■ お能「定家」を、関根祥六のシテで観る ■
09.10.31 中村洋子
★本日は、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で、
能「松尾」(宝生流)と、狂言「魚説教」(大蔵流)、そして、
能「定家」(観世流)の三演目を、観て参りました。
★四時間超、小休憩一回の長い舞台でしたが、三演目とも、
素晴らしく、長さを感じることもなく、私にとって、
これまでの中でも、特に、心に残る観能体験でした。
★特に「定家」が、素晴らしく、忘れ難い経験となりました。
関根祥六(1930年生)さんが、前シテの「里の女」と、
後シテの「式子内親王=しょくしないしんのう」を、演じます。
演題になっている藤原定家は、舞台には登場しません。
しかし、「式子内親王」の恋人であった定家は、
親王の死後も、彼女への思慕を断ち難く、
彼女の塚に「葛」となって、絡みつきます。
「葛」が、定家を象徴するだけです。
★揚幕が上がります。
時雨降る、寂しい秋。
シテの「里の女」は、「若女」の能面を付け、華やかな橙色の装束。
「里の女」、実は、「式子内親王」の霊が、静々と現れ、
「なう なう 御僧 何しにその宿りへは 立ち寄り候うぞ」と、
低く、呟き始めます。
★「なう なう」という声が、響き始めると、
能楽堂の空間は、この現世から、暗く底知れない、
あの世の深みへと、音もなく落ち込んでいきました。
★呟くような小声、しかし、鍛え抜かれた声、
床を這うように、能楽堂全体を、巡り回ります。
★同じ体験を、したことがあります。
メゾソプラノのフィオレンツァ・コッソット、全盛期の彼女が、
上野文化会館で、オペラのアリアを静かに、歌い始めた時です。
彼女の声が、客席の通路を、まるで蛇が這うように、
床の上を、伝い走りました。
★声に重さがあるわけでは、ないのですが、
お二人の声は、霧が足元にまとわりつくように、
重心が低く、下の方から聴こえてきます。
★また、シテの関根祥六さんは、言葉の一つ一つに、
深い意味と、相互に有機的関連をもたせ、まるで、
バッハの音楽の「モティーフ」のように、謡います。
★能の「定家」は、何回か観たことがありますが、
この長い能を、飽きさせず、一気に終局まで導き、
観客を引き込む技量は、感嘆すべきものです。
それは、彼の描いた全体の設計図が、素晴らしいからです。
★後シテの「式子内親王」は、純白の装束。
この能面は、「霊女」。
刻は、月が出始めた夕暮れ。
「式子内親王」の霊は、旅の僧に、供養してもらいます。
解説書では、「式子内親王」は、喜びと感謝を表し、
格調高く、静かに「序の舞」を舞うと、書かれています。
★きょうの関根祥六さんは、感謝の気持ちで舞いこそすれ、
懊悩は、癒されるどころか、さらに深まっていく・・・、
そのように、演じていたと、私は、感じました。
「序の舞」を舞い終わった後、「式子内親王」は、
舞台上の葛が茂る「塚」に、また、吸い寄せられるように、
入っていってしまいます。
★この「塚」の頂に飾られている「葛」が、「定家」の象徴ですが、
「塚」に引き込まれる、白装束の「式子内親王」の左手に、
赤く鮮やかに、紅葉した「葛の葉」が、一瞬、見えました。
もう一度、目を凝らしますと、それは実は、
左手に握った、朱色の扇の端でした。
紅葉した「定家葛」が、「式子内親王」の体に、
まつわりつく、定家の妄執の凄さを、演出したのでしょうか。
★前シテが一度姿を消した後、この物語の由来を語る「アイ狂言」の、
「所の者」を演じた、山本東次郎(1937年生)の、
一語一語を、かみ締める言葉の強さは、
祥六さんと、互角の力をもち、それにより、
このお能が、破綻することなく、完結したのです。
★地謡の観世清和、関根知孝など八人は、
そのシテ、ワキ、アイをつなぎ、
あたかも、牛車の大きな車輪を、
ゆっくりと引いていくように、
重いテーマのこの物語を、導いていきました。
見事です。
★囃子方も含め、実力者ぞろいの配役を、
求心力をもって、纏め上げることができた、
この「定家」に、観客として、参加できたことは、
とても、幸せで、かつ、幸運でした。
★お能の主人公は、主に亡霊であったり、神であったり、
この世のものでないことが、ほとんどです。
どこまでも、救われることのない主人公が、
静かに舞台から去り、「定家」は、終幕となります。
演者がすべて去った後の、静寂を味わいたいと、
思いましたが、残念ながら、
拍手により、静寂が破られてしまいました。
(山茶花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.10.31 中村洋子
★本日は、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で、
能「松尾」(宝生流)と、狂言「魚説教」(大蔵流)、そして、
能「定家」(観世流)の三演目を、観て参りました。
★四時間超、小休憩一回の長い舞台でしたが、三演目とも、
素晴らしく、長さを感じることもなく、私にとって、
これまでの中でも、特に、心に残る観能体験でした。
★特に「定家」が、素晴らしく、忘れ難い経験となりました。
関根祥六(1930年生)さんが、前シテの「里の女」と、
後シテの「式子内親王=しょくしないしんのう」を、演じます。
演題になっている藤原定家は、舞台には登場しません。
しかし、「式子内親王」の恋人であった定家は、
親王の死後も、彼女への思慕を断ち難く、
彼女の塚に「葛」となって、絡みつきます。
「葛」が、定家を象徴するだけです。
★揚幕が上がります。
時雨降る、寂しい秋。
シテの「里の女」は、「若女」の能面を付け、華やかな橙色の装束。
「里の女」、実は、「式子内親王」の霊が、静々と現れ、
「なう なう 御僧 何しにその宿りへは 立ち寄り候うぞ」と、
低く、呟き始めます。
★「なう なう」という声が、響き始めると、
能楽堂の空間は、この現世から、暗く底知れない、
あの世の深みへと、音もなく落ち込んでいきました。
★呟くような小声、しかし、鍛え抜かれた声、
床を這うように、能楽堂全体を、巡り回ります。
★同じ体験を、したことがあります。
メゾソプラノのフィオレンツァ・コッソット、全盛期の彼女が、
上野文化会館で、オペラのアリアを静かに、歌い始めた時です。
彼女の声が、客席の通路を、まるで蛇が這うように、
床の上を、伝い走りました。
★声に重さがあるわけでは、ないのですが、
お二人の声は、霧が足元にまとわりつくように、
重心が低く、下の方から聴こえてきます。
★また、シテの関根祥六さんは、言葉の一つ一つに、
深い意味と、相互に有機的関連をもたせ、まるで、
バッハの音楽の「モティーフ」のように、謡います。
★能の「定家」は、何回か観たことがありますが、
この長い能を、飽きさせず、一気に終局まで導き、
観客を引き込む技量は、感嘆すべきものです。
それは、彼の描いた全体の設計図が、素晴らしいからです。
★後シテの「式子内親王」は、純白の装束。
この能面は、「霊女」。
刻は、月が出始めた夕暮れ。
「式子内親王」の霊は、旅の僧に、供養してもらいます。
解説書では、「式子内親王」は、喜びと感謝を表し、
格調高く、静かに「序の舞」を舞うと、書かれています。
★きょうの関根祥六さんは、感謝の気持ちで舞いこそすれ、
懊悩は、癒されるどころか、さらに深まっていく・・・、
そのように、演じていたと、私は、感じました。
「序の舞」を舞い終わった後、「式子内親王」は、
舞台上の葛が茂る「塚」に、また、吸い寄せられるように、
入っていってしまいます。
★この「塚」の頂に飾られている「葛」が、「定家」の象徴ですが、
「塚」に引き込まれる、白装束の「式子内親王」の左手に、
赤く鮮やかに、紅葉した「葛の葉」が、一瞬、見えました。
もう一度、目を凝らしますと、それは実は、
左手に握った、朱色の扇の端でした。
紅葉した「定家葛」が、「式子内親王」の体に、
まつわりつく、定家の妄執の凄さを、演出したのでしょうか。
★前シテが一度姿を消した後、この物語の由来を語る「アイ狂言」の、
「所の者」を演じた、山本東次郎(1937年生)の、
一語一語を、かみ締める言葉の強さは、
祥六さんと、互角の力をもち、それにより、
このお能が、破綻することなく、完結したのです。
★地謡の観世清和、関根知孝など八人は、
そのシテ、ワキ、アイをつなぎ、
あたかも、牛車の大きな車輪を、
ゆっくりと引いていくように、
重いテーマのこの物語を、導いていきました。
見事です。
★囃子方も含め、実力者ぞろいの配役を、
求心力をもって、纏め上げることができた、
この「定家」に、観客として、参加できたことは、
とても、幸せで、かつ、幸運でした。
★お能の主人公は、主に亡霊であったり、神であったり、
この世のものでないことが、ほとんどです。
どこまでも、救われることのない主人公が、
静かに舞台から去り、「定家」は、終幕となります。
演者がすべて去った後の、静寂を味わいたいと、
思いましたが、残念ながら、
拍手により、静寂が破られてしまいました。
(山茶花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲