音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Lifschitz リフシッツによる Schönberg、 Webern ピアノ作品の名演 ■

2013-06-16 15:25:23 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ Lifschitz  リフシッツによる Schönberg、 Webern ピアノ作品の名演 ■
                                              2013.6.16   中村 洋子

 

                                      ( 紫蘭 )

★6月 13日の「 平均律 第 2巻 3番アナリーゼ講座 」 を終えて、

ほっと一息。

いま、Konstantin Lifschitz  リフシッツ

「 Bach: Klavier Konzerte 」 の、C D( OREFEO C 828 112A )

を、楽しんでいます。

アナリーゼ講座の会場、KAWAI 表参道 「 コンサートサロン・パウゼ 」 で、

Lifschitz  リフシッツ( 1976~)がまだ 10代で、 “ 天才少年 ” 

といわれていた頃、彼の演奏会を、開いたそうです。

彼のピアノ協奏曲は、とても素晴らしく、何度聴いても飽きません。


★  “ 権威 ”  や  “ スター ” などとして、マスコミで喧伝されている

演奏家の中には、瞬間瞬間にはとても美しく、

幻惑的な音色を出す人もいますが、

曲を全体として、どのように演奏しようとしているのか、全く不明で、

陽炎のように、脆弱な骨格の音楽、あるいは、

骨格すら見当たらないような音楽に、なっているものが、

多いようです。

聴いている最中、集中して聴こうと懸命に努力しても、

まるで雲の中を彷徨っているような状態となり、

頭は音楽から離れ、

よそ事に、思いを巡らしている自分に気づくことが、よくあります。


★しかし、 Lifschitz  リフシッツ は、自分の設計図をもって、

Bach の音楽を、構築していきます。

それゆえ、飽きずに何度も聴きたくなるのです。

名演とは、そういうものを指すのでしょう。

クラシック音楽の名曲の条件は、

その曲が、 Bach に立脚しているかどうかです。

立脚が分かる演奏が、名演です。

この C D には、「 Bach: Klavier Konzerte 」 の 1番 ~ 7番 が、

収録されています。

 

                                                         ( 柏葉紫陽花 )


★ Lifschitz のもう一枚のお薦め C D は、

Chopin 「 24 Preludes 24の前奏曲 」 Op.28 です。

この C D には、 Chopin のほかに、

Arnold Schönberg アルノルト・シェーンベルク (1874~1951)、

Anton  Webern アントン・ヴェーベルン(1883~1945) の曲も、

入っています。

Schönberg 、 Webern の作品は、殊の外、素晴らしい演奏です。

何故なら、 Schönberg、Webern の音楽が、 Chopin と同様に、

Bach を源泉とした、正当な後継者であることが、

実に、よく分かるからです。


★「 現代音楽 」 を、その源泉にまで辿って、理解しようとせず、

ただ、その音響をムードの素材としてのみ、

とらえ勝ちなのが、日本です。

効果的な音響を拾い、骨格なく寄せ集めた作品が、

 「 現代音楽 」 とされてきたことが、

今日のように、クラシック音楽が荒廃してきた真相です。


★「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」を、

勉強していますと、いたるところで、

Chopin の音楽が、顔を覗かせてきます。

 13日の KAWAI 表参道での 「 平均律 第 2巻 2番 」 アナリーゼ講座では、

 Chopin  の 「 24 Preludes 」 を例に、 Chopin の和声、

さらに音楽そのものが、いかに、Bach の和声を土壌として育ち、

豊かに結実していったかを、お話いたしました。

そして、その Chopin の音楽が、20世紀の Sergei Rachmaninov 

セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943) の音楽に、

脈々と流れ注いでいることも、ご説明しました。


★Rachmaninov ラフマニノフ だけでなく、

Claude  Debussyクロード・ドビュッシー (1862~1918) の音楽も、

Chopin があったからこそ、生まれ出た、と言えます。


★ Debussy が、Durand 社から出版しました 

Chopin 「 ピアノ作品全集 」 の校訂版 と Fingering を見ますと、

如実に、それが分かってきます。

この Fingering には、 Debussy 音楽の神髄が滲み出ています。

Debussy の音楽は、一般に流布しているように、

曖昧模糊としたムードを漂わせた、「 印象派 」 の音楽とは、

実は、対極的な音楽です。


★Chopin は、Bach 平均律に詳しい書き込みをし、

Debussy は、 Chopin のピアノ作品全集を校訂しました。

Bach ー  Chopin ー  Debussy ー が、

ヨーロッパ・クラシック音楽の、本流なのです。

Chopin の勉強には、 Debussy 版が不可欠です。

Debussy の音楽には、一点の曖昧さも、「 ムード 」 だけの音響も、

ありません。

そこが、いま一番誤解されているところかもしれません。

 

                                                              ( 柏葉紫陽花 )


★ Chopin の 「 24 Preludes 」 は、彼が結核のため、

寒い Paris を離れ、地中海のマジョルカ島に、

ジョルジュ・サンドと滞在した前後に、完成しています。

No.15 「 雨だれ 」 の有名な、もっともらしいエピソードは、

曲以上に、よく知られているかもしれません。

しかし、本当に重要なことは、彼がマジョルカ島に持参した、

極くわずかの楽譜の一つが、Bach 平均律だったことです。


★私は、平均律を学べば学ぶほど、 Chopin がより深く、

どんどん理解できるようになってくる自分に、驚きます。

7月 9日の KAWAI 表参道 「 平均律 第 2巻 3番 」 アナリーゼ講座でも、

引き続き Chopin の 「 24 Preludes 」 と、

Bach の 「 3番 Cis-Dur  prelude & fuga 」 との関係を、お話します。

Bach を理解することが、 Chopin を知ることになり、

Debussy を、解明することになるからです。

Chopin のこの 24曲が、 「 Preludes 前奏曲集 」 という、

タイトルでしかあり得ないことが、切実に分かってくるのです。


★ そして、あの大ピアニスト Arthur Rubinstein 

アルトゥール・ルービンシュタイン(1887~1982) が、

“ どうしたら、ピアノが上達しますか ” という問いに対し、

「 Bach を弾きなさい」 と答えた理由も、本当によく分かってくるのです。

私の想像では、彼は自宅で、来る日も来る日も Bach を学び、

Bach を弾いていたのではないでしょうか。

それなくしては、 Rubinstein のあの素晴らしい Chopin は、

あり得ないのです

Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) が、朝起きるとまず、

「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 を、弾いたのと、

同じ理由です


★この二人の天才は、毎日が勉強、発見の日々でしたので、

絶えず、解釈が深まり、定まることがなかったのでしょう。

それゆえ、

Rubinstein ルービンシュタイン は、Bach のレコーディングを残せなかった、

Pablo Casals パブロ・カザルスは、  Bach 「 6 Suiten fur Violoncello solo

無伴奏チェロ組曲 全 6曲 」 の Casals 校訂版を、残せなかった。

 

        ( 背黒セキレイ: 独語 バッハシュテルツェ Bachstelze )


★余談ですが、相変わらず、日本の C D 解説の質の低さには、

悲しいものが、あります。

Lifschitz の Chopin 「 24 Preludes 」 の C D には、

Lifschitz の音楽の分析はなく、ひたすら、美辞麗句の形容詞、

どの演奏家にでも通用する形容詞が、 品評会のように、オンパレード。

さらに、 Lifschitz が、Argerich アルヘリッチ の代役として、

Kremer クレーメル、Maisky マイスキーと、

Tchaikovsky チャイコフスキー、 Shostakovichショスタコービッチの、

ピアノトリオを演奏した話を、紹介しています。


★≪ クレーメル、マイスキーという二人の巨人を前にして、リフシッツはいささかの

遜色もなく、いや遜色がないどころか、トリオの要となってアンサンブルをリードし、

演奏の性格、方向性すら決定づけるピアニズムを堂々と披露、演奏家としての

存在感を見せ付けたのである ≫ と、あります。

実際は、Lifschitz だからこそ、

“ トリオの要となって リードし ”、音楽を構築できたのでしょう。


★そもそも、 Argerich トリオ 3人が “ 巨人 ” かどうかは、さておき、

3人の音楽に対する方向性と、

Lifschitz のそれとは、少し異なっているように思います。

Argerich には、Lifschitz のように Bach を構築することは、

難しいかもしれません。

「 現代音楽 」 のところで、ご説明いたしましたように、

彼女の音楽も、 「 現代音楽 」 の抱える矛盾荒廃と同じものを、

抱えているようです。

 

 


★マスコミで喧伝される、超有名な音楽家の演奏を聴いてみたものの、

全く感動しない、楽しめない、よく分からないなどと、

お感じになる方は、多いのではないでしょうか。

その際、 ≪ 超有名な芸術家とされるのに、感動しないのは、

自分の理解が、まだ至らないためであろう。

自分には、能力がないのであろう ≫ と、

ご自分を責めることが、往々にしてあるのではないでしょうか。

誠実な方ほど、その傾向が強く、その結果、自信を失い、

≪ 結局、自分には “ 芸術 ” は分からない ≫ と、

音楽から、離れていくようです。

 

★しかし、どうぞ、自分を責めないでください。

ご自分の感性を、信じてください。

自分の感性の方が、正鵠を得ている場合が多いのです。

自分が美しいと感動する方向を、探し求め、

倦まず弛まず、努力を重ねること、

それが、音楽をする喜びなのです。

 

★今後のアナリーゼ講座の予定です。

・6月 26日(水) KAWAI 名古屋 「 Inventio & Sinfonia  No.11 g-Moll 」

・7月 8日(月) KAWAI 横浜みなとみらい「 Chopin の見た平均律 第 1巻
                     12番 f-Moll  prelude & fuga 」

・7月 9日(火) KAWAI 表参道 「 平均律 第 2巻 第 3番 Cis - Dur prelude & fuga 」
                                   * いずれも午前 10時 ~ 12時 30分

 

 

 

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