田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

パソコンの中のアダムとイブ

2008-04-10 14:32:37 | Weblog
4月10日 木曜日
パソコンの中のアダムとイブ 10 (小説)
 グリーン・スリーヴス。イングリュシ・ミス。マジョリカ。マチルダ。マーガレットメリル。庭から薔薇の香りがきえた。
 アンジェラ、木香バラ、スパニッシュビュテイの蔓バラをからませたアーチ。田舎住まいなので庭は広々としている。長々とつづくヘンスにも蔓バラがからんでいた。そのヘンスの薔薇も枯れた。近所のひとに家の中をのぞかれている。無防備になったようでいやだった。庭いっぱいに咲き乱れた薔薇。妻の存在を表していた薔薇園が荒廃してしまった。
 嘆いているようだった。丹精込めて世話してくれた妻の死を嘆いているようだった。ただ妻のいちばんすきだったナイトタイム。ムスクの香りの強いナイトタイム
だけは……。端正な赤い薔薇だけが、枯れた枝葉の群落と化した廃園のなかにあって見事な大輪の花を咲かせていた。

 病院での照射はつらかった。膀胱に尿をためた状態で台のうえに仰臥した。尿をいっぱいにためたまま我慢していなければならない。いつ失禁してしまうかという不安に苛まれた。いつも尿を一定にしておかないと位置がずれてしまう。父のころからでは、治療法は進歩していた。それこそ、ピンポイントで癌に侵された患部を照射できる。そのための赤いマーキングだった。そのために、尿をためておかなければならない。ミリ単位のズレもゆるされないのだろう。
 照射がすむと検査衣のまま廊下を走った。がまんの限界を超えている。まさか前をおさえるわけにはいかない。必死の形相でどたどたとトイレにいそいだ。
 照射の途中で尿をもらしてしまった。辛抱できるとおもっていた。まだなんとか我慢できる。まだ大丈夫だ。唇をいたいほどむすんで耐えていた。
 ふいに生暖かいものが下腹部を濡らした。失禁していた。
 あっ、もらしている。と感知した瞬間にジョーっとふきあげていた。小さな噴水。
ぐっしょり濡れた尻から背中。発泡スチロールでとった型の中に尿がたまってしまった。恥ずかしかった。どうして我慢できなかったのだ。耐性の欠如に村木はじぶんの老いを悟った。錯乱した。意識がとんだ。そして不思議なことだが幼児体験がふいによみがえった。幼児をとおりこして乳幼児になっていた。オシッコで汚した尻を母がやさしくふいてくれている。そんな小さなときのことなど覚えているわけがない。むしょうになつかしい、オムツの感触が尻にあった。
 あやまる村木をいたわりながら、看護師がていねいに尿をふきとつてくれていた。涙をこぼすのを耐えなければならなかった。ここで泣いたら最後の尊厳までなげすててしまうことになる。
 最先端医療機器に鎧われた大学病院。淡いクリーム色で統一され、カラーコーディネートされた病院。その治療室でも、尿をがまんするのは人の意思によるものだ。
どうしても、耐えられず、もらしてしまう生理現象も太古からかわりない。どうして人はじぶんの欲求を、生理現象をコントロールできないでいるのだ。
 意思の力のおよばない領域が広すぎる。
 リニアック室からパンツをはく間ももどかしく、検査衣の裾で恥ずかしがらずに前をおさえ、廊下をトイレにいそぐ。小便小僧だぞ。小便小僧だ。そこのけそこのけ失禁男が行く。と自嘲しながら。みずらを嘲笑いながら。トイレにかけこむ。      
 哀れさをとおりこして、滑稽ですらあった。
 尿意をどうしておさえることができないのだろうか。
 どたどたと廊下を走ることいくたびか。
 自嘲し、じぶんを嘲笑うこといくたび。
 なんとか、満期、22回の照射治療がすんだ。苦しかった。元気になって小説を書きたい。その執念でなんとか耐えられたのだ。

「キリコか。いま新鹿沼駅についた。娘たちにご馳走になっておくれてしまった」
 娘たちと会食した。帰宅がおくれた。心配してまっているキリコへの後ろめたさから声がうわずっていた。
「いまむかえにいくわ」
 村木はキリコの好意を無視して歩きだした。

to be continue
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パソコンの中のアダムとイブ

2008-04-10 02:43:08 | Weblog
4月10日 木曜日
パソコンに中のアダムとイブ 9 (小説)
 ひとりで生活するのはなにかと不都合だった。炊事、洗濯、掃除をひとりでこなすことはできなかった。
 キリコは保険勧誘員だった。色恋沙汰で、むすばれたわけではなかった。村木の歳からいってもそんなことはなかった。
 村木の妻が健在だったころからキリコは保険の外交で足しげく通ってきていた。薔薇の栽培に興味があるらしく、彼の妻とはよく話があった。
 キリコは若いだけあって、洗濯も炊事もなんなくこなした。老いた村木によく仕えてくれた。

 ただ、薔薇の世話だけはしなかった。死んだ先妻の思いのこもった薔薇の世話をするのが憚られたのだろう。
 村木のほうでも、美智子との思いでの書斎で独り寝起きしていた。デスクトップパソコンのある脇のベッドにキリコと寝るようなことはなかった。
 パソコンがベッドを見ている。画面が青白くもえているようだつた。美智子の嫉妬の炎だ。彼女はわたしがベッドで狂態をくりひろげるのではないかと監視している。と、思えてしまうのだった。病んでいるわたしには、そんな元気はない。あったとしても、美智子いがいの女性とは契りをかわそうとは思っていない。あれほど愛していたのに……妻の死後まもなく結婚してしまった。その後ろめたさもあった。
 結婚は村木にも想定外のことだった。
「同じ屋根の下にすんでいるのに、家政婦みたいね」
 キリコが皮肉をいったことがある。
 あれほど美智子のすきだった薔薇。鉢植えも地植えもいっせいに枯れてしまった。
  to be continue  

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