■チェロ組曲第 6番の演奏、 Brahms間奏曲Op.117、Bach の自筆譜発見■
2013.6.21 中村洋子
( Dorfkirche 1777 in Damsdorf, Triptychon von Peter Schubert )
★6月2日(日)、ドイツ北部 Schleswig-Holstein州 Damsdorf の教会で、
私の作品 「 Suite für Violoncello solo Nr.6 無伴奏チェロ組曲 第 6番 」 が、
Wolfgang Boettcher 先生により、演奏されました。
Damsdorf の教会は、現代ドイツの画家 Peter Schubert の「Triptychon」
( 祭壇背後の 3枚折り画像=三連祭壇画 )で、有名です。
三連祭壇画は、教会の祭壇を飾るための 3枚 1組の聖画像で、
中央パネルの両側に翼パネルがあり、折り畳めるようになっています。
★演奏曲目は、
Johann Sebastian Bach バッハ ( 1685~1750 ) の
Suiten für Violoncello solo Nr.1、Nr.3 無伴奏チェロ組曲 1番、3番、
それに、私の Suiten für Violoncello solo Nr.6、
他に、Kirchner Adnan Saygun、Ernst Toch、Pablo Casals の小品でした。
★このような素晴らしい教会で、
Maestro の重厚で、妥協のないプログラムによるコンサート。
生活と音楽(芸術)とが乖離せず、寄り添っているのですね。
★Triptychon - Triptych ( 英語 )といえば、
ブラームス Johannes Brahms (1833~1897)晩年の作品
「 Drei Intermezzi Op.117 3つの間奏曲 作品117 」 も、
一種の Triptych トリプティック のような作品である、
というのが、私の感想です。
★この「 Drei Intermezzi Op.117 」 (1892年作曲)の 第 2曲 b-Moll
( 変奏曲ロ短調 ) は、Bachの Sinfonia Nr.11 g-Moll と、
共通点が、たくさんあります。
★「 共通点 」 というより、 Chopin の Preludesが、
Bach の平均律クラヴィーア曲集から、生み出されたものであるのと
同様に、Sinfonia Nr.11 を、完全に咀嚼吸収した Brahms の、
心の中の泉から、湧き上がってきた音楽である、といえます。
★6月 26日( 水 )に KAWAI 名古屋 で開催します
「 第 11回 Invention 講座 」 では、 Inventio & Sinfonia Nr.11
11番 g-Moll と、Brahms の 「 Drei Intermezzi Op.117 」 (1892年作曲)の、
第 2曲 b-Moll との関係についても、お話いたします。
★Brahmsの自筆譜と並行して、没後50年の Alfred Cortot
アルフレッド・コルトー(1877~1962)の校訂版の、研究をお薦めいたします。
Cortot といいますと、 Chopin 作品の校訂が有名ですが、
それは、 Debussy の校訂版に多くを負っていますので、
源泉の Debussy 版を、まず学ぶ必要がありそうです。
★Cortot のBrahms校訂版の fingering は、曲をどのように、
アナリーゼするか、曲がどのような構造をもっているかを、
指し示しています。
★Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーや、
Bartók Béla バルトーク (1881~1945)校訂の Bach 作品、
Debussy 校訂の Chopin 作品と、共通しているといえます。
★6月7日の夕刊に、 「 Bach 直筆の楽譜発見 」 という記事が、
掲載されていました。
東京新聞によりますと、
『 ライプチヒのバッハ資料財団が公開した。
Bach が55歳の時に、イタリア人作曲家のミサ曲を筆写したもので、
「晩年の創作に影響を与えた重要な作品」と、考えられるという。
楽譜はワイセンフェルスの資料館「ハインリッヒ。シュッツ・ハウス」で
見つかった。30枚あり、イタリアのフランチェスコ・ガスパリーニが
1705年に作曲した「ミサ・カノニカ」だった。
バッハ資料館が鑑定し、紙の透かし模様や音符の書き方の特徴から、
1740年にバッハが筆写したと特定した。晩年に作曲した「フーガの技法」
「ロ短調ミサ」などに影響を与えたとみられる。
財団の高野昭夫国際広報部長は「紙を節約するため音符を詰めて書き込んだ
バッハの特徴がよく分かる」と話している。
楽譜は7月14日までシュッツ・ハウスで公開される 』
★Bach の直筆譜が発見されることは、
大変に、喜ばしいことですが、
私は、この直筆楽譜というものを、直接見ない限り、
なんともいえません。
★Francesco Gasparini フランチェスコ・ガスパリーニ (1661~1727)は、
ローマの教会オルガニストで、当時の大作曲家。
弟子に、Domenico Scarlatti ドメニコ・スカルラッティ(1685~1757)や、
Benedetto Marcello ベネデット・マルチェッロ(1686~1739)などがいます。
★重要なことは、Bach が若いころ、
Marcello マルチェッロ や Antonio Lucio Vivaldi
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)の協奏曲を、
たくさん、独奏鍵盤作品に編曲していることです。
当ブログでも、たびたび紹介しています。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/26a72c1f404eabe584783874f1eefb23
★Bach は、ライプチヒ時代、公費ではなく、
自費で、お金を惜しむことなく、膨大な楽譜を買い集めた、
といわれています。
多分、若いころからそうだったのでしょう。
集めた楽譜を、徹底的に学び吸収した人でした。
★晩年の Beethoven ベートーヴェン (1770~1827)も、
貴族の個人ライブラリーに、楽譜を借りに行ったところ、
身なりが粗末だったため、門番に追い返された、
という話を、彼自身の手紙で、書いています。
Johannes Brahms ブラームス (1833~1897) も晩年になるまで、
ウィーンの図書館から、たくさんの楽譜や資料を借り、
勉強を、続けています。
★Bach が、Marcello の師匠にあたる Gasparini ガスパリーニの作品を、
ずっと注視し、写譜して勉強したのは、
当然のことでしょう。
★≪「 紙を節約するため音符を詰めて書き込んだバッハの特徴がよく分かる 」≫
というコメントは、相変わらずの擦り切れた蓄音機のようなコメントです。
コメントすべきならば、
この写譜は、原作通りの写譜なのか、あるいは、
Bach の解釈が入った独自の配列に書き直している部分があるのか・・・
などを、分析してコメントすべきと、思います。
★Bach は、自分の作品を書く際、紙を節約したことはないのです。
楽譜上で、大胆に余白のままに残しているところは、
たくさん、あります。
節約のように見えるところは、作曲の構成上、必要なレイアウトなのです。
決して、紙を惜しんだのではありません。
逆に言えば、紙を惜しんだようにみえるところこそが、
その作品で、もっとも重要な要素を含んでいる、といえます。
★当ブログでも、例えば、「 ロ短調ミサ 」の核心部分での見事なレイアウト、
紙を節約するどころか、大きな余白を残したレイアウトを紹介しています。
是非、ご覧下さい。
≪■平均律 1巻 24番は、 Messe in h-Moll ロ短調ミサ へと向かう■
2012.6.11
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/fa0081d5547e69d4d674b32dc83a1388≫
≪■Bach 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 2番アナリーゼ講座■
~London original manuscript が発する強烈なメッセージ~
2013.6.7
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20130607 ≫
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