■ 岡本文弥さん 百歳の演奏会、生涯忘れ得ぬ感動 ■
2011 . 10 . 2 中村洋子
★2011年 9月 25日の東京新聞・芸能欄、
「 反戦と労働者の立場に立ち、“ 赤い新内 ( 左翼新内 ) ”と
呼ばれた岡本文弥が、百一歳で他界して15年 」 、
「 10月 9日 午後 6時半から、旧東京音楽学校奏楽堂で、
≪ 岡本文弥没後 十五年祭 ぶんや恋しや新内の夕べ ≫ が開かれる 」
という記事が、掲載されていました。
★「 文弥さん 」 という、懐かしいお名前・・・。
眼前に、文弥さんが、百歳のときになさった演奏会が、
蘇ってきました。
★文弥さんのお住まいは、台東区谷中の、
細い路地沿いに、ありました。
谷中は、お寺が立ち並び、最近では、「 谷根千 」 の一角として、
休日ともなれば、カメラを手に、スニーカー姿の人たちで賑わい、
さながら、京都のようです。
★当時、私はその近くに、住んでおりました。
ある日、散歩中に偶然、「 岡本文弥 」 という、
表札が、目に入ってきました。
その表札は、それはそれは小さく、名刺ほどの大きさ。
しかし、黒い板に、岡本文弥という美しい字体が、
金色に、浮き上がって見えます。
素晴らしい工芸作品なのでしょうか、
存在感に、満ちていました。
★文弥さんのお家は、門も庭もなく、
小さいというよりは、狭小な、まことに質素な家でした。
玄関の硝子戸が路地に、直接面していました。
しかし、戸の周りの壁は、黒い板塀。
垢ぬけています。
どこか料亭にも似て、小粋でした。
★本箱を探しますと、その演奏会のチラシが見つかりました。
「 1995年 10月 15日 」 でした。
私は、その演奏会を、一生忘れないでしょう。
★谷中の、廃業したお風呂屋さんが会場でした。
桟敷のように、その床に、観客は膝をくっつき合わせて座りました。
お弟子さんの演奏が続き、トリ ( 最後 )が、文弥さん。
三味線に合わせ、文弥さんが、
「 ぶんやありらん 」 を、歌い始めます。
強く、厳しいリズム、
聴いている私たちは、体が床にめり込むような、
迫力を、感じます。
そして、それがとても心地よい。
★腹の底から、伝わってくる声も、
お歳を感じさせない、張りと艶。
百歳になっても、毎日の修練はさぞや、と驚かされます。
朝鮮人慰安婦の、悲しみを歌った
「 ぶんやありらん 」 の世界と、
沁み入るような声が、よく合います。
★Lotte Lehmann ロッテ・レーマン (1888~1976) が歌う、
Robert Schumann ロベルト・シューマン (1810~1856) の、
「 Frauen Liebe 女の愛と生涯 」 に、比肩できるか、
という、高みです。
★このような経験、真の芸術を体験したのは、
日本の演奏家では、観世寿夫さんの謡い、
嘉手刈林昌さんの太鼓・・・など、
本当に、ごく限られます。
★文弥さんは、お金も名声も求めず、
( きれいな恋愛を、随分となさったそうですが ) 、
ひたすら、芸に打ち込んだ百歳でした。
このような、真の芸術に 「 出会えてよかった・・・ 」 と、
心から、思います。
★それ以来、文弥さんの 「 邦楽いろは歌留多 」
( 邦楽新書 ) は、私の座右の書、となりました。
★≪ い : 一芸一途 余念なく ≫ のように、
文弥さんの実体験に基づく、信念が書かれ、解説も加えています。
含蓄に、満ちています。
少々、ご紹介します。
★≪ ろ : 路地暮しでも、あの師匠 ≫、
解説 「 豪邸暮しだから立派な師匠とは限らない。
無名の老師匠でも、『 よく見れば ナズナ咲く 』 ものです 」
何気なく見過ごす雑草の 「 ナズナ 」 に、価値を見出し、
“ 美しい ” とみる、 研ぎ澄まされた感性。
★≪ な : 名前売るより 芸磨け ≫
≪ き : 気が滅入れば 芸も滅入る ≫
解説 「 その点、彼女ができたりすると、芸が一度に開花する 」
ご自身の体験に基づく、微笑ましいお話、
洒脱なお人柄が、偲ばれますね。
★≪ や : 野心が芸を 堕落させる ≫ は、古今東西の真実でしょう。
解説 「 ひたすら芸の上達を願って精進することを
『 野心 』 とはいえない。
芸渡世の中で 何かイヤらしいものがある。
それはお仲間に 何となく分かる。
それが 野心です。
そういう野心家の芸には、 『 こび、ヘツライ 』 が付きまとう。
聴くに耐えない 」
≪ け : 芸知らぬ人の芸評 気にしない ≫
これも、真理を衝いています。
★≪ め : 免状は 世間がくれる ≫
反骨の文弥さんは、 「人間国宝 」 にはならず、
「人間骨董です」 と、おっしゃっていたそうです。
≪ み : 身にしみる あの人の芸 またききたい ≫
★私は 、 Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー や、
Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) の演奏は、
毎日聴きたいと、思います。
しかし、いま巷で人気のある、アルゲリッチ や ポリーニの演奏は、
聴きたくは、ありません。
その演奏は、部分的に、宝石のように輝いて聴こえることがあるにせよ、
「 音楽 」 としての構成が弱すぎ、曲を聴き通すのが、苦痛になるのです。
構造物としての音楽の形が、立ち上ってこないため、
聴いている途中、よそ事が頭に浮かんでしまいます。
退屈なのです。
アルゲリッチが、ピアノ独奏曲を弾かない、弾けない理由も、
よく、分かります。
★とはいえ、文弥さんも 、
≪ す : 好きな芸でも 押し売りせず ≫ と、おっしゃっており、
ポリーニやアルゲリッチが好きな人は、気にしないでください。
≪ し : 自慢より 自信 ≫
解説 「 自慢はしゃべり 自信は沈思黙考 」
毎日毎日、勉強して 自信をつける
( 自分を信じること ) しかありませんね。
★≪ か : 金追って 芸追い付かず ≫
お金とは、あまり縁のない 「 キレイな 」 一生を送られた文弥さん。
魅力的な方でした。
天国に召されてから、15年たちましても、
たった一回の出会いを、生涯懐かしむ音楽家が、
一人、ここにいるのです。
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