日々・from an architect

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DOCOMOMO世界会議(2) 次回開催はオランダで

2006-10-11 20:10:29 | 建築・風景

DOCOMOMO2008年世界大会(会議・CONFERENCE)は、DOCOMOMOの発祥の地、オランダで行われることになった。

勢い込んで羽田を出立したものの、様々な出来事のあった、それが又僕にとっては考えることの多い、世界大会(会議)だった。トルコの旅については追々書き記していこうと思うが、僕たちの多少の誤算は、次回大会を日本で開催できなくなったことだ。

INTERNATIONAL DOCOMOMO  CONFERENCEは、2年毎に各国持ち回りで行われることになっており、今年はDOCOMOMO TURKEY(トルコ)が主催しトルコで行われた。
9月25日夕方のイスタンブール現代美術館でのWelcome Partyでスタートし、27日から3日間首都アンカラの工科大学(METU Campus)に会場が移り、主行事が行われた。
市の外れにある緑豊かな広大な敷地を持つMETUは、建築学科のある工学部や人文化学系の学部を持つ国立の大学だ。ホテルで場所を調べてもらい、篠田夫妻(お二人とも建築家)とタクシーで構内に入ったがどこへいって良いのかわからない。
歩き始めたらひょいと渡邊さんに出会った。AAスクールに留学したことのある彼は、イスタンブールの会合にも参加し、ポスターセッションでJapanの活動を報告し、関わった村野藤吾作品のパネル展示でも参加している貴重な国際人だ。

東大の鈴木研で学び、今回鈴木さんが頼りにしたこの大学に留学したことのある若い川本さんが合流してトルコの様子を教えてくれ、会場を案内してくれる。
思いがけず建築雑誌「Ahaus」(アーハウス)の編集にも関わっている森内さんにも会った。青森に居るので日本でもめったに会えないのに。彼もDOCOMOMO Japanの会員なのだ。
倉片さんは素敵なフィアンセと一緒で楽しそうだ。山名さんは発表を控え柄にもなく緊張感でぴりぴりしている。ともかくメンバーがそろった。

27日の夕刻、2時間も遅れてキャンパス内のCCCHall Aで2008年度開催の立候補をした日本とオランダのプロポーザル(プレゼンテーンション)が始まった。その後質疑・意見交換(Debate)が活発に行われた。
鈴木博之Japan代表のPPによるプロポーザルは好評だった。JAPANの提示するテーマは「The Place Of MOMO」

Japan活動紹介で林昌二さんによるパレスサイドビルの見学会の写真を映しながら、ここに集まった人々は、建築家や歴史学者という専門家だけではなく「建築を愛する人たちだ」と述べたら、会場から共感のさざめきと拍手が沸き起こった。「ああDOCOMOMOは建築の好きな人たちの集まりなんだ」と胸が熱くなった。会場が暖かい空気に包まれる。トルコまで来た意味があったと思った。

オランダのプロポーザルのテーマは「THE CHALLENGE OF CHANGE」。
日本でその趣旨を考えたときはピンとこなかったが今はよくわかる。

そのNETHERLANDS(オランダ)の代表は30代の女性で、プレゼンをサポートした男性は26才の大学院生、その後のopening cocktail(パーティ)で名詞を交換し仲良くなった。皆その若さに驚いた。
あなたは何才かと聞かれて、66才だと応えたら彼は思わず頭を振り、お互いにニヤリと笑った。英語であっても年を聞いたり聞かれたりするくらいなら解るのだ。

鈴木教授の落ち着いた見事なプレゼンに対して、オランダのプレゼンは硬かったが、わたしたちはSecond Generation(第2世代)だ、と述べて暖かい拍手を貰う。

アンカラMETUでの初日の会合の終わった後、市の中心地に送ってくれるという主催者の用意してくれたバスで、渡邊さんと山名さんの泊まっているホテルの前で降り、軽く食べながら飲める店を探した。イスラムの国トルコはラマダンに入っており、酒の飲める店を探すのはなかなか難しい。山名さんの言う「心で話すのだ」という身振り手振りによって探し当てたバンドの入っている店で乾杯をした。コーラン風ドラムのリズムに載って立ち上がった山名さんが珍妙に腰を振る。何だか日本に決まったような気がしていたのだ、が。

翌28日の夕方の「General Council Meeting」(各支部の代表による会議)で時期開催国が決まるが、僕は失敬して朝9時のバスでカッパドギア・ギオルメへ向かった。
一泊して帰ってきたら、ホテルに渡邊さんと山名さんが訪ねてくれ、投票の結果次回は僅差でオランダに決まったと告げられた。

国際関係は難しいものだ、とは思ったが考えることは多い。
好評だったプロポーザルの概要をまとめ英訳してくれた大西さんと、PPを鈴木教授と相談しながら構成した桐原さん、これも好評を得たチラシをつくってくれた穂積さんの努力もあったのだが。詳細については大会を整理し時機を見て報告したいが、何より言葉のハンデは大きい。
英語が苦手な僕は、様々な研究集会での英語による発表や、プロポーザルでの意見交換も良く理解できず、それはわかっていたとはいうもののもどかしかった。
若者よ英語を磨け、と言いたい。
とはいえ国際会議に参加すると見えてくるものも多い。様々な研究集会に機会ある毎に参加し、意見を述べ交流していかなくては国際社会で認知されない。コトバだけでなく距離のハンデもあるがそれをつくづくと実感した。
しかし新しい課題にトライする楽しみも得た。DOCOMOMO Japanは、建築家や建築歴史学者が学生や多くの一般市民とともに活動している。それを生かしながら国際社会中での役割を考えていくのだ。

年齢(とし)にめげず次回のオランダでの研究発表に僕もトライしてみるか!誰かに翻訳してもらい、読み上げれば良いのだから。
日向邸に関してタウトと吉田鉄郎について発表したフランス語訛り英語の山名さんより、100選展に関連して作ったDVD(テレビの番組)の英語バージョンの,僕の日本語訛り英語のほうが、ローカリティがあってよいと渡邊さんが冷やかしながらもあおるので。でも質問があると困るなあ。
とはいっても発表するには厳しい審査があり少数しか採択されない。発表は大様に開かれており、DOCOMOMOメンバーでなくても応募できる。実は日本からの一人の発表者が現れず、採択されなかった外国の研究者から指弾された。DOCOMOMO Japanのメンバーではないのだが、これも出来事の一つだ。

韓国からの参加者は3名で、金正新代表や、始めてお会いするソウル大学教授宋先生と握手をする。僕がDOCOMOMO Koreaの設立総会に招かれて行ったときに親しくなったユン先生とはお互いに肩を叩き合う。ユン先生は韓国の近現代建築をレイアウトし、ポスターセッションに出展された。Koreaとの交流も深くなる。
DOCOMOMOの創設者Henket教授とも、にこやかに名刺を交換した。
教授はトルコでの開催とはいえ、今回の影の主役だったのかもしれない。
オランダのテーマ設定を考えるに、そしてClosing Partyは設定されていたThe Netherlands Residence(オランダ大使公館)で行われたのだから。

<写真 プロポーザルの後の質疑応答 意見を述べるヘンケット教授。壇上は右からカッシアート会長、鈴木博之Japan代表、オランダの代表、そのサポーター>