ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『昭和教育史の証言 』- 4 ( 山田国博氏の証言 )

2021-01-09 20:02:34 | 徒然の記

  今回は、山田国博氏の証言を紹介します。

 《   2. 山田国博氏・・ 「長野県教員赤化事件と新興教育運動」》

 「明治40年長野県生まれ、昭和62年81才で没」

 「大正13年県立諏訪中学校卒業後、小学校代用教員」「共産党へ入党し、昭和8年検挙、昭和11年釈放」

 「昭和17年頃から東京の目黒、蒲田などの町工場で、徒弟教育の仕事に従事」

 「昭和21年から36年まで、民主化運動に従事」「党内闘争で、党を除名」

 氏の略歴は上記のとおりですが、本論に入る前に、「新興教育運動」という聞き慣れない言葉について、ネットで調べました。

  ・戦前の日本の代表的な教育運動の一つで、日本教育労働者組合 ( 昭和5年結成、略称・「教労」 ) と、新興教育研究所 ( 同年 8 月創立、「新教」 )によって、展開された運動のことである。

  ・教育労働者の、生活改善の要求を掲げる一方で、迫りくる帝国主義戦争に抗して、反戦平和の教育をおしすすめた。

  ・悪名高い日教組が敗戦後の昭和22年の結成ですから、「教労」と「新教」は、その母体なのでしょうか。何らかの糸で繋がっているのでしょうが、時間がないので省略します。

 長野県教員赤化事件と聞いてもピンときませんが、当時は大事件だったようで、氏の叙述から事実だけを抜き書きしてみます

  ・ 昭和8年2月4日、長野県永明村 ( 現茅野市  ) 

  ・ 小学校を中心に、県下65校で一斉検挙

  ・ 検束教員数 138名 ( 男122名、女16名 ) 

  ・ 実刑13名という、極めて大規模な治安維持法違反事件

 新聞は社会的影響を恐れて記事を差し止めにし、9月末まで一切の報道を禁止したと言いますから、保守政権でも、反日左翼の跋扈する現在でも、マスコミの「報道しない自由」、「国民に知らせない自由」は変わらないことが分かります。

 当時は世界恐慌と大凶作が重なり、農村の貧窮がひどく、一家心中、青田売り、娘売りなどあり、このために永明村で「赤化事件」が発生した、説明されていたそうです。しかし氏が、これを否定します。

  ・それは農村不況という、客観的条件ばかりでなく、永明小学校を中心に組織されていた、社会科学研究会 ( マルクス主義研究会 ) の活動が、県下の各学校で強化されていたことにより起因した、と見るのが正しいと思えるのである。

 氏の説明は、予想していなかった事実を教えてくれました。

  ・昭和5年4月、マルクス主義者河上肇の影響を受けた京大出身の河村卓が、永明小学校の教師となって赴任してきた。

  ・校内に潜在していたマルクス主義研究の青年教師と手を繋ぎ、研究会を組織し、これを指導した。

 洛陽の紙価を高からしめたという、あの「貧乏物語」著者として河上肇氏の名前は有名です。今にして思えばこの人物も、「白樺派的人道主義」の入口からマルクス主義に迷い込んだ人物と思っていますが、こんなところで名前が出てくるとは意外でした。

  ・この研究会は単にマルクス文献の研究ばかりでなく、日常の教育問題を捉えて検討し、迫り来る戦争の危機、迫り来る教育の危機について討議を重ねていた。

  ・もちろんこれは有志の研究会であり、ことに校長に発見されることを極めて警戒していた。」

 慎重に活動していたのに、彼らの運動が表に出る事件が持ち上がりました。不況のため税金の収められない農家が続出し、欠食児童、娘売りなどがあり、これを救うため、「教員給の1割を8ヶ月間差し引き、村に寄付する」という決定が、校長の独断で決められました。

 県下の小学校が同じ決定をしているので、当然賛同してくれるものと、校長は考えていました。しかし永明小学校の青年教師たちは、猛反発しました。

 ・こんな重大問題を、検討する時間も与えず決定した校長の態度は、不当だと、糾弾したのです。職員会議が連日開かれ、村議会や役場の責任者、村の青年団も加わり、校長案を修正させました。

 ・この過程で校長の権威が失墜し、青年教師の研究会メンバーが急拡大しました。

 勢いを得た河村卓は研究会の理論強化のため、「新興教育運動」のリーダーである羽仁五郎氏を迎え、学校で公開講演会を開きました。夜には市内の旅館で、氏を囲み座談会をしています。

 「先生、日本に革命はいつ頃来ますか。」

 「それは君たちの、努力次第です。」

 高揚した雰囲気の中で、こんな会話でなされたと書かれていますが、これが当時のマルクス信奉者たちの純粋さというのか、単純さというのか、空いた口が塞がりません。

 「古き良き時代の昭和」という言葉がありますが、反日左翼運動についても、この大らかさと無邪気さは、「古き良き時代の昭和」そのものに思えます。

 結果としてどういうことになったのか。次回は、それを報告いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする