『元気でおみかんやお餅を沢山食べて、お正月を迎へました。
昭和二十一年一月一日。悲しい悲しい日。長崎からお父ちゃま戦死の電報が来た日。
どうかどうかまちがいであります様に。
紘一郎、かあいそうに、かあいそうにお父様のない子になってしまった。』
母はいつまでも、なにもお正月に電報を打たなくてもいいのにといっていた。
<死亡告知書は6月22日の日付で、祖父のところに来ている。宛名も日付けもない封筒に入っているので、長崎に転居したときに祖父から渡されたのだろう。その半年前の大晦日に祖父のところに戦死の知らせが来たのだと思う。祖父は動転して母のところに電報を打ったのに違いない。祖父にとっても長男に死なれたのだ>
昭和二十一年一月一日。悲しい悲しい日。長崎からお父ちゃま戦死の電報が来た日。
どうかどうかまちがいであります様に。
紘一郎、かあいそうに、かあいそうにお父様のない子になってしまった。』
母はいつまでも、なにもお正月に電報を打たなくてもいいのにといっていた。
<死亡告知書は6月22日の日付で、祖父のところに来ている。宛名も日付けもない封筒に入っているので、長崎に転居したときに祖父から渡されたのだろう。その半年前の大晦日に祖父のところに戦死の知らせが来たのだと思う。祖父は動転して母のところに電報を打ったのに違いない。祖父にとっても長男に死なれたのだ>