■ Lifschitz リフシッツによる Schönberg、 Webern ピアノ作品の名演 ■
2013.6.16 中村 洋子
( 紫蘭 )
★6月 13日の「 平均律 第 2巻 3番アナリーゼ講座 」 を終えて、
ほっと一息。
いま、Konstantin Lifschitz リフシッツ の
「 Bach: Klavier Konzerte 」 の、C D( OREFEO C 828 112A )
を、楽しんでいます。
アナリーゼ講座の会場、KAWAI 表参道 「 コンサートサロン・パウゼ 」 で、
Lifschitz リフシッツ( 1976~)がまだ 10代で、 “ 天才少年 ”
といわれていた頃、彼の演奏会を、開いたそうです。
彼のピアノ協奏曲は、とても素晴らしく、何度聴いても飽きません。
★ “ 権威 ” や “ スター ” などとして、マスコミで喧伝されている
演奏家の中には、瞬間瞬間にはとても美しく、
幻惑的な音色を出す人もいますが、
曲を全体として、どのように演奏しようとしているのか、全く不明で、
陽炎のように、脆弱な骨格の音楽、あるいは、
骨格すら見当たらないような音楽に、なっているものが、
多いようです。
聴いている最中、集中して聴こうと懸命に努力しても、
まるで雲の中を彷徨っているような状態となり、
頭は音楽から離れ、
よそ事に、思いを巡らしている自分に気づくことが、よくあります。
★しかし、 Lifschitz リフシッツ は、自分の設計図をもって、
Bach の音楽を、構築していきます。
それゆえ、飽きずに何度も聴きたくなるのです。
名演とは、そういうものを指すのでしょう。
クラシック音楽の名曲の条件は、
その曲が、 Bach に立脚しているかどうかです。
立脚が分かる演奏が、名演です。
この C D には、「 Bach: Klavier Konzerte 」 の 1番 ~ 7番 が、
収録されています。
( 柏葉紫陽花 )
★ Lifschitz のもう一枚のお薦め C D は、
Chopin 「 24 Preludes 24の前奏曲 」 Op.28 です。
この C D には、 Chopin のほかに、
Arnold Schönberg アルノルト・シェーンベルク (1874~1951)、
Anton Webern アントン・ヴェーベルン(1883~1945) の曲も、
入っています。
Schönberg 、 Webern の作品は、殊の外、素晴らしい演奏です。
何故なら、 Schönberg、Webern の音楽が、 Chopin と同様に、
Bach を源泉とした、正当な後継者であることが、
実に、よく分かるからです。
★「 現代音楽 」 を、その源泉にまで辿って、理解しようとせず、
ただ、その音響をムードの素材としてのみ、
とらえ勝ちなのが、日本です。
効果的な音響を拾い、骨格なく寄せ集めた作品が、
「 現代音楽 」 とされてきたことが、
今日のように、クラシック音楽が荒廃してきた真相です。
★「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」を、
勉強していますと、いたるところで、
Chopin の音楽が、顔を覗かせてきます。
13日の KAWAI 表参道での 「 平均律 第 2巻 2番 」 アナリーゼ講座では、
Chopin の 「 24 Preludes 」 を例に、 Chopin の和声、
さらに音楽そのものが、いかに、Bach の和声を土壌として育ち、
豊かに結実していったかを、お話いたしました。
そして、その Chopin の音楽が、20世紀の Sergei Rachmaninov
セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943) の音楽に、
脈々と流れ注いでいることも、ご説明しました。
★Rachmaninov ラフマニノフ だけでなく、
Claude Debussyクロード・ドビュッシー (1862~1918) の音楽も、
Chopin があったからこそ、生まれ出た、と言えます。
★ Debussy が、Durand 社から出版しました
Chopin 「 ピアノ作品全集 」 の校訂版 と Fingering を見ますと、
如実に、それが分かってきます。
この Fingering には、 Debussy 音楽の神髄が滲み出ています。
Debussy の音楽は、一般に流布しているように、
曖昧模糊としたムードを漂わせた、「 印象派 」 の音楽とは、
実は、対極的な音楽です。
★Chopin は、Bach 平均律に詳しい書き込みをし、
Debussy は、 Chopin のピアノ作品全集を校訂しました。
Bach ー Chopin ー Debussy ー が、
ヨーロッパ・クラシック音楽の、本流なのです。
Chopin の勉強には、 Debussy 版が不可欠です。
Debussy の音楽には、一点の曖昧さも、「 ムード 」 だけの音響も、
ありません。
そこが、いま一番誤解されているところかもしれません。
( 柏葉紫陽花 )
★ Chopin の 「 24 Preludes 」 は、彼が結核のため、
寒い Paris を離れ、地中海のマジョルカ島に、
ジョルジュ・サンドと滞在した前後に、完成しています。
No.15 「 雨だれ 」 の有名な、もっともらしいエピソードは、
曲以上に、よく知られているかもしれません。
しかし、本当に重要なことは、彼がマジョルカ島に持参した、
極くわずかの楽譜の一つが、Bach 平均律だったことです。
★私は、平均律を学べば学ぶほど、 Chopin がより深く、
どんどん理解できるようになってくる自分に、驚きます。
7月 9日の KAWAI 表参道 「 平均律 第 2巻 3番 」 アナリーゼ講座でも、
引き続き Chopin の 「 24 Preludes 」 と、
Bach の 「 3番 Cis-Dur prelude & fuga 」 との関係を、お話します。
Bach を理解することが、 Chopin を知ることになり、
Debussy を、解明することになるからです。
Chopin のこの 24曲が、 「 Preludes 前奏曲集 」 という、
タイトルでしかあり得ないことが、切実に分かってくるのです。
★ そして、あの大ピアニスト Arthur Rubinstein
アルトゥール・ルービンシュタイン(1887~1982) が、
“ どうしたら、ピアノが上達しますか ” という問いに対し、
「 Bach を弾きなさい」 と答えた理由も、本当によく分かってくるのです。
私の想像では、彼は自宅で、来る日も来る日も Bach を学び、
Bach を弾いていたのではないでしょうか。
それなくしては、 Rubinstein のあの素晴らしい Chopin は、
あり得ないのです。
Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) が、朝起きるとまず、
「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 を、弾いたのと、
同じ理由です。
★この二人の天才は、毎日が勉強、発見の日々でしたので、
絶えず、解釈が深まり、定まることがなかったのでしょう。
それゆえ、
Rubinstein ルービンシュタイン は、Bach のレコーディングを残せなかった、
Pablo Casals パブロ・カザルスは、 Bach 「 6 Suiten fur Violoncello solo
無伴奏チェロ組曲 全 6曲 」 の Casals 校訂版を、残せなかった。
( 背黒セキレイ: 独語 バッハシュテルツェ Bachstelze )
★余談ですが、相変わらず、日本の C D 解説の質の低さには、
悲しいものが、あります。
Lifschitz の Chopin 「 24 Preludes 」 の C D には、
Lifschitz の音楽の分析はなく、ひたすら、美辞麗句の形容詞、
どの演奏家にでも通用する形容詞が、 品評会のように、オンパレード。
さらに、 Lifschitz が、Argerich アルヘリッチ の代役として、
Kremer クレーメル、Maisky マイスキーと、
Tchaikovsky チャイコフスキー、 Shostakovichショスタコービッチの、
ピアノトリオを演奏した話を、紹介しています。
★≪ クレーメル、マイスキーという二人の巨人を前にして、リフシッツはいささかの
遜色もなく、いや遜色がないどころか、トリオの要となってアンサンブルをリードし、
演奏の性格、方向性すら決定づけるピアニズムを堂々と披露、演奏家としての
存在感を見せ付けたのである ≫ と、あります。
実際は、Lifschitz だからこそ、
“ トリオの要となって リードし ”、音楽を構築できたのでしょう。
★そもそも、 Argerich トリオ 3人が “ 巨人 ” かどうかは、さておき、
3人の音楽に対する方向性と、
Lifschitz のそれとは、少し異なっているように思います。
Argerich には、Lifschitz のように Bach を構築することは、
難しいかもしれません。
「 現代音楽 」 のところで、ご説明いたしましたように、
彼女の音楽も、 「 現代音楽 」 の抱える矛盾荒廃と同じものを、
抱えているようです。
★マスコミで喧伝される、超有名な音楽家の演奏を聴いてみたものの、
全く感動しない、楽しめない、よく分からないなどと、
お感じになる方は、多いのではないでしょうか。
その際、 ≪ 超有名な芸術家とされるのに、感動しないのは、
自分の理解が、まだ至らないためであろう。
自分には、能力がないのであろう ≫ と、
ご自分を責めることが、往々にしてあるのではないでしょうか。
誠実な方ほど、その傾向が強く、その結果、自信を失い、
≪ 結局、自分には “ 芸術 ” は分からない ≫ と、
音楽から、離れていくようです。
★しかし、どうぞ、自分を責めないでください。
ご自分の感性を、信じてください。
自分の感性の方が、正鵠を得ている場合が多いのです。
自分が美しいと感動する方向を、探し求め、
倦まず弛まず、努力を重ねること、
それが、音楽をする喜びなのです。
★今後のアナリーゼ講座の予定です。
・6月 26日(水) KAWAI 名古屋 「 Inventio & Sinfonia No.11 g-Moll 」
・7月 8日(月) KAWAI 横浜みなとみらい「 Chopin の見た平均律 第 1巻
12番 f-Moll prelude & fuga 」
・7月 9日(火) KAWAI 表参道 「 平均律 第 2巻 第 3番 Cis - Dur prelude & fuga 」
* いずれも午前 10時 ~ 12時 30分
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