音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 「 エクスタシーの連続が、現代のクラシック音楽 」 と、アファナシエフの批判 ■

2013-06-30 00:38:20 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ 「 エクスタシーの連続が、現代のクラシック音楽 」 と、アファナシエフの批判 ■
                               2013.6.30  中村洋子

 

 

 

★KAWAI 名古屋で 26日に開催いたしました、

「 第 11回 Invention インヴェンション講座 」 で、

Inventio & Sinfonia Nr.11 

インヴェンション & シンフォニア 11番から、

Robert Schumann  ロベルト・シューマン (1810~1856)

Johannes Brahms ブラームス (1833~1897)

Tchaikovsky チャイコフスキー(1840~1893)、

Anton Webern アントン・ヴェーベルン(1883~1945) の作品が、

生まれ出たことを、具体的にピアノの演奏を通し、

耳と理論から、体験していただきました。


★これらは、Bach の  Inventio & Sinfonia を模倣したものではなく、

Bach を醸造発酵させ、自家薬籠中のものにして初めて、

滴り落ちてきた作品、といえます。


★Johannes Brahms ブラームス 晩年の Op.117 は、特に、

色濃く Bach が、宿っていました。


★逆に申しますと、 Schumann シューマン、Brahms ブラームス、

Tchaikovsky チャイコフスキー、Webern ヴェーベルンの作品を、

勉強する、あるいは、楽しむためには、

Bach の勉強が、必要不可欠である

ということです。

 

 


★それでは、≪ Bach の曲のどこを、どう学ぶか ≫、

ということになりますが、

それは、明確に、以下のことになります。

1)作品の構造がどうなっているか、

2)Bach の countepoint を学ぶ、

                         です。


★「countepoint 」 は、日本語訳では、「 対位法 」 ですが、

「 位 」 「 法 」 という意味は、counterpoint には、ありません。

直訳しますと、「 対 」 「 点 」 です。

すなわち、「 点 」 と 「 点 」 との関係を問うものです。

「 点 」 を、「 音 」 または 「 要素 motiv 」 と言い換えますと、

≪ 同時進行している複数の声部に存在する

 「 音 」 や 「 要素 」 の関係 ≫ ということに、なります。


上記の 2点を極めたのが、Bachで、

それ以降の作曲家の作品で、masterpiece 傑作の条件とは、

その作品にどれだけ深く、

Bach が宿っているか、です。


それは、クラシック音楽が現在のように、

荒廃する前の時代では、常識でした。

ここ数十年の間に、そうした常識は、

雲散霧消してしまったようです。

 

 


★この嘆きは、私だけなのかと思っていましたところ、

以下の本に、

同じような思いが述べられていましたので、

ご紹介いたします。


Valery Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフ 著

「 ピアニストのノート 」 講談社選書メチエ 大野英士訳、

2012年 12月発行。


★この本には、Afanassiev の音楽に対する思索が、

綿々と、綴られています。

その一節。


★[ あるドイツ人の友人が私に言った「 構造は破壊されてしまった。どうすれば、すべてを再構築することができるだろうか?
人びとはミスタッチしか気にしない。では、作品の構造は、解釈の密度は、感情の強さは?
いっさいお構いなしだ。構造はいたるところで腐っている 」 。

あるロシア人の友人は ( 三十五年前からフランスに住んでいるのだが ) 二ヶ月前に私に言った。
「 ぼくは芸術の再生を信じている。でも、解釈=演奏の分野はむずかしい。そして十五年、いや二十年は、状況は好転しないだろう。終わってしまったんだ。ぼくたちの知っているようなベートーヴェンは、必要とされていないのだ 」。
 
 現在、誕生しつつあるスターたちの大部分、また死に瀕しつつあるスターたちの一部は、曲の小さな構造さえ、フレーズさえも尊重しない

ビーフストロガノフを作る時の肉片ででもあるかのように、ずたずたにそれらを、切り刻んでしまっている。その結果、生まれるのは、
細切りのエクスタシーの連続だが、聴衆はそれでうっとりとしている。エクスタシーがあればあるほど、演奏は評価される。かくして構造はすべて破壊される。音楽も同じ。

 ピアニストたちは、1小節 1小節と演奏する。小節が数百もあることを忘れ、
音符の数は言うに及ばず、どんな曲も、彼らにとっては長すぎる。]

 

 


現在のクラシック音楽界に対する、

痛切な批判、

見事な比喩です。

 

★前々回の当ブログで書きました、

Lifschitz リフシッツの演奏と、 

現代のクラシック音楽に対する、

私の考えと、

共通する認識です。

 


★ほとんどの、スターとされる演奏家たちは、

音楽の構造を尊重せず、構造としてとらえず、

細切れにされたビーフストロガノフの肉片のように、

細切れのエクスタシーの連続として演奏。

そうすると、聴衆はうっとり、

エクスタシーを感じれば感じるほど、演奏が評価される。

かくして、構造はすべて破壊される。


★この本は、示唆に富む内容が多く、

当ブログでまた、ご紹介いたします。

 

■ KAWAI 名古屋での 次回  「 第 12回インヴェンション講座 」 は、

10月 30日 ( 水 ) 午前 10時~12時 30分 です。 

 


 

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