ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『昭和教育史の証言 』- 15 (続・ むの たけじ氏の証言 )

2021-01-17 16:33:22 | 徒然の記

  《   7.  むの たけじ氏・・ 「 戦争責任を問う結び目と足場 」》

  ・教師の戦争責任を問い詰める作業は、すでに労働運動、教育研究運動、ジャーナリズムの領域で、幾たびか行われました。

  ・けれどそういう反省の作業が、日本の教育の現状に、どれだけ有効に働きかけることができたか、甚だ心許なく思われる。

 これが書き出しの言葉で、変節者らしい日本人論が始まります。

  ・今の教育界は、荒廃を語ること自体に疲れた荒廃の中にあるらしい。そのどこに、歴史意識が生きているのだろうか。

  ・私たち日本人の場合状況が行き詰まると、その対応が、ほぼ三つに別れていくようですね。

   1. 状況の暗さに目をつぶり、そこから逃げようと焦る

   2. 状況の暗さに気づき、抜け道や近道を見つけようと焦る。( 本質論では間に合わないと言って )

   3. 物事の本質を、見極めようとする

 3. 番目が本題かと読みますと、これがまた日本人批判です。

  ・この人たちの合言葉は、たいてい『原点』だ。当然そこでは、戦争責任がテーマとされる。

  ・まるで周忌の法要のようにして・・ところが法要というやつは、それをやっている時、やっている当事者には厳粛でドラマチックだが、終わってしまえばケロリだ

  ・当事者以外には、ナンセンスだろう。」

 これが三番目の日本人の対応の解説ですから、首を傾げたくなります。「物事の本質を見極めようとする日本人の話」でなく、敗戦の日の特集を組む、マスコミの行為を槍玉にあげているに過ぎません。

 朝日新聞、共同通信社、NHKを筆頭に、全国のマスコミが「周忌の法要のように」8月になると大合唱します。

 「戦争の惨禍を忘れるな。」「二度と戦争をしてはならない。」「戦争の記憶を風化させるな。」と、毎年一面トップで大騒ぎします。

 こんなバカを繰り返しているのは、「物事の本質を見極めようとする日本人」でなく、氏と同じ反日マスコミです。説明は物事の本質に触れていませんが、氏は日本人の何を分析したと思っているのでしょう。

 続く文章も繋がらない叙述ですが、そのまま紹介します。

  ・のっけから悪態めいたことを述べたのは、嘆きがあるからだ。」

  ・私は日頃、20才前後の青年たちの学習会に頻繁に参加してきたが、自分の直面している問題を、先輩たちの歴史体験とつき合わせて考えようとする若者が、いないわけではない。

  ・が、そういう青年たちは、広大な宇宙の中で数えられる、わずかな星の数ほどですな。

  ・戦争体験 ?  戦争責任 ?  そんなことは、オヤジ・お袋の問題だろう。俺たちには関係ない、と言って済ませる若者の方が数えきれない。

   ・この国の青年の多くが、家庭生活で、学校生活で身につけたものは、歴史の連続をバラバラにする能力だったのかと、首を傾げてしまいます。

 冗長な文章が続きますので引用するのを止め、「ねこ庭」で要約します。氏が言いたいのは、過去を無視する若者が増えたのは、教師や大人が本気で反省していないからだそうです。

 本気で反省するというのは、「日本だけが、間違った戦争をした」「日本だけが悪かった。」という、「東京裁判」の結果を受け入れることを指しています。

 氏の意見の特徴は、結論を明確にせず遠回しに述べるところです。反日左翼でもなく、もちろん愛国者でもなく、聞き様によって変化し、なんとなく人道的なリベラルの響きがします。

  ・戦争体験を検証する作業から、そういう欠陥を除去するには、いったい何が必要か。

  ・それをハッキリさせなければと思いつつ、教師の戦争責任という主題を考えると、私は言いようがなく複雑な気持ちになる。

 ここからが、愛国記事を書いた記者からマルキシストに変貌した「むの たけじ」の証言となります。自分の反省をせず、教師の責任を指摘する意見です。

  ・戦時中のわが国の教師たちが忠君愛国の時流に巻き込まれ、その奉仕者となり、普及者となって、民族の歴史も青少年も裏切った罪過については、一点の弁護の余地もあるまい。

  ・世の中全体がそうだったから、当時としては仕様がなかったというのは、卑怯の恥の上塗りとなろう。

  ・戦時中の教育者は、教え子を易々と軍国主義に売り渡したという糾弾を、何度か見たが、これは事実認識を誤らせかねない。

  ・そういう言い方は当時の教師が無節操で、人買いの手先でもつとめたように聞こえるが、実情は逆だった。

  ・教師たちは、着ていた国民服のように糞真面目で律儀だった。だから無力だった。

  ・教え子を売り渡した、という表現が当てはまるほどの力はなかった。実際には、無力過ぎましたな。

 この文章は筆談なのか、文節の区切りに話し言葉が混じり、他人事のような口調が不快感を誘います。それなら新聞記者時代の自分は、どうだったのだ。

 「わが皇軍の行くところ敵なし。」「鬼畜米英の勢い止まらず。」と、盛んに書いた記事の責任はどうするのかねと、問い返したくなります。

 そろそろスペースが無くなりますので、今回はここで一区切りとし、次回も氏の証言を紹介します。泥棒をやめ、警官になったつもりでいるこのマルキストのいい加減さを、息子たちに伝えなくてなりません。

 それが、歴史をつなぐ親の役目ですから。

コメント (4)
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