音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ お能「定家」を、関根祥六のシテで観る ■

2009-10-31 23:58:35 | ■伝統芸術、民俗音楽■
■ お能「定家」を、関根祥六のシテで観る ■
                     09.10.31 中村洋子


★本日は、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で、

能「松尾」(宝生流)と、狂言「魚説教」(大蔵流)、そして、

能「定家」(観世流)の三演目を、観て参りました。


★四時間超、小休憩一回の長い舞台でしたが、三演目とも、

素晴らしく、長さを感じることもなく、私にとって、

これまでの中でも、特に、心に残る観能体験でした。


★特に「定家」が、素晴らしく、忘れ難い経験となりました。

関根祥六(1930年生)さんが、前シテの「里の女」と、

後シテの「式子内親王=しょくしないしんのう」を、演じます。

演題になっている藤原定家は、舞台には登場しません。

しかし、「式子内親王」の恋人であった定家は、

親王の死後も、彼女への思慕を断ち難く、

彼女の塚に「葛」となって、絡みつきます。

「葛」が、定家を象徴するだけです。


★揚幕が上がります。

時雨降る、寂しい秋。

シテの「里の女」は、「若女」の能面を付け、華やかな橙色の装束。

「里の女」、実は、「式子内親王」の霊が、静々と現れ、

「なう なう 御僧 何しにその宿りへは 立ち寄り候うぞ」と、

低く、呟き始めます。


★「なう なう」という声が、響き始めると、

能楽堂の空間は、この現世から、暗く底知れない、

あの世の深みへと、音もなく落ち込んでいきました。


★呟くような小声、しかし、鍛え抜かれた声、

床を這うように、能楽堂全体を、巡り回ります。


★同じ体験を、したことがあります。

メゾソプラノのフィオレンツァ・コッソット、全盛期の彼女が、

上野文化会館で、オペラのアリアを静かに、歌い始めた時です。

彼女の声が、客席の通路を、まるで蛇が這うように、

床の上を、伝い走りました。


★声に重さがあるわけでは、ないのですが、

お二人の声は、霧が足元にまとわりつくように、

重心が低く、下の方から聴こえてきます。


★また、シテの関根祥六さんは、言葉の一つ一つに、

深い意味と、相互に有機的関連をもたせ、まるで、

バッハの音楽の「モティーフ」のように、謡います。


★能の「定家」は、何回か観たことがありますが、

この長い能を、飽きさせず、一気に終局まで導き、

観客を引き込む技量は、感嘆すべきものです。

それは、彼の描いた全体の設計図が、素晴らしいからです。


★後シテの「式子内親王」は、純白の装束。

この能面は、「霊女」。

刻は、月が出始めた夕暮れ。

「式子内親王」の霊は、旅の僧に、供養してもらいます。

解説書では、「式子内親王」は、喜びと感謝を表し、

格調高く、静かに「序の舞」を舞うと、書かれています。


★きょうの関根祥六さんは、感謝の気持ちで舞いこそすれ、

懊悩は、癒されるどころか、さらに深まっていく・・・、

そのように、演じていたと、私は、感じました。

「序の舞」を舞い終わった後、「式子内親王」は、

舞台上の葛が茂る「塚」に、また、吸い寄せられるように、

入っていってしまいます。


★この「塚」の頂に飾られている「葛」が、「定家」の象徴ですが、

「塚」に引き込まれる、白装束の「式子内親王」の左手に、

赤く鮮やかに、紅葉した「葛の葉」が、一瞬、見えました。

もう一度、目を凝らしますと、それは実は、

左手に握った、朱色の扇の端でした。

紅葉した「定家葛」が、「式子内親王」の体に、

まつわりつく、定家の妄執の凄さを、演出したのでしょうか。


★前シテが一度姿を消した後、この物語の由来を語る「アイ狂言」の、

「所の者」を演じた、山本東次郎(1937年生)の、

一語一語を、かみ締める言葉の強さは、

祥六さんと、互角の力をもち、それにより、

このお能が、破綻することなく、完結したのです。


★地謡の観世清和、関根知孝など八人は、

そのシテ、ワキ、アイをつなぎ、

あたかも、牛車の大きな車輪を、

ゆっくりと引いていくように、

重いテーマのこの物語を、導いていきました。

見事です。


★囃子方も含め、実力者ぞろいの配役を、

求心力をもって、纏め上げることができた、

この「定家」に、観客として、参加できたことは、

とても、幸せで、かつ、幸運でした。


★お能の主人公は、主に亡霊であったり、神であったり、

この世のものでないことが、ほとんどです。

どこまでも、救われることのない主人公が、

静かに舞台から去り、「定家」は、終幕となります。

演者がすべて去った後の、静寂を味わいたいと、

思いましたが、残念ながら、

拍手により、静寂が破られてしまいました。


                          (山茶花)
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