ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『昭和教育史の証言』 - 22 ( 続々・村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-24 20:15:56 | 徒然の記

  《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏は更に、大江氏を評価する横浜国大教授宮島肇氏の意見を紹介します。宮島氏は大江氏を一つの世代の典型とみなし、「新憲法世代」となづけ、その独自性を下記のように好意的に説明します。

  ・それは端的に言うと、新憲法の精神と原理を、戦後日本の唯一最高の価値体系とみなし、

  ・政府も国も、教師も指導者も、国民大衆も生徒たちも一丸となって、純粋な気持ちで新憲法と民主主義の学習へと向かった時代に、

  ・その教育を受けて、世の中へ出ていった戦後世代のことです。

 村田氏が、宮島教授について紹介しています。

  ・宮島氏はかって、横浜国大哲学科の主任教授であり、僕はその不肖の弟子である。

  ・氏は飛鳥田市政のブレインとして、また長洲一二神奈川県知事擁立の立役者として活動されている方でもある。

  ・ちなみに記せば、僕は学年において大江氏の一つ下に当たり、彼が四国、僕が長野県の疎開先という違いはあるが、農村で民主主義を迎えたと言う事情についてはほぼ似通っている。

 ここで氏は、大江氏の話も宮島氏の話の中にも間違いがあると指摘します。「戦後民主主義における欠陥」と、氏の証言のタイトルにになっている  " 欠陥 " というのがそれです。次の二つの観点から、説明しています。

  ( 1 ) 大江氏への反証・・・詩人北川透氏の意見の紹介

  ( 2 ) 宮島氏への反証・・・文部省編教科書『民主主義』の内容検討

 右左に関係なく大事なことなので、なるべく省略せずに紹介したいと思います。

《 ( 1 ) 大江氏への反証・・詩人北川透氏の意見の紹介 》

  ・若い教師たちは戦いから帰っても、必ずしも敬虔に教えなかった。

  ・彼らは時にニヒルであり、時にアナーキーであり、そしてやがて体制に順応していった。

  ・『民主主義』はまともに教えられなかったし、教えられても反抗的な生徒は疎外されていった。

  ・わずか4、5年の間に「君が代」や「日の丸」 は否定され、また肯定され、そして再び強制されるようになった。

 つまり北川氏は、大江氏の語る教室とは異なる殺伐とした教室を語っています。同じ時期に同じように田舎で『民主主義』の教科書に接しても、別の事実があると読者に伝えています。

  ・「主権在民」や「戦争放棄」は、知識としては教えられたが、生徒会活動は弾圧される方向へ進んだ。

  ・軍国主義教育の信奉者だった教師が、民主主義教育のピエロを演じ信奉者に変じていった。

  ・そこには教師個人の人格問題を超えた、戦後思想、戦後民主主義そのものがあると考えるべきである。

 大江氏が素晴らしいと語った民主主義の授業の、対局にある意見です。トランプ氏とバイデン氏のどちらが正しいかと、異なる意見を聞いている時に似た気持です。

  ・理念の中では反抗的であったかもしれないが、生活に恵まれ、知識に恵まれていた大江たちエリートは、生活秩序の中では順応的であった。

  ・教師や生徒の心情の底にある大きな断層が、なし崩しに埋められるために戦後があったのではないか。

  ・その時「戦後思想」は何をし、「戦後民主主義」は何をすることができたのか。

  ・大江や「戦後民主主義」の守護者たちは、戦後批判を成り立たせなければならないところに、擁護を行おうとするのだ。

  ・そこで彼らに守られているものは、空疎な「理念 」に過ぎない。 」

 ここでやっと、私は北川氏の言わんとすることを理解しました。かって私が多くの学者たちが戦後にした「変節」批判と同じことを、大江氏に対し述べているのです。

 反日左翼とは言え、本気で信じたものを批判・検討もせずに捨てるのかと、そう言っている気がします。肝心の村田氏の意見がここで出てきます。

  ・展開された北川氏の大江批判は、氏を代表選手とする戦後民主主義擁護者へ、刺さる言葉だと僕は考える。

 続けて氏は、政府に妥協した日教組と社会党、日高六郎氏や丸山真男氏まで、反日左翼勢力のほとんどを批判します。ここまできますと、氏は反日左翼勢力の少数派となるのではないかと思います。次の宮島氏への反証も、この流れです。

《 ( 2 ) 宮島氏への反証・・文部省編教科書『民主主義』の内容検討 》

 スペース節約のため文章をやめ、箇条書きにしていきます。

  1. 共産主義は、ナチズムやファシズムと並ぶ全体主義である。

  2. 共産主義と対立するのが、民主主義である。

  3. 民主政治は、多数決主義と選良主義の長所を取りそれを組み合わせている。

  4. 進んだ資本主義の国では、私企業の活動をイタズラに押さえず、過度の自由経済の弊害を是正している。

  5. 進んだ資本主義の国では、政治を民主的に運用し、経済生活での民主主義を実現している。

  6. アメリカ合衆国のこれまでの道は、だいたいこの方向であったと言えよう。

  7. 労使協調による、産業平和の実現が大事である。

 こうして列挙してみますと、宮島氏による文部省編の教科書『民主主義』説明は、マルキストには簡単に受け入れられない内容です。

  ・大江氏に対する違和感を表明したいと思うのは、記憶の彼方から氏がたぐり寄せる民主主義にいささか糖衣が付着し、思い入れが過ぎる点がありはしないかということなのだ。

 前回の斎藤氏は無着氏を遠慮なく批判しましたが、村田氏は二人に対し抑制して語っています。それほど当時の大江氏と宮島氏が、時代の寵児であったということなのでしょうか。マスコミのもてはやす時代の寵児は無着氏も同じですが、歴史が必ずメッキを剥がします。

 紹介できない証人が残りましたが、予定通り本日で『昭和教育史の証言』の書評を終わり、「ねこ庭」を訪問された方々には感謝を申し上げます。

 次回からは、森口秀志氏編『教師』です。

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