■■ 犬山城の茶室 『 如庵 』、Gauguin、 Bach ■■
2012.3.12 中村洋子
★先月の、名古屋での 「 インヴェンション・アナリーゼ講座 」 では、
Johann Sebastian Bach バッハ ( 1685~1750 ) の、
「 Inventio Nr. 7 」 の、17、18小節が、
Beethoven ベートーヴェン (1770~ 1827)、
「 Für Elise エリーゼのために 」 a-Moll WoO 59 に、
どんなに深く、投影されているか・・・。
★さらに、 Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886 ~ 1960)
による、17、18小節への、Fingering を学ぶことにより、
「 Für Elise 」 の演奏が、 Beethoven の作曲意図に、
近づいていくことを、詳しくお話いたしました。
★これらは、 Bach の自筆譜、 Edwin Fischer の校訂版、
Beethoven の 「 Für Elise 」 の自筆スケッチを、
詳細に学びませんと、分からないことです。
★久しぶりの名古屋でしたので、犬山まで参りまして、
自然人類学者の江原昭善先生ご夫妻と、お食事をしながら、
楽しく、歓談いたしました。
★先生につきましては、以前このブログでご紹介したことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/3d716aa2ef0525ae40a504c9d197f810
先生の研究は、例えば、サルの頭骨を、半年の間、
毎日あらゆる角度から、倦まずたゆまず眺め、
観察し続けることです。
その結果、ある特定の部位での、皺の変化、
表面の微妙な形状から、サルの進化のメカニズム、道筋を、
読み取っていく・・・、というような研究です。
つまり、地道な観察を続けることにより、進化の過程を、
解き明かすという研究を、されてきた方です。
★ 「 毎日、毎日、骨を眺め続けていますと、
ある日忽然と、視界が開けるように、すべてが見えてきました。
そういう瞬間が、来るのです」 と、若い頃の経験をお話されました。
これは、 Bach バッハ の自筆譜を詳細に見る、
毎日眺め、それを自らの手で、書き写す。
そうすると、バッハの音楽が、作曲の意図が、すべて見えてくる、
自ずから、伝わってくるのと、全く同じですね。
先生は、チェロも嗜まれ、Wolfgang Boettcher ベッチャー先生の
ファンでも、いらっしゃいます。
★犬山ホテルは、眼下に木曽川が、とうとうと流れ、
白雪を抱いた 「 伊吹山 」 の稜線が、
くっきりと、透明な冬空に浮かび、
岐阜 「 金華山 」のお城も、ほのかに見えました。
★先生は、「 FUKUSHIMA 原発 」 の事件に触れられ、
「 幼児を、ダイナマイトの束の上に座らせ、
そのうえ、マッチをもたせ、
“ 坊や、そこでマッチを擦ったら危ないからね ” と、
言い聞かせているようなものですね 」。
これは、ハンガリーの科学哲学者ケストラーが、
原爆を創ってしまった人類について語った、言葉だそうです。
★人類の進化を歴史的にみていきますと、いまの現代人は、
人間を滅ぼそうとしているのではないか、という観点から書かれた
「服を着たネアンデルタール人 」 ( 雄山閣出版 2001年刊)
という先生の著作は、自己矛盾に満ちた人間の、
宿命的な姿を、さまざまに考察した興味深い本です。
★ホテルでの歓談後、ふと立ち寄りました、
犬山城にある、国宝のお茶室 『 如庵 』 には、
不意打ちのように、感動しました。
★ 『 如庵 』 は、織田信長の弟 「 有楽斎 」 ( 1547~1621 ) の、
72歳の作です。
『 如庵 』 と、一続きになっている重文の 「 旧正伝院書院 」 の、
両方とも、開け放された室内を、外から眺めただけですが、
まるで、自分がその室内に存在しているかのような、
不思議な一体感に、浸りました。
★床下は高く、天井は低く、やさしく包容力に溢れた空間です。
東南アジアを旅する日本人が、棚田を眺めた時、
故郷に帰ってきたような気持ちを抱くのと、似ていました。
“ ここが、私の故郷 ” といいたくなる感情が、湧いて来ました。
お母さんにやさしく、抱っこされているような安らぎが得られます。
★にじり口の脇の壁には、当時の暦、
変色した暦がたくさん、貼られています。
その暦は、何を表しているのでしょうか?
「 時間 」 です。
にじり口から、茶室に入る際、自然に、
「 時間とは何か 」 を、考えるように、
仕向けているのかもしれません。
★唐突なようですが、
Paul Gauguin ポール・ゴーギャン (1848~1903) の、
『D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
われわれは何処より来たか、 われわれは何者か 、
われわれは何処へ行くか 』 (1897-1898) という絵画が、
発している問いと、同じであると、直感しました。
それゆえ、この茶室に一層、心を奪われました。
★ Johann Sebastian Bach バッハ ( 1685~1750 ) を、
知るためには、
Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)、
Frédéric Chopin ショパン (1810~1849)、
Johannes Brahms ブラームス (1833~1897)、
Claude Debussy クロード・ドビュッシー (1862~1918) を、
学ばなければいけないのと、同じである、
ということでも、あるのです。
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