音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■“ 現代のBeethoven ”を批判する資格がありや?、Kripsの見事な Tchaikovsky■

2014-02-10 01:12:02 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■“現代のBeethoven ”を批判する資格がありや?、Kripsの見事な Tchaikovsky■

             2014.2.10   中村洋子




★“ 現代の Beethoven ” などと、マスコミがもち上げ、

こぞって大宣伝してきた人物の作品が、

本人ではなく、ゴーストライターが作曲していた、

「 聾 」 ではなく、耳が聴こえていた・・・と、

日本中が騒がしいです。


★今回の事件と同種のことは、当ブログで昨年 7月、

Valery Afanassiev ヴァレリー・アファナシエフ ( 1947~ ) の、

著作 「 ピアニストのノート 」 ( 講談社選書メチエ )を基に、

Anatol Ugorski  アナトール・ウゴルスキ (1942~)という

ピア二ストの話で、書きましたので、どうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/201307


中山千夏さんが、2月 8日東京新聞夕刊のコラム 「 紙つぶて 」 で、

以下のような意見を述べられています。

『 代作事件 』
≪ 「 別れのサンバ 」 という曲で一世を風靡した長谷川きよしさんは
「 全盲の歌手 」 というレッテルを貼られることは拒否し続けた。
私も 「 元子役の 」 とか 「 女流の 」 とかを、よきにつけても
悪しきにつけても、私の小説の第一義にはされたくない。

どんな人が作曲しようが、演奏しようが、音楽はまず音楽で
評価すべきだ。作者や演奏者の特性は、付け足しである。

「 全盲の 」 音楽家に感動する心の裏には、そんな人間に
大したことはできない、という無意識の差別感がる。

そしてギョウカイには、障害でもなんでも
儲けのタネに利用する
風潮がある。きよしがマスコミに背を向けたのは、それもあったに
違いない。

 一作曲家の代作がバレた。代作事件にしてはえらい騒ぎだ。
大手マスコミが
軒並み謝っている。これまで代作に気づかず、
持て囃したことを反省すると。

的を外すな。よく考えろ。ただ作品をもてはやしたのではあるまい。
 「全聾」のレッテルでわれわれの差別感を助長し、
営業に資したことをこそ、
この際、深く反省し改めてほしいものだ 」

★≪ どんな人が作曲しようが、演奏しようが、音楽はまず音楽で
評価すべきだ。作者や演奏者の特性は、付け足しである ≫

その通りであると、思います。






★詐欺師に騙されないためには、本物を聴き、楽譜を読み込み、

勉強するしかありません。

きょうは、Josef Krips ヨーゼフ・クリップス指揮の

チャイコフスキー 交響曲第5番を、聴いていました。

Krips クリップス の指揮は、本物の演奏です。

DECCA UCCD-3826 1958年録音 Wiener Philharmoniker

( 毎度のことですが、CD の日本語解説には、

「 曲の最後のリタルダンドも洗練されたものとは言い難いが 」

など、意味不明なことが書かれていますが、無視。)


Pyotr  Tchaikovsky ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)

ほど、
現代日本における、指揮者の自己顕示の犠牲になった作曲家、

大仰に飾り立てた演奏で、その真価が誤解されている作曲家は、

いないかもしれません。


★本物の演奏を聴き、楽譜を読み込む、

そうしますと、オーケストレーションが、実にシンプルなのが分かります。

オーケストラが、一つの大きな楽器として、艶やかに鳴り響くのです。

そして、作品の中の ≪ counterpoint 対位法 ≫ を、

見つける努力をしましょう。


★この王道ともいうべき、勉強方法で対処すれば、

偽物が近づこうとしても、近寄ることはできないでしょう。

メフィストフェレスは、尻尾を巻いて逃げていくのです。






★スコアを見ていますと、 Bach の Brandenburg concerti

 ( original title: Six Concerts à plusieurs instruments)

ブランデンブルク協奏曲に似て、

室内楽のように、書かれている部分が大変に多いのです。

意外にも、 tutti 総奏 が、曲に対するイメージと比べ、少ないのです。

それだから、こそ、 ff  の tutti 総奏 が生きてくるのです。


★譜の読み込み方は、 Bach を読むのと変わりないのです。

そうしますと、第 2楽章 Andante cantabile

32小節目から始まります、Cello の甘く伸びやかな、

旋律が、どこから生まれてきたか、分かります。


★36小節目は、Cello としては、やや高い音域にありますが、

それが、逆に高貴な音色となって、forte の効果と相俟って、

この曲、独特の魅力となっています。

2拍目の  「 h1  1点ロ音 」 が、このフレーズの最高音となり、

一度はなだらかに、下降していきます。

その後、また、上昇に転じ、再度、41小節目で、

 「 h1  1点ロ音 」 の repeated notes が Cello により、

奏せられます。


★この repeated notes は、 41 ~ 43小節までの 3小節間、

何度も立ち現れ、ここが第 2楽章の白眉となります。

この第2楽章の 「 h1  1点ロ音 」 の repeated notes は、

実は、1楽章の 3小節目のクラリネットによって

奏される  「 h 」  の 3つの repeated notes から、

有機的に発展してきたものです。


★Krips クリップスは、それを、

見事に、巨視的に捉えています。

聴衆は、それが手に取るように分かります。

構造が分かるように演奏するのは、

至難の技でしょう。


★しかしながら、この分析方法は、 Bach の Wohltemperirte Clavier

平均律クラヴィーア曲集を、勉強していますと、

難なく、手に入ります。

Tchaikovsky のこの曲が傑作である、ということは、

Bach に立脚しているからに、他ならないからです。

Krips クリップスの見事なアプローチも、

西洋クラシック音楽の本筋に、則っているからです。


★ロシアものだからといって、重たく暗いリズムで、

ねっとりと歌い込むことは、Tchaikovsky が、

求めていなかったことは、自明の理です。





★Josef Krips ヨーゼフ・クリップス(1902-1974)は、In 1938, the Nazi annexation of Austria (or Anschluss) forced Krips to leave the country. (He was raised a Roman Catholic, but would have been excluded from musical activity because his father was born Jewish.)[1] Krips moved to Belgrade, where he worked for a year with the Belgrade Opera and Philharmonic, until Yugoslavia also became involved in World War II. For the rest of the war, he worked in a food factory.
 On his return to Austria at the end of the war in 1945 Krips was one of the few conductors allowed to perform, since he had not worked under the Nazi régime. He was the first to conduct the Vienna Philharmonic and the Salzburg Festival in the postwar period.


★Krips は、ユダヤ系であることから、ナチに迫害されました。
 
しかし、 Ugorski ウゴルスキのように、

“ 迫害 ”  を売物にはしていません。 

芸術家は、その作品だけで勝負するのです。


★指揮者がいくら、身振りたっぷり、ジェスチャーを見せましても、

出てきます音楽とは、関係ないことでしょう。

私は、 “ 現代の Beethoven ” に、全く興味もなく、知らないのですが、

聴くまでもなく、このような西洋クラシック音楽の、

本筋、王道である音楽ではないことは、間違いないと思います。


★ ” 現代の Beethoven ” が、ゴーストに依頼した “ 設計書 ”の写真 が、

新聞に出ていました。

そこに描かれているのは、
音の盛り上がり、音響効果だけで作る音楽、

図式として作っていく音楽です。

それでは、
対位法を基本として有機的な成長を 「 構造 」 にもつ音楽を、

決して、作れないからです。

ベートーヴェンのようなクラシック音楽ではない、といえます。


その場、その場のムードを、 「 悲しみ 」 やら、 「 祈り 」 などと名付け、

それらしく作ったとしても、その感情すら偽物と断言できましょう。

いま、世間を欺いた二人の男性が、ヒステリックに断罪されていますが、

それを持ち上げ、賛美し、売り込み、利益を上げたマスコミ、音楽家、

評論家、
音楽産業、そして、このまがい物に騙された人たちに、

彼らを批判する資格があるか、考える必要があります。


★「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」
「孤高の作曲家が、凄絶な闘いを経てたどりついた世界、
深い闇の彼方に、
希望の曙光が降り注ぐ、奇跡の大シンフォニー.」
「中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、人類のあらゆる苦しみと闇、
そして祈りと希望を描く、`現代に生まれた奇跡のシンフォニー」

「作曲者はベートーベン並みの才能の持ち主」
「現代で一人だけ天才芸術家をあげろと言われれば、それは佐村河内守だ」
http://www.youtube.com/watch?v=xmXnDBG8C7Q

このようなおどろおろしい形容詞で、

彼らをスターに、天才にすべく、

大宣伝を繰り返してきたマスコミこそ、二人を責める前に、

反省すべきではないでしょうか。

この作品を演奏した音楽家たちも、その胡散臭さに、

気付かなかった訳はないと、思います。






★余談ながら、私が愛読いたします 「 銀座百点 」 2014年 2月号で、

俳優の 名取裕子さんが、立派な意見を書かれています。

一部をご紹介いたします。

≪ 名取裕子のつれづれ日記 ≫
「 カラス天狗 」
 海外旅番組でベトナムへ。(略)

戦後、世界最貧国といわれたこの国(ベトナム)は、今、必死で発展しようと
もがいている。環境汚染などの問題意識まで及ばない、という感じだ。

 経済拡大に目が眩んでいるのは私たちも同じ。
平和に慣れた私たちは、大事なものをなくしてゆくことに
気づかないふりをしていないかしら。

 PM2.5は日本にまで飛来し、福島の放射能が流れた海は、世界に
つながっている。水と空気は貧富に関係なく、公平に天が与えてくれた
はずなのに、
今やだれかの利益のために奪われつつある。

 三回目の三・一一がもうすぐやってくるのに、
政府は再稼働に突き進む。

そのうち日本は、防護服を着ないと外出できない国になって、
カラス天狗どころか、「街じゅうが白い宇宙飛行士で溢れている」と
言われる日がこないことを
切に願う、海外帰国熟女の私である。


★私も同感です。

いまや、 『 パンドラの箱 』 が開けられ、ありとあらゆる悪徳が、

飛び出してきました。

しかし、パンドラの箱から、悪徳が出払った後、

箱の底に残り、、小さな声を上げたのは 「 希望 」 なのです。

絶望する前に、まだまだやるべきことがあります。

私は、まずは、Casals のように、明朝起きましたら、

Bach を勉強いたしましょう。





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