田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

パソコンの中のアダムとイブ

2008-04-04 15:03:53 | Weblog
4月4日 金曜日
パソコンの中のあだむとイブ 5 (小説)
 頭がくらくらする。考えがまとまらない。
この、この、とおなじことばが頭に浮かんでは消えていく。
苦行にはなれているつもりだ。いままでだって苦しいことならいっぱいあった。でもそのうえ、感覚がにぶくなっている。これしきのこと。これしきのことでまけるものか。
 平成通りの往復二車線を轟音をあげて輻輳する車にもあまり危険を感じない。年だな。感覚がやはり鈍くなったのだ。
真夏の太陽を反射して、無機的に光っているこの世でもっとも獰猛で兇暴な鉄の獣、ダンプカーの疾走してくる前を平然と歩く。赤信号なのに横断歩道を黙々と渡っているひとりぼっちの老人。とまではなっていないが、村木の感性も怪しい。
 とくに老婆におおい。驀進してくる車にも配慮しない。信号も、ゼブラクロッシングの表示のない車道をよたよたと歩く。うつむいて横断しているのをときどき見かける。思考の黄昏。危険にたいする警戒心がうすれている。迫りくる危険にたいして、鈍感になっている。死神と同居しているようなものだ。
 この年になるまでには、かずかずの危ないことをのり越えてきている。危機意識が麻痺してしまっているのだろう。あるいは、孤独な老人は自殺願望にとりつかれて車の前を歩きたがるのか。

 それにしても、ワープロが使えないのでは、どうしょうもない。
泣きたいよ。
いまさら手書きにもどるのはいやだ。ワープロだったら、いくらでも訂正がきく。推敲がらくだ。インク消しを使った。あの匂い。なつかしいな。なんども消しいるうちに穴が開く。そのうえに切り張りをする。さらに訂正、推敲する。あんなに、手間のかかる手書きに戻ることはできない。
 背中に重くのしかかる。機能しなくなったワープロ。ごっごっしている。その感触をリックの布越しにかんじながら村木はやっと鹿沼駅に降り立った。
 あいかわらず、暑い。
駅前を左折してハードオフに寄る。その店になぜ寄ろうとしたのかわからない。引き寄せられたような気がする。そこで、まさに村木にとっては、奇跡としかいいようのないことが起こった。
 ジャンク製品の棚に、グレーのボディの富士通のノート型パソコンが陳列されていた。それも、手頃な、いや安すぎる値段だ。なにかワケありなのだろう。まだ全機能健全です。という付箋がついていた。
 この値段だったらいますぐにでも買える。もういちど、パソコンに挑戦できる。来週の金曜日から放射能線治療を受ける。病院の往復には4時間もかかる。こんどこそ、小説を書くための最小限の操作は覚えてやる。おまえを征服してやる。征服なんておおげさなことではない。こころが高揚している。タメシ打ちをしてみた。
「ジャンクだから返品も修理もできません」と、念を押す店員のことばなどみみにはいらない。家路をいそいだ。
 まさかジャンクにしても、ノート型パソコンが手に入るとは予想もしていなかった。うれしかった。
 早速、家に帰って使いだした。まったく支障はなかった。それどころかフラットなのでキーの反発も柔らかい。打ちやすい。
 印字もきれいだ。プリンターにつないでの印刷時間。ワープロの時よりはるかに速い。紙繰りももちろん自動なのでさらに時間を短縮できる。
 村木は年甲斐もなく興奮した。新しい玩具をあたえられた幼児のように。はしゃぎながらパソコンを打ちつづけた。ノート型でなれれば、すでにあるデスクトップのパソコンもこんどこそ打てるようになるだろう。


                              TO BE COTINUE
コメント
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