田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

パソコンの中のアダムとイブ     麻屋与志夫

2008-04-12 09:33:04 | Weblog
4月12日 土曜日
パソコンの中のアダムとイブ 13 (小説)
「きて。きて。わたしのところへきて」
 だれかが呼んでいる。
 まわりで、電子音がしている。フアンの回転するブーンという音がする。わたしは、丸ノコギリの回転をイメージする。恐怖に慄く。断末魔の激痛がわたしをおそう。だがふしぎとまた、痛みは感じない。激痛ということばだけがよみがえった。
夥しい血と激痛。だが、体がない。肉体が存在しない。
「きて。きて。わたしのところへきて。ことばだけの世界へきて。ことばだけの世界へきて」
 やさしい声。
 ききなれた声。
 いつも耳元にひびいていた声。
 愛するものの声。
 かたときも忘れたことのない美智子の声がする。声はまちがいなく美智子のものなのだが。どこかびみょうにちがう。感情をおさえたような声、白い声がする。わたしはパソコンの中にはいっているらしい。
「発声システムにエラーガショウジテイルノカシラ」
 声がかすれて、間延びする。
「そんなことはない。そんなことない。ミチコの声だ。感じている。わかつている」
 死後の世界でこうしてことばがかわせるほど、コンピューターは進化していたのか。文系の干からびた頭ではなにをかんがえても理解できない。美智子のことばをきけるだけでもよしとしなければならないのだろう。
 電子文字の世界、コンピューターの音声、イメージの世界にいる。季節の移ろいも時間軸もない。ひとのあらゆる欲望から解放された世界のようだ。なにかすがすがしい感じだ。維持しなければならない肉体がないのだから。
 いままでたって、ずっと文字でしか考えなかった。ことばだけで、外界をとらえてきた。小説を書くということは、じぶんだけの言語空間をつくりあげることだ。
わたしは肉体的存在ではない。精神的な、ことばだけの存在に移行したからといっておどろきはしない。
 メカにヨワイ、干からびた文系の頭では理解できない。
「やっときてくれたのね」
 ああ、なつかしい美智子の声がする。
 とはいっても、耳にひびいてくるわけではない。文字としてよみとることができる。音声として認識できる。
 腕や脚を失ったひとが、感覚だけは記憶していて幻の四肢のように、5感すらよみがえってくるようだ。
 すると復讐心まで。たちあがる。リベンジ。殺してやる。わたしも美智子も殺されたのだ。
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パソコンの中のアダムとイブ

2008-04-12 01:18:23 | Weblog
4月12日 土曜日
パソコンの中のアダムとイブ 12 (小説)
 この製材台のうえに拘束されているのはわたしではない。べつのわたしだ。わたしが殺されるわけがない。
 やっと放射線治療もおわった。これからまたカムバックを期して、小説をかかなければならないとはりきっているのだ。
 死にたくはない。
 死にたくない。
 殺さないでくれ。
「どうせ殺すんだ。この折れた脚から切ってやろうか」
 ちくしょう。たのしんでいる。わたしを殺すことわたのしんでいる。
 回転する丸ノコギリが唸りながら近寄ってくる。
 そして……すさまじい激痛。一瞬、わたしは治療台に固定されていると感じた。そんなことはない。わたしはあまりの苦痛に錯乱していた。わたしは鹿沼に帰ってきている。まばゆい光。轟音。激突。激痛。
「こいつもあんたに轢かれて死んでいればらくだったのに」
 丸太を製材する台にのせられている。丸ノコギリがはげしく回転している。わたしは両脚のあいだから断ち切られようとしている。ああ、死ぬのはいやだ。死にたくない。まだまだ生きていたい。書きたいことがいっぱいある。殺さないでくれ。体に回転する鋼の歯があたった。股間から解剖しないでくれ。苦痛の青白い炎が脳天までたっした。燃えるように痛い。丸ノコギリの歯をすこしだけ体にあてて、切れ味をたのしんでいる。全身が恐怖と痛みで痙攣する。たすけて。たすけて。死にたくない。殺さないで。
「切りやすいよな。赤いマーキングがある。切断箇所を赤線で指示されているようなものだ」
「縦に切ってから胴切りだね」

 夏の終わりの風。秋風。目にはさやかではない風。木の香り。村木のいくつもの部位に切断された体は大鋸屑の中に放置されていた。ぐっしょりと血をすった大鋸屑とともにまもなく廃材の焼却炉で燃やされることになる。点在している彼の肉体はもうなにも感じない。あのなつかしい夏の暑さも風も匂いもない世界にいってしまった。

 おかしい。どうなっているのだ。なにもかもおかしいじゃないか。トラックの接近音。轟音。はねとばされた。野獣の唸りをあげて疾駆してきたトラックにひかれたのだ。ライトのギラギラした光。野獣の目だ。脚の痛み。体を切断された痛み。もうなにも感じない。痛みのない世界にいる。
照射は22回ぶじにおわった。子どもたちが、病院の傍にある旧小笠原邸のフランス料理で祝ってくれた。
「お父さんこれから長生きしてね。小説がんばってね」
 ひさしぶりで飲んだワインが喉にしみた。そう、ことばでいえるだけだ。味のことはもうわからない。味覚もない。
 車ではねられただけでは、村木はすぐには死ななかった。放射線を照射する位置の確定のための赤いマーキングにそって縦割りにさた。輪切りにされた。
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