一人の陶芸家が誕生した。人間国宝`島岡達三`最晩年の弟子「後藤竜太」君だ。
竜太君は緊張した面持ちで年輩のお客さんの話にうなずいている。銀座「たくみ」での作陶展へ初日に行った僕の妻君と娘がスーツ姿なんだよ!と驚いていた。やっと時間のやりくりができて出かけた最終日。
スーツだねえ!と呼びかける。「晴れの舞台ですから」とはにかむ様子に子供の頃の竜太君の姿がダブった。
まだ彼が小学生の頃、僕の娘や彼の姉、桃子ちゃんたちが裏山を駆ける僕の撮った写真がある。桃子ちゃんの指には赤とんぼが止まったが、竜太君もまた虫や田んぼの側溝のどじょうが大好きで、学校から帰ると表に飛び出してなかなか戻ってこなかった。時折益子の陶芸家の父親茂夫さんの工房を訪ねると、竜太君の手捻りが棚の隅においてあったりした。親の子だと思ったものだ。
会うのは何年ぶりだろう。
竜太君は昭和58年(1983年)生まれ。26歳になった。栃木県窯業指導所研究科を修了後、島岡達三に5年間師事した後、一年間島岡製陶所に勤務し、この個展によってデビューした。これからは父親の工房で一緒に作陶に励むことになる。何種類もの土を自分で探してストックしてあるのだと、息子の作家としての姿勢に茂夫さんも嬉しそうだ。その笑顔をみると親ばかだねえ!とはいえなくなる。
これかア!と思って見たのが白い蛾を文様にした大皿だ。「なんで蛾なの」と聞く我が娘に、「すぐ傍に蛾がいたから」とボソボソと答える竜太君はいいねえ、という妻君に、僕は竜太君は虫が好きだったからねと言ったものだ。
作陶展の会場として、2階サロンを提供した銀座「たくみ」の志賀直邦氏が、`初個展に寄せて`と題して一文を寄せている。
『先生(島岡達三)は生前、「再来年は後藤君の卒業展だから、頼むよ」とお会いするたびに言われたのであった。そして、それは後藤さんへの期待感からであったか、愛情であったかわからない』とある。
<写真・妻君と娘が行った初日のお昼前、既に赤ポチが沢山ついていたそうだが、奔放な刷毛目が気になって即かず離れず手にとって眺め入った`ぐいのみ`や徳利(一輪挿し)には、当然のごとく赤ポチがついていた。これはざらっとした感触が手に馴染む、面取りの湯飲み茶碗>
来週、訪れる関西建築研修において、二日目(自主研修日)学生達と別れ、一人で滋賀の佐川美術館樂吉佐衛門の茶室見学してきます。
追伸:銀座って私には敷居が高いのです(^^;
佐川美術館楽吉佐衛門の茶室ですか(うーん!)
それは楽しみですね。楽家歴代の陶芸家の中でも15代は傑出していると思います。今の時代を肌で感じ取りながらの作陶、日本文化の真髄を模索している姿に感じるものがあります。
「たくみ」には素晴らしい民芸品が沢山あるので、是非一度覗いてみてください。日本文化の一面を汲み取ることが出来ると思います。高くないものも沢山あります。時々覗くと皆欲しくなる(笑)こまるのですけどね!