ねこ庭の独り言

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『昭和教育史の証言 』- 20 ( 村田栄一氏と大江健三郎氏 )

2021-01-23 16:08:38 | 徒然の記

 『昭和教育史の証言』の書評も、今回で20回目になります。元々は去年の11月に、本棚に残っていた教育関係の書を、読むことから始まりました。下記の11冊がそれで、青字で表示した本が、読み終えたものです。

  1. 『教育への告発』    2. 『いま教育を問う』

  3. 『いじめと不登校』   4. 『教師』

  5. 『昭和教育史の証言』  6. 『学校は変われるか』

  7. 『教なき国民は滅ぶ』  8. 『学校崩壊』 

  9. 『教育問答』      10. 『ジャカルタ日本人学校の日々』

  11. 『日本の教師に伝えたいこと』

 『昭和教育史の証言』の最終の「戦後編」となり、あと一人紹介したら、この書評が終わりです。教育書シリーズがあまりに長いため、最初の目的を忘れてしまいました。

 ブログは息子たちに贈る遺言でもありますから、漫然と続け、無意味なものに変じさせてはなりません。一度初心に戻り、ブログの「目的の再確認」をいたします。

 きっかけは、政界を騒がせている「日本学術会議」でした。一握りの反日・左翼学者の団体が、予想以上に学校教育を歪めている事実を知りました。

 戦後の教育が、日教組と文部省の対立で動いていたことは知っていましたが、ここまで侵食されていたとは考えませんでした。ナチズムと「東京裁判史観」は別物なのに、反日左翼学者は、これを同列に並べ日本を批判攻撃します。

 敗戦後の日本では、一流の学者と新聞がこぞって日本批判をし、国の歴史や文化まで否定しました。そして学校では教師たちが、「東京裁判史観」を教えていたのです。

 真理を追求するのが学者だと、世間ではそう信じている人が沢山います。一流と呼ばれ尊敬される学者の中にも、自己保身のために意見を言う人間がいることを、「学術会議」のおかげで知りました。

 「私は今日から、未読のままにしていた教育関係の本を集中して読みます。」

 これが昨年11月の決意で、現在に至る・・・と再確認しましたので、『昭和教育史の証言』へ戻ります。今回は、「戦後編」の最後の証人の紹介です。

   《   8.  村田栄一氏・・ 「 戦後民主主義における欠落 」》

 村田氏を取り上げたのは、大江健三郎氏について語っているからです。前回、斎藤氏が無着成恭氏を批評していたように、村田氏も大江氏に言及しています。

 大江氏は自らを「戦後民主主義者」と称し、国家主義と天皇制を一貫して否定しています。「護憲」という立場から憲法九条を高く評価し、自衛隊を嫌悪する人物でもあります。

 氏は、文化勲章が天皇から授与されるという理由で拒否しましたが、ノーベル賞は喜んで受けました。氏の中では、ノーベル賞は学術賞だが文化勲章は国家勲章だという区別があるのだと聞きます。ノーベル賞の中には学術賞でなく、平和賞のように、国際政局がらみの政治賞もあります。

 いずれの賞も国の権威である、皇室と王室が授与します。権威を否定するというのなら、ノーベル賞も拒否するのが筋というものでしょう。氏の行為は、単なる「天皇嫌い」、「日本嫌い」でしかありません。

 尖閣諸島も竹島も、過去に日本が侵略したのだと氏は主張し、日本政府を批判しています。平成18年に中国に招かれ訪中した時は、「南京(虐殺)記念館」で日本批判をし、小泉首相の靖国参拝は「日本の若い世代の将来を損ねる」と述べ、中国政府を喜ばせています。

 小説の世界でなら、世迷いごとを作品にしても問題になりませんが、政治の世界で「たわごと」を言われると、厄介なことが生じます。ノーベル賞と聞けば、理屈抜きで有り難がる人間が日本には山のようにといますから、受賞者の氏が言うのなら間違いあるまいと、尖閣、竹島、靖国、憲法、ついには天皇陛下まで、全て日本が悪いと信じる愚か者を増やす結果になります。

 いったい氏は本当に知識人なのか。日本の歴史や文化について何を知っているのか。手のつけようもない日本憎悪と、他を圧倒する偏見は、いったいどこから生まれたのか。そもそも氏は日本人なのか。

 今でも疑問だらけの氏を村田氏が批判していますので、取り上げたくなりました。村田氏の略歴と証言につきましては、次回からといたします。

コメント (4)
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