日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

愛しきもの (8)  野田哲也のDiary「桃」

2009-05-10 18:03:40 | 愛しいもの

春になるとどうしても見たくなる版画がある。野田哲也の「桃」だ。
版画家野田哲也は全ての作品を「日記」(Diary)というタイトルにして日付しか入れていないが、この版画を、わが家では「桃」といっている。(May 9nd 1972)

無地の座布団の上に桃が4個置いてある。
野田さんの作品は、主体をよく画面の下方に配置するが、この桃も下部ぎりぎりに置かれている。淡い色調の微かな赤みのある彩がなされ、女性のお尻の様だ。よくモチーフとして取り上げられる「みかん」は「おっぱい」のようだし、それがなんとも微笑ましく思えるのだが、それが野田さんのたくまざるたくらみ、意図なのだろうか。

この作品は、4個という偶数の桃なのに、その一つがやや右に置かれているが中央にあるように見える。微妙なバランス感覚だ。そしてなんとその桃には、お尻の穴があって、それを僕たちにそっと見せているような気がしてくる。
長時間見入っていてもその構成力の見事さに見飽きることがない。完璧だ!完璧なのにいつまで見入っていても見飽きないのはなぜだ?

展覧会時のカタログ「野田哲也 全作品Ⅱ1978-1992」は、ハードカバーのものと2冊も持っているのに、「Ⅰ」がない。この桃は72年作なので「Ⅰ」に収録されているはずだが、なぜ「Ⅰ」が僕の手元にないのだろうか。
それはともかく、「Ⅱ」で中原祐介はこんなふうに書いている。(野田さんは写真を撮ってそれを使いながら版画構成をするのだ)。

『野田が写真を用いるようになるのは、作品が「日記」というタイトルを持つのと期を一にしている。多分「絵日記」から「絵」が去って「日記」となったにちがいない。』
そして「カメラ日記」に移行したのだという。写真と美の結合、そこに野田にしか表せない技法がある。

描かれるのは、或いは撮られるのは、日記。日々の出来事、近所の人や知人にお土産にもらったもの、時折ご自分の子供や奥さんだったり、家族の集合写真、街、それに野田哲也自身が登場したりする。僕のささやかなコレクションにも横顔の野田哲也がいたりする。

いつのことだったか忘れてしまったが、銀座で行われた小さな展覧会の最終日、今日は少しは人がきてくれると思って出てきたのだけどこないなあ!と僕と二人で苦笑したことがあった。
その野田さんは、数々の国際版画コンクールで受賞し、米国の国内では作品を入手するのが難しいと言われる。なぜなら自分で手刷りするので作品が少なく、すぐに完売してしまうからだ。(The WorksⅢ1992-2000)。

ところでつい最近、東京文京区千駄木のギャラリー五辻で「Self Selection展」が行われた。
カナダに行ったときに、ショウウインドウを撮った写真で構成した最新作がいい。案内葉書に刷られたDiary April 2nd 2007の自画像にも惹かれた。いい男になった。顔を隠した野田さんのいる作品もある。隠さなくたって・・・

今、国際的に評価されるのは、草間弥生と野田哲也の二人だと、かつてフジテレビギャラリーにいた五辻さんは言う。
その野田さんは一昨年東京芸大教授を定年退職された。書かずもがなだが名誉教授となった。

(写真、映り込みがあってうまく撮れない。シルクスクリーンと木版による作品 May 1972「桃」!) 


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