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田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

超短編47 平成の雪女  麻屋与志夫

2014-02-08 11:03:19 | 超短編小説
平成の雪女



紙魚(しぎょ)の食った和紙の売上帳をもって老人はもどって来た。
麻で編んだ座布団(ざぶとん)に座った。
赤々と燃える囲炉裏(いろり)の火に和綴(わとじ)の帳面をかざした。
その綴じ紐(ひも)も麻を細くないあげたものであることを、わたしは懐かしくみてとっていた。
懐かしいどころか、江戸時代からの農作物の売上帳が保存してある、もと庄屋の律儀(りちぎ)さに感心した。
「栃木但馬屋和三郎と書いてありますな」
墨痕(ぼっこん)鮮(あざ)やかに王義之(おうぎし)風(ふう)の書体で買い付けた繭と麻の代金に添えて署名と花押(かおう)が書かれていた。
わが家の三代前の、祖々父の筆跡だった。
井桁(いげた)に三の商標もさらに懐かしさを誘うものであった。
終戦からは、数年が過ぎていた。
ビニロンやナイロンの合成繊維の開発以前のことで、郷里の栃木から鹿沼周辺ではまだまだ野州麻の栽培が盛んだった。
オートバイでその日、最後に乗りつけた小来川の奥の〈山窪〉という地名のの農家でのことだった。
「麻買いさまは、どこからきなさったね」
と言う問いにわたしが答えると、老人が「但馬屋」という名を聞いたことがあるという。
先祖代々の屋号がここででてくるとは思ってもみなかった。
先祖の功徳もあり、初めて訪れた農家なのに商談が成立した。
わたしは矢立をとりだし先程の帳面に署名した。
なにか、懐かしさに混入して、時間が止まってしまっているような……奇妙な感覚があった。
外はすっかり夕暮れいた。
雪をいただいた日光の峰々が薄暮のなかに消えていこうとしていた。
薄墨色の水墨画のような遠景に、男体山、女峰、太郎、赤薙の峰が純白に輝き夕日に映えていた。
窪地にあるなので目前の雪の山肌は文字通り見上げるという感じだった。
「麻買いさまは嫁さんはまだかね」
と夕食をよばれている席できかれた。
まだ学生だとこたえると……あまり落着いているから、もう嫁さんがいると思っていた、と老人が真面目な顔でいった。
孫娘を嫁にやりたい。
いいひとがいたら紹介してくださいよ、昔だったら兄さんくらいで、嫁とってもあたりまえだったんだがな……なにせ、この子の父が硫黄島で戦死してるのでな。
婚期がおくれてるのだが、ひとに頼むことをわしがしないもので……やはり、里まででて億劫がらずに頼んであるかんことには……と、くどき話しになった。
娘さんは、麻剥ぎにもどっていった。
土間に筵をすき、麻の茎から繊維を剥ぐ仕事をしていた。
冬だというのに一重もので立て膝で麻の束をかかえるようにして剥いでいる。
どきっとするような白い太腿が囲炉裏の火をあびてちらちらしていた。
陸中の(りくちゅう )雪(ゆき)晒(ざら)しとおなじでな、雪にひたして剥ぐと強い繊維がとれるものでな……さむくてかわいそうなのだが……。
老人がわたしの視線が娘さんに向いているのに気づいてなにげなく説明してくれた。
この皮麻も春になったら是非買いにきてくだされや、と軒下まで送ってくれた。
雑木林に止めておいたオートバイはキックスターターをなんどもふみさげてもかからなかった。
傘をさしかけてくれた、娘さんは心配そうにそばに立っていた。
降出した雪の中を一本の傘で送られてきたので、なんどか手が触れ合いわたしは動悸がたかまっていた。
先にもどってくださいとはいえないでいた。
長い黒髪に雪がふりかかっていた。
寒いでしょう……とようやくにして声をかけると、なれてますから、とはずかしそうに絶え入るような声で応じた。
たったその一言だけがわたしたちのかわした言葉だった。
雑木林には雪の鵞毛が舞っていた。
幻想的な白い世界にかわっていく。
小来川の宿場を通過するころは、雪は横殴りに吹き荒び、ライトのなかで舞い狂っていた。
林の中の道にはいった。
葉の落ち尽くした楢や櫟の繊枝に雪がまといついている。
白い枝に白い花が咲いている。
冷ややか雪の花だった。
枝の先の虚空で月はかげりがちだった。
音もなく雪がしんしんと舞い落ちてきた。
あまりの幽玄(ゆうげん)な美しさにわたしはバイクをとめた。
するといままで音もなくと思っていた雪が……なにかささやいている。
無人の林にひとのささやくような声がしていた。
囁きかけ、さそいこむような哀調(あいちょう)が低くながれてきた。恐怖が背筋をつたった。
わたしは震えていたようだ。
細微(ほそが )れた女の声がした。
嫋々(じょうじょう)とむせび泣いている。
雪明りに裸身の女が立っていた。
髪は膝のほうまで伸び……風にたなびきふっくらともあがった胸の白さは雪のそのものの白さであった。
雪の着物を纏っているように見えた。
白く痩せた体は透きとおるようで、ほんとうに……、背後に陰(かげ)るはず木が幽に(かすか )みえている。
女のうしろに陰るはずの木々にも雪は吹雪き、その背景の林は果てしなくひろがっていた。
降り頻(しき)る雪は下生えの枯れ草も切り株もすべて白銀色(しろがねいろ)に埋めつくしていた。
女の嗚咽はその白い視界のすみずみから沸きいでるようであった。
そして……ああ、わたしにむけて怨嗟を吐きかけているようであった。
わたしは見えない糸でたぐりよせられるように一歩前にでた……さらに一歩……。
女がこちらを見た。
瞳が金色に輝いていた。
黄金色のその光りは人間のものではなかった。
白い世界を切り裂くひとすじの赤みをおびた金色の光りは人間の眼光であるはずがなかった。
眉には白く雪がついていた。
綺麗だ。
美しい。
わたしは声にならない声で詠嘆した。
ありがとう。
あたしをこわがらないの……あたしをこわがらないで、綺麗だといってくれるのね。
あたしは綺麗なのね。
あなたの目に美しく映るのね……。
わたしの内密な声に対してこれまた頭に直接響いてくる声だった。
凍てつくような雪のなかでこころなしか声には暖かなものがながれているようだった。
いつしか雪も止み、月が林をこうこうと照らしていた。
降り積もった雪に女の足跡はなかった。
そのあたりは樹木が切り倒されていた。
雪原がつらなっていた。
凍えるように寒かった。
雪原のはてに炭焼小屋があった。
いくらさがしてもバイクのところにもどれなかった。
あかあかと燃える囲炉裏や麻剥ぎをする娘さんの幻影をみたようにおもった。
わたしは小屋の中に倒れこんだ。
女が囲炉裏にすわっていた。
囲炉裏には火はもえていなかった。
火はなかったが、破れ窓から差込む月光に囲炉裏の周囲はほのかに明るかった。
女の体を抱いた。不思議と冷たさはなかった。
それどころか、冷えきった体が、じわっとあたたかくなる。
氷のような女を抱いているのにあたたかなものが伝わってくる。
あなたが、あなたの心が優しいからよ……女の声が頭にひびいてくる。                 

2

その翌年、『倉敷レーヨン』が合成繊維のビニロンを開発した。
わたしはついに「山窪」に春になっても麻買いにはいけなかった。
農家で生産する大麻はビニロンに押されて売れなくなった。
江戸時代からつづいていたわたしの家も倒産してしまった。
約束した麻は買いにいけなくなってしまった。
倒産した家をなんとか復興させようと努力したがはたせなかった。     
東京に越し細々とサラリーマン生活をつづけ定年になった。
子供たちもそれぞれ所帯をもって離れていった。
見合いで郷里から嫁いできた妻はしかしいっこうに年をとらない。
いまも、鏡にむかっている。
「ねえ……着物をきられるような生活になるとはおもわなかったわ」
わたしは、妻のながい耐乏にむくいるために、退職金をはたいて大島紡ぎを買ってやった。
妻がえらんだのは六方晶系の雪の結晶を幾何学模様化したものだった。
妻がそれをきているとあの雪の夜の幻影へと連なるのだった。
「夜中になって、鏡にむかい着物をきだすなんておかしいわよね……」
「おまえのうれしそうな顔をみるのがすきだ……いつまでもきれいだな……」
「そんなこといってくれるの……あなだだけよ……もうお婆さんよ。……和服ってこんなにあたたかいとおもわなかった。足元からあたたまるのよ……スカートだとこのところ年のせいか……足が冷えるのよ」
「おまえも、やっぱり年なのかな」
「それはそうでしょう、あなたと一緒になって何年になると思うの」
わたしは、寝床でうとうとしていた。
「どう、似合う……」
いつになっても若々しい妻が立っていた。
綺麗だ。
美しい。
わたしは今宵こそ昔、雪の林で会った女の話しをしようとおもう。
もう疲れた。
このまま明日がこなくてもいいとおもう。
さいわい外は音が途絶えている。
わたしはこの気配をおぼえている。
夜の通りに、霏として粉雪が舞っているはずだ。
都会にはめずらしい雪の夜になりそうだ。
この汚濁した都会が、白銀色の世界になる。
雪原に横たわる若者が幻を見上げた。
妻の姿があの雪に裸身を晒した女に重なった。

3

「それでヤッパ最後の口づけをしたの」
「ヤダァヤダァ。N3は、口づけだなんて死語つかって」

冷凍冬眠室で最終処理台を見おろしながら、あたし、NIは応えていた。
処理台には患者用のブルーの検査着身につけたまま一人の老人が冷凍冬眠にはいっていた。
ひろびろとした治療室には医師の姿はなかった。
N3とNIのふたりのナースだけがあわただしくコンピーター処理にかかっていた。
NIが長年連れ添うように看護してきた老人が自然死ならぬ安楽死を願うキーワードーを口にしてからまだ数分しかたっていない。 

「じゃなんていえばいいの。おさしみ。せっぷん。口を吸う……」
「死語をつかって患者について話すなんて死者への冒徳よ。あんた、ひまだから20世紀の古典の読みすぎよ」
「でもさぁ、こういうオールド・タイプの人間ってめずらしいのよね」
「でも……いがいとNIのことよく読みとってくれていたのね」

モニターに文字化されている彼の記憶を記録しながら、あたしはN3に応えていた。
「ねえ、NI……おかしいよ……」
N3のおしゃべりに応えながら彼の最終処理をおこなうあたしの耳にあわてふためいたN3の声がひびく。
壁面のパネルでは赤いランプ点滅していた。
「NI――、蘇生ボタンを押したの?」

4


……かつてなく……妻に怯え……時は流れ去った……わたしは……むかし雪女に出会った夜のことを……妻に今宵こそ打ち明けよう……慎ましやかな物腰で……妻がわたしを上からのぞきこんでいる……わたしは……雪に埋もれて死にたい。いや……あのときわたしはすでに死んでいたのかもしれない……。



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努力の先にある成果にはあまりこだわらない。 麻屋与志夫

2014-02-08 08:06:12 | ブログ
2月日8 土曜日

●雪の朝。
みように静かな朝。
街のそう音がきこえてこない。

●ディーン・クーンツの『ストレンジーズ』で人の気配の絶えた平原をtranquillity と形容しているのを思い出した。
こうした静穏な雰囲気をいうのだろうか――。

●テレビをみていたら画面の下に『鹿沼ー文挟の間が運転見合わせ』とでた。

●あらためて、いまわたしがいるのは鹿沼なのだ、と意識した。
カミサンは昨夜遅く東京から帰宅した。
あわただしく東京と鹿沼の間を行き来して生活しでいるので、いま自分がどこにいるのかわからなくなる。
パソコンを背負ってそこかしこで原稿を書き継いでいる。
書斎にばかりいる訳ではない。

●ひまなので、ブログを読みかえしていたら、イイカゲンに生きると書き、努力する者は救われる、なんてしかつめらしく書いている。
この二つの言葉は反意語のように響くかもしれない。

●これは解説が必要だ、と感じた。
わたしはこの歳になっても、文学の勉強に命をかけている。
睡眠時間をけずり、ムダな遊びはいっさいしない。
ひとともほとんど会わない。
テレビもあまりみない。
ただただ読書と小説をかくことが日々の生活だ。
いい小説が書けるようになるよう――、努力している。
だから、それから先の成果はあまり気にせず、なるようになるさ、といつたいいかげんな性格がある、ということなのだ。
結果を気にしていたら、なにもできない。
挑戦できない。
やるだけことをやって、その、成果はどうなろうと気にしない。

●努力の結果、成果は運命しだい。
神に任せる。
いいかげんですよね。

●冬季オリンピック開幕。
結果ばかりウンヌンスル報道はあまりみたくはない。



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