音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ 犬山城の茶室 『 如庵 』、 Gauguin、 Bach ■■

2012-03-12 23:58:48 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■■ 犬山城の茶室 『 如庵 』、Gauguin、 Bach  ■■
           2012.3.12       中村洋子

 

 

 

★先月の、名古屋での 「 インヴェンション・アナリーゼ講座 」 では、

Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) の、

「 Inventio Nr. 7 」 の、17、18小節が、

Beethoven ベートーヴェン (1770~ 1827)、

「 Für Elise エリーゼのために 」   a-Moll  WoO 59 に、

どんなに深く、投影されているか・・・。


★さらに、 Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886 ~ 1960)

による、17、18小節への、Fingering を学ぶことにより、

「 Für Elise 」 の演奏が、  Beethoven の作曲意図に、

近づいていくことを、詳しくお話いたしました。


★これらは、 Bach  の自筆譜、 Edwin Fischer の校訂版、

 Beethoven  の 「 Für Elise 」 の自筆スケッチを、

詳細に学びませんと、分からないことです。

 


★久しぶりの名古屋でしたので、犬山まで参りまして、

自然人類学者の江原昭善先生ご夫妻と、お食事をしながら、

楽しく、歓談いたしました。


★先生につきましては、以前このブログでご紹介したことがあります。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/3d716aa2ef0525ae40a504c9d197f810

先生の研究は、例えば、サルの頭骨を、半年の間、

毎日あらゆる角度から、倦まずたゆまず眺め、

観察し続けることです。

その結果、ある特定の部位での、皺の変化、

表面の微妙な形状から、サルの進化のメカニズム、道筋を、

読み取っていく・・・、というような研究です。

 つまり、地道な観察を続けることにより、進化の過程を、

 解き明かすという研究を、されてきた方です。

 

★ 「 毎日、毎日、骨を眺め続けていますと、

ある日忽然と、視界が開けるように、すべてが見えてきました。

そういう瞬間が、来るのです」 と、若い頃の経験をお話されました。

これは、 Bach バッハ の自筆譜を詳細に見る、

毎日眺め、それを自らの手で、書き写す。

そうすると、バッハの音楽が、作曲の意図が、すべて見えてくる、

自ずから、伝わってくるのと、全く同じですね。

先生は、チェロも嗜まれ、Wolfgang Boettcher  ベッチャー先生の

ファンでも、いらっしゃいます。


★犬山ホテルは、眼下に木曽川が、とうとうと流れ、

白雪を抱いた 「 伊吹山 」 の稜線が、

くっきりと、透明な冬空に浮かび、

岐阜 「 金華山 」のお城も、ほのかに見えました。


★先生は、「 FUKUSHIMA 原発 」 の事件に触れられ、

「 幼児を、ダイナマイトの束の上に座らせ、

そのうえ、マッチをもたせ、

“ 坊や、そこでマッチを擦ったら危ないからね ” と、

言い聞かせているようなものですね 」。

これは、ハンガリーの科学哲学者ケストラーが、

原爆を創ってしまった人類について語った、言葉だそうです。


★人類の進化を歴史的にみていきますと、いまの現代人は、

人間を滅ぼそうとしているのではないか、という観点から書かれた

 「服を着たネアンデルタール人 」 ( 雄山閣出版 2001年刊)

という先生の著作は、自己矛盾に満ちた人間の、

宿命的な姿を、さまざまに考察した興味深い本です

 


★ホテルでの歓談後、ふと立ち寄りました、

犬山城にある、国宝のお茶室 『 如庵 』 には、

不意打ちのように、感動しました。


『 如庵 』 は、織田信長の弟 「 有楽斎 」   ( 1547~1621 ) の、

72歳の作です。

 『 如庵 』 と、一続きになっている重文の 「 旧正伝院書院 」 の、

両方とも、開け放された室内を、外から眺めただけですが、

まるで、自分がその室内に存在しているかのような、

不思議な一体感に、浸りました。


★床下は高く、天井は低く、やさしく包容力に溢れた空間です。

東南アジアを旅する日本人が、棚田を眺めた時、

故郷に帰ってきたような気持ちを抱くのと、似ていました。

“ ここが、私の故郷 ” といいたくなる感情が、湧いて来ました。

お母さんにやさしく、抱っこされているような安らぎが得られます。

 

 


★にじり口の脇の壁には、当時の暦、

変色した暦がたくさん、貼られています。

その暦は、何を表しているのでしょうか?

「 時間 」 です。

にじり口から、茶室に入る際、自然に、

「 時間とは何か 」 を、考えるように、

仕向けているのかもしれません。


★唐突なようですが、

Paul Gauguin ポール・ゴーギャン (1848~1903) の、

『D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

 われわれは何処より来たか、 われわれは何者か 、

われわれは何処へ行くか 』  (1897-1898) という絵画が、

発している問いと、同じであると、直感しました。

それゆえ、この茶室に一層、心を奪われました。


★ Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 )  を、

知るためには、

Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)、

Frédéric  Chopin ショパン (1810~1849)、

Johannes Brahms ブラームス (1833~1897)、

Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー (1862~1918) を、

学ばなければいけないのと、同じである、

ということでも、あるのです。

 


                                   ※copyright © Yoko Nakamura
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