■モーツァルト・ピアノ作品の音階は、真珠のように粒を揃えて弾くものか?■
2011.1.22 中村洋子
★ 1月 25日 ( 火 ) に、開催します、
「 第 10回 平均律・アナリーゼ講座 」 のために、
モーツァルト・ピアノソナタ KV 310 イ短調 を、勉強中です。
★その方法は、≪ モーツァルトの自筆譜 ≫ を読み込み、
≪ エドウィン・フィッシャー校訂 「 モーツァルトソナタ全集 」 ≫ の、
フィンガリング から、フィッシャーの解釈を探り、
≪ ヴィルヘルム・ケンプの演奏 ≫ を、CD で聴くことです。
私にとって、これがモーツァルトに近づくための、
最短にして、最良の勉強法です。
★巷間 「 モーツァルト弾き 」 と、称されるピアニストの、
演奏を聴きますと、まるで真珠のネックレスのように、
粒を揃えて、艶々と音階を弾き、
全体を、当り障りのない小奇麗さに、整えている、
という印象が、私にはあります。
★実際、ピアノのレッスンでも、とにかく、
「 音の粒を揃えて、優美に弾く 」 ことを主眼に、
練習されている方も、多いかもしれません。
★しかし、バッハを勉強した目で、
モーツァルトの作品を、眺めますと、
決して、「 優美で、中庸な 」 音楽ではないのです。
★その証拠が、自筆譜やフィッシャーの校訂版楽譜、
さらに、ケンプの演奏から、見事に、浮かび上がってきます。
★「 モーツァルト弾き 」 のピアニストに、
欠けているものは、何か?
それは、モーツァルトの精緻な 「 対位法 」 への、
理解力の不足です。
対位法 へのアプローチが欠けている ため、
のっぺらぼうで、平板な音楽 に、なってしまうのです。
★この「対位法なし」のモーツァルトは、
ムード音楽に、近付いてしまう危険性があります。
★自筆譜を見ますと、例えば、
1楽章の左手部分は、1小節目から 5小節目冒頭の和音までが、
「 テノール譜表 」 で、記譜されています。
それ以降は、「 バス記号 」 を使って、記譜しています。
★9小節目から、再び、テノール譜表に戻り、
14小節目の2拍目から、バス記号が、使われます。
★モーツァルトのピアノ作品は、ト音記号とバス記号による、
いわゆる 「 大譜表 」 で記譜されていると、
思われている方も、いらっしゃるかもしれませんが、
この有名な曲の、始まりだけでも、
こんなに音部記号が、めまぐるしく変化しています。
★これは、“ 加線を使わずに記譜するための、合理的な方法で、
それに意味を見出すことは、無意味である ” 、
という考えもあるかとは、思いますが、
素直に、≪ テノール譜表のところは、テノール声部 ≫、
≪ バス譜表は、バス声部 ≫ と、考えますと、
“ 左手はテノールとバスの 2声部で、作曲している ” と、
納得が、いきます。
★その箇所も含めて、ケンプの演奏を聴きますと、
モーツァルトの室内楽や、交響曲と同様に、
多声部の豊かな音楽と意識して、弾いているのが、
よく、分かります。
★さらに、E ・フィッシャーの、フィンガリングを見ますと、
右手 1小節目冒頭の、Disを 2指、
Eを 1指、としています。
その後、3回続く E音の 1個目を 3指 、
3個目を 5指と指定し、
4拍目の C 、 A の A音のみ 2指と、しています。
★その理由については、講座で詳しくお話いたしますが、
この指定により、7小節目の右手冒頭 Dis を、
4指にした意味が、明白に理解できます。
要は、7小節目冒頭 Dis音と、
それに続く 2拍目の E音 によってできる 「 Dis E 」
というモティーフは、冒頭 1小節目の Dis E の、
≪ 拡大形 ≫ なのです。
★3小節目の右手 3拍目と 4拍目の、
「 ミ ファ ミ レ ド シ ラ 」は、
ファを 4指、シを 3指と、フィッシャーは指定しています。
★ここを、じっくり考えますと、
音階に対する、モーツァルトの基本的な考え方が、
はっきりと、分かってくるのです。
しかも、それは、バッハと全く同じ なのです。
★25日の講座では、その点を詳細にご説明するとともに、
バッハの 「 平均律 10番ホ短調 」 の前奏曲とフーガ が、
この 「 KV 310 イ短調 」 に、大河のように、
流れ込んでいることを、お示しします。
( おみくじ、仏さま、椿と蠅、紅梅 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲