音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Fischerが若き天才ジャグラーの芸を見て感動、 Mozartをさらに深く探求?■

2014-03-26 19:54:03 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Fischerが若き天才ジャグラーの芸を見て感動、 Mozartをさらに深く探求?■
                                    2014.3.26    中村洋子






★前回ブログ、Fischer ≪毎日、Bach を勉強すれば至高の宝に到達 ≫

の続きです。


★その前に、ドイツの公共放送である 「 Z D F 」

( Zweites Deutsches Fernsehen 第 2ドイツテレビ )が、

放送いたしました、日本の 「 福島 第 1原発 」 についての番組を、

ご紹介いたします。

http://www.youtube.com/watch?v=tQ0_J3jSWDU&feature=youtu.be

http://www.youtube.com/watch?v=8MZKxWLruZQ

http://www.youtube.com/watch?v=8wCehe0iaKc

かなり風刺が効いていますが、客観的に見た現状を、

よく伝えていると、思います。

海外が日本をこのように見ている、という観点からも、

是非、ご覧下さい。

 

★私は、アナリーゼ講座でいつも、「 音楽は、曲芸ではありません 」

と、
お話しております。

超絶技巧を求められる難曲を、何分何秒で弾いた・・・という

可笑しな宣伝を、
このブログでも批判いたしましたが、

そのような曲芸を見たいのでしたら、

娯楽に徹した曲芸、サーカスを見るべきであると、思います。


★かなり昔ですが、上海を訪れた際、 「上海雑技団 」 という、

一種のサーカスを、見物しました。

実に、楽しいショーの連続です。

例えば、大きな火鉢を天井近くまで放り投げ、

それを、大男の方が、なんと額で、音も無く受け止め、

静止させてしまいます。

神技です、修練の賜物でしょう。

心から、楽しめました。


★音楽で、そのような神技を発揮したとしましても、

その演奏される音楽の質が、問題となります。

速度など特定の技術を誇示するだけの演奏が、質が高いとは、

到底思えません。

楽譜から逸脱しない程度に演奏するのが、精一杯でしょう。

そこは、音楽を聴き、楽しむ場ではないと言えます。

上海雑技団のほうが、満足度は高いと思います。






★「 曲芸 」 について、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886~1960)が、

著書 「 Musikalische Betrachtungen ( 音楽を深く考える ) 」
              Insel  Verlag    インゼル出版  1950年刊で、

含蓄のある内容を、綴っています。


★ 「 Musikalische Betrachtungen 」 は、

・Ansprache an junge Musiker (1937)
・Kunst und Leben  (1932)
・Üer musikalische Interpretation (1929)
・Wolfgang Amadeus Mozart  (1929)
・Frédéric Chopin (1943)
・Robert Schumann (1943)
・Beethoven Klavierwerke (1921)
          の 7章からなっています。

第 2章の Kunst und Leben  (1932) ( Art & Life ) の中に、

深く、頷ける文章がありました。


★Eines Abends ging ich ins Varieté ; verachtet mir die Artisten nichit ! Was sie an Beherrschung,Ausdauer,Üben,Konzentration,Einsatz,Mut leisten,kann nichit verglichen werden mit unserem stumpfen Üben von Etüden. Da kann man wirklich sagen:<>,  aber bei uns: der falsche Ton wird überhört. Also an jenem Abend trat der Jongleur Rastelli auf.

In blauer Seide, knabenhaft schlank und biegsam. Und er behandelte seine Kugeln wie eine Koloratursängerin die hohen Töne, ließ sie auf und nieder gleiten, sich begegnen,

kreuzen und spielte ein achtstimmiges Jubilate mit einer Grazie und Seligkeit, als habe er alle irdische Schwerkraft für immer überwunden: diese Überwindung der Schwere war der Gewinn jener Stunde.Rastelli, ein Frühvollendeter,starb jung wie Mozart, er war zu leicht für diese Welt. _Wenn ein zierliches Vöglein aus dem Nest gefallen war und ich sein zitternd schlagendes Herzchen in der Hand fühlte, so rasch,so leicht_so klangen nachher Cherubinis Arie und die Rondos Mozartscher Konzerte anders als vorher.


★ある夕べ、私は Show Theatre : Varieté (注1) に行きました。
私は、そこで活躍する芸人の皆さんを蔑むようなことは、いたしません! 
彼らの持続力、練習、集中力、全力投入、胆力の凄さは、私たち音楽家の生半可なエチュードの練習とは、とうてい比すことができない凄さです。彼らは、“ たった一つのミスで、奈落に墜ちてしまうのです ”。しかし、私たちは、音を一つ外しても、大目に見られます。

( 伝説の )ジャグラー名人・ラステッリ(注2) は毎晩、ブルーの絹衣装を身に纏い、少年のような細身のしなやかな体形で、ボールを蹴っていたのです。
 そしてラステッリは、コロラトゥーラソプラノの歌手が高音を転がすように、ボールを上へ下へと滑らせ、ボール同士が出会ったり、交差させたりして、優雅さや、至福の喜びを与えつつ、八声部の 「 ユビラーテ 」 を演奏していたのです。
 その時、彼は地上のすべての重力を克服していました。この彼の重力の克服を見て、私は、たくさん得るものがありました。

 ラステッリ、即ち早熟の天才は、 Mozartのように、若くして世を去りました。
彼は、この世にあっては、軽すぎたのです。愛くるしい一羽の小鳥は、巣から落ちました。小さな心臓を射られ、手の中でうち震えている小鳥のように感じました。その小鳥は、そんなにも生き急ぎ、あまりに軽かったのです。
 私にはその後、ケルビーニのアリアやモーツァルトの協奏曲のロンドが、以前とは、異なって聴こえてきました。

(注1)http://www.wintergarten-berlin.de/
(注2)http://www.youtube.com/watch?v=mowNKg1vhl8







★Edwin Fischer は、ピアニストなど一般的に芸術家と呼ばれる人たちより、

下に見られる、芸人と呼ばれる人たちから、

その芸を通して、多くを学び取っています。

≪ “ たった一つのミスで、奈落に墜ちてしまうのです ” ≫、

綱渡りの芸人が、足を踏み外して転落しましたら、そこで終わりです。

真剣勝負なのです。


ピアニストは、いつも真剣勝負として、演奏しているか、

という問い掛けです。

それは、自分に対してだけでなく、その他大勢のピアニストへの、

問い掛けでも、あったでしょう。


★≪ 彼は地上のすべての重力を克服していました。
この彼の重力の克服から、私は、大いに得るものがありました。
そんなにも生き急ぎ、あまりに軽かったのです。
私にはその後、ケルビーニのアリアやモーツァルトのロンドが、
以前より、異なって聴こえてきました ≫

34歳で夭折した、 Rastelli ラステッリという

天才的な名人の芸を見て、

Fischer は、深い考察を巡らしています。


すべての重力を克服した、つまり、

重力が無い世界での出来事と、思わせるような芸の極み。

Fischer をかくも感動させたそれは、最高の芸術であると、言えるでしょう。

そのような高みに、若くして到達した Rastelli ラステッリは、

命を擦り減らしました。

Fischerの中で、 Rastelli ラステッリの像が、

同様に夭折した Mozartに重なります。


★命を擦り減らすほど、燃焼し尽した芸術家、

そして、その作品は、すべてが究極の音楽である。

ここから、Fischerは、 Mozart を再認識し、そして、

Mozart への、より深い探求、分析へと分け入り、

「 Mozart  Sonate per Pianforte  Revisione di Edwin Fischer

ピアノソナタ 全曲校訂版 」 へと、

つながっていくのかもしれません。









★この Fischer による校訂版  Edizioni Curci - Milano

ミラノのクルツィ出版は、 Mozart Edition の最高峰です。

この版と、Bartók Béla バルトーク (1881~1945) の

Mozart 校訂版を、併せますと、
 
Mozart の、最善の勉強法となります。


★この著書  「 Musikalische Betrachtungen 」 も、

前回ご紹介しました新潮文庫に収録されていますが、

どうも、音楽そのものをご存じない方の訳のようですので、

日本文を読んだだけでは、Fischerの言わんとすることが、

あまり、伝わらないかもしれません。

やはり、自分で辞書を引き引き、読むしかありません。


★この本は、約100年前の本ですが、書かれている内容は、

今日現在のことのように、私には思えます。

以前、このブログでも、瀬戸内寂聴さんの言葉を、ご紹介しました。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20140107

≪ 100年後なんて、すぐ来ますよ。自分が生きて、もうすぐ100年
ですからね。振り返ってみたら、「 ああ、短いな 」と、思います ≫

≪ 生々流転、仏教では全てが変わることが根本思想です。
全ては変わるんですよ。だから、いまの状態は全て変わると覚悟
してください。変わらないのは、本当に立派な本ですね。
それから、いい音楽、いい絵画、いいお芝居、
そういうものは変わらないで、そのまま伝えていかなくてはなりません。
それが文化です≫








★私も、本当にそう思います。

人間社会の本質は、それほど、変わらないものである、

とも言えるかもしれません。




 

  ★私の作品の CD 「 無伴奏チェロ組曲 4、 5、 6番 」

Wolfgang  Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏は、

全国の主要CDショップや amazon でも、ご注文できます


 






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