つは「群と個」。
2007年に見事に改修(メンテナンス)された豊田講堂とともに、代官山ヒルサイド・テラスを紐解く鍵でもあるこのテーマは、都市を考え、建つ建築に思いを馳せるときの僕の命題でもある。
槇さんの話に思わず身を乗り出した。会場に詰め掛けた人々も息を詰めて聴き入っている。

19世紀の新印象派に位置づけられる画家ジョルジュ・スーラーの代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の画像を映し、私の言い出したことではないのですけどね、と断りながら、ここにいる50人ほどの人物は群れてはいるけど勝手な方向を見ている、そしてほらこの犬だって、と目の前のセーヌ河とは関係ない方向を向いている犬を指す槇さんに、会場から笑い声が聞こえてきた。
会場が和やかな空気に包まれる。槇さんの指摘に、群と個はそういうものだと共感する笑みだ。

ワシントンの公園の一角で数名による音楽のグループが演奏の練習をしている傍で、階段に横たわって本を読んでいる大学生(少女)をポインターでさした。
ほらアメリカ人は公の場は自分の場だと思っている、とさり気なく「公」とはなにかを示唆したのだ。言外に、建てた建築はどのような建築であっても「公」の側面を持つことになると述べているのだ。
設計した青山通りに建つ「スパイラル」の階段に配置した椅子に腰掛けてじっと外を見る人を映した。公の場に個人のスペースをつくる試みをしたが、ここにはこうやって座る人がいつもいるのだと、実験によって捉え得た「群と個」の関係を僕たちに指し示した。こういう場が都市には必要なのだと暗示される。

僕はこのセミナーの司会をやりながら、感銘を受けていた。講演が終わり会場からの質問を受けながら、槇さんとの対談形式で会話する僕の声も上ずった。話の組み立て方も見事だが、さり気なく実験を試みながら建築のあり方を模索するその姿。実験とは言うものの、当たり前のように存在する椅子。謙虚、というコトバがよぎる。僕たちはすぐれた人間の真髄に触れ得たのだ。

僕は最後に槇さんの著作「記憶の形承」をとりあげた。
`都市と建築の間で`と副題のあるこの著作は、1960年代から90年代の初頭にかけての様々な雑誌に掲載された槇さんの、都市と建築を中心とした論考を集成したものである。この著書は1992年に筑摩書房から刊行されたが、僕が愛読しているのは1997年に`ちくま文庫`から発刊された上・下刊の第一刷である。

槇さんは「嬉しい紹介をしてくれましたね」と、どうなるかわからないが、その後書いたものを集成して刊行する企画がなされていると微笑された。その笑顔がまた素敵だ。

実は僕は槇さんが恐い。林昌二さんも恐い。阪田誠造さんも菊竹清訓さんも恐いが、1928年生まれ、82歳になる建築家は恐いが実は何方もとても優しい。昨年は林昌二さんを招いて新旧の掛川市庁舎を中心にして対談形式で林さんの毒話!をうかがったが、なんとも暖かい心に包まれた。
セミナーを担当する大川三雄日大教授、田所辰之助日大短期大学部准教授とともに槇事務所に伺った時に、兼松さんに会えてよかった、テーマと進め方の確認ができてと微笑まれ、出口まで見送ってくださったことが、僕の宝物のように思い出される。

前川國男は闘った。丹下健三も黒川紀章も。闘いはモダニストの宿命のような気もするが、「私は闘わない建築家なのです」と槇さんが述べたのは、対談に入ったときだったかもしれない。僕がモダニズムの源流に触れたときだった。
「闘わない建築家」。
槇さんとその建築を考えるとき、そこにその回答が潜んでいるような気がする。僕の心の奥深く息づきはじめた大切なコトバだ。

<写真 名古屋大学豊田講堂>


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ダンディな建築家 ()
2009-05-06 20:26:41
格好いいっすよねーーー!!!
槇氏ほどスマート、ダンディ、こうした言葉が嫌みなく似合う男性は少ない☆(憧れちゃいます)

※以下、mブログ(08.12.14)より転写
「生まれ持った品の良さ、超明晰な頭脳と記憶力、正統派建築家としての歩み、今なお旺盛な好奇心。
■槇文彦=”スーパー「建築家」マン!”である☆」

追伸
penkou氏もダンディ☆

返信する
ダンディ! (penkou)
2009-05-09 13:04:09
mさん
おっしゃるとおりです。本当に。
僕がダンディということを除けば(笑)
mさんのブログの記述も槇さんの真髄をついていますねえ!
返信する
拝読☆ ()
2009-05-09 20:28:29
今日届いた【○経アー○テクチャー】
あんなにpenkouさんの名前、写真、コメントが掲載されているとは!!!
流石ですねーーーーーー!!!!!!

追伸
建築アウトローのmが綴った槇さんの記述などお褒め頂く程のモノでは無いはず。汗
その点、槇さんから「penkouさんに会えてよかった」と固有名詞で語り掛けられるpenkouさんは羨ましいです。 でも私とて「ダンディな」(笑)penkouさんと知り合え、飲んで語り合えるmは幸せ者です☆
返信する

コメントを投稿