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『昭和教育史の証言』 - 21 ( 続・村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-24 12:47:53 | 徒然の記

    《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏は斎藤たちき氏同様、全国的な著名人でないらしく、ネットで検索しても、詳しいデータが見つかりませんでした。

 「昭和10年、横浜市生まれ、平成24年76才で没」

 「昭和33年、横浜国立大学卒業後、川崎市の小学校勤務」

 「村田学級の名で知られる、独自の教育活動をおこなう」

 「昭和55年退職し、スペインに遊学」

 「セレスタン・フレネの自由教育運動に共鳴し、教師を対象とする教育工房を主宰」

 参考までに、「フレネ教育」についてネットで調べました。

  ・フランスの教師であったセレスタン・フレネが、自身の勤める公立学校で始めた教育である。

  ・現在では『現代学校運動』と呼ばれ発展を続け、スペイン、ドイツ、ブラジルなど世界38か国に広がっている。

  ・子どもたちの生活や興味から出発した、自由な表現による学習を重視しており、自由作文、学校印刷所、学校間通信などの、実践が行われている。

  ・学習は個別化されており、子供たちが自分で計画を立て、協働しながら学習を進めるという方法を取っている。

  ・また学年ごとのクラス分けでなく、子どもたちが異なる年令集団の中で、助け合ったり教え合うことを学ぶ。

 『日本の教師に伝えたいこと』の著者、大村はま氏の単元学習、戸塚廉氏らの『児童の村小学校』、あるいは無着成恭氏の『やまびこ学校』も、フレネ理論の影響下にあることが分かりました。
 
 従って反日左翼系の彼らは、多かれ少なかれ戦前の日本の教育について、下記共通の認識を持っています。
 
  ・これまでの教育は、生徒の人権を無視した、知識詰め込み教育だった。
 
  ・頭ごなしの教え方は軍国主義的であり、教える内容は全体主義だった。
 
  ・民主主義の教育は、教えるのでなく生徒自身に考えさせるのだ。
 
 戦前教育への反論の根拠として、フレネ理論が取り入れられていたのです。理論を全否定しませんが極論に走るのが間違いのもとで、ややもするとこうした人々は生徒を甘やかすことと人権尊重を混同します。
 
 横道へ逸れそうなので、余計なお喋りを止め、村田氏の証言に戻ります。
 
  ・戦後教育について語る人の多くが言及する書物に、文部省編教科書『民主主義』(上下)、がある。
 
 こう言って氏は、大江氏の意見を紹介します。後の説明が分かりやすくなるので、長くなりますがそのまま紹介します。結論の一部を先に言いますと、同じ反日左翼同士でも、いい加減な捏造は許されないという実例です。いい加減な捏造をしているのが、下記ノーベル賞の大江氏です。
 
  ・僕は、上下二冊の『民主主義』というタイトルの教科書が、僕に植え付けた熱い感情を思い出す。
 
  ・『民主主義』を使う新しい憲法の時間は、僕らに、何か特別のものだった。
 
  ・そしてまた、修身の時間の代わりの新しい憲法の時間、その実感の通りに、戦争から帰ってきたばかりの若い教師たちは、いわば敬虔にそれを教え、僕ら生徒は緊張してそれを学んだ。
 
  ・僕は今、《主権在民》という思想や、《戦争放棄》という約束が、自分の生活のもっとも基本的なモラルであることを感じるが、そもそもの発端は、新制中学の新しい憲法の時間にあったのだ。
 
 感動的な文章なので、そうだったのかとうなづきましたが、村田氏は納得しませんでした。氏はもう一人の捏造人間を例示し、大江氏と一緒に批判します。スペースがなくなりましたので、続きは次回とし即座に始めます。
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