■ご質問へのお答えと、バッハとシューマン・「パピヨン」との関係■
09.12.26 中村洋子
★アナリーゼ講座で、よくお受けします質問で、最も多いのが、
「アナリーゼのことを書いた、いい本はございませんか?」です。
お答えは、「残念ながら、存じません」です。
★出版されています、アナリーゼの本の大部分は、
次のような、内容です。
「曲のなかで、テーマやモティーフがどこにあるか、
その位置を、示している」だけ、あるいは、
それすら明確に示さずに、曖昧な形容詞で、
ぼんやりと示唆するのに、とどまっているようです。
★実際に、その本を見て、勉強しますと、
テーマの位置は、よく分かりますが、その結果、
≪テーマを、強く弾きさえすればいい≫という、
過ちに、陥り勝ちです。
「テーマを強く、はっきりと弾き、他の部分は、弱く弾く、
ということで良いのでしょうか、それしか、
私には理解できないのですが・・・」というお悩みを、
お持ちの方が、私の講座によくいらっしゃいます。
★そのような方は、実に誠実な方で、
「自分ではその本を、十分に理解できないのではないかしら」と、
ご自分の能力を疑ってしまい、ご自分を責めてしまいます。
しかし、それは、ご自分の責任では、決してないのです。
★そのアナリーゼの本の著者が、本当にバッハの和声や対位法を、
理解して、書いているかどうかが、肝心です。
著者が、「ピアニスト出身」あるいは「ピアニスト」と、
いいいましても、エドウィン・フィッシャーや、
アルトゥール・シュナーベルのように、
音楽理論を血肉化したうえで、自分の芸術を、
羽ばたかせている、大芸術家なのか、
あるいは、バルトークのように第一級の作曲家が書いた、
アナリーゼの本なのか、まず、十分に確かめてください。
★テーマや、モティーフ(構成要素、動機)は、
ご自身で、じっくりと、検討されれば、
本を読むまでもなく、どなたでも、見つけられるものです。
重要なのは、そこから先です。
★作曲家が、全体の構成のなかで、どのような意図をもって、
「テーマを配置」していったか、
それが、本の中で分析されているかどうか、
さらに、その作曲家の和声について、
その「作曲家固有の和音」がどこに、潜んでいるか、
その和音の音が、どういう方向性や色彩をもった音か、
(例えば、導音は主音を志向しますので、導音が主音に解決したときに、
どう弾けば、導音と主音との関係を、音で表現できるかなどの、
説明があるかどうか)という分析が、必要です。
★また、クラシック音楽の傑作が、必ず備えている「対位法」を、
その著者が、曲から見つけ出し、解説されているかどうか、
そのような点が、チェックポイントです。
★以上の条件に合うアナリーゼの本を、私は残念ながら知りません。
私のアナリーゼ講座では、以上の点を実際に、ピアノで音を出しながら、
可能な限り、分かりやすく体験していただきました。
ことし12月、カワイ・表参道での
「バッハ・インヴェンション講座 全15回」を、終えました。
★この講座の内容を、来年は、一冊の本にまとめ、
皆さまに、お読みいただければ、と思っております。
私の願いは、バッハを演奏したり、聴いたり、
レッスンしたりする際に、本当の手引きとなるような
内容と、することです。
★きょうは、シューマンの「パピヨン Papillons」Op.2 の、
自筆譜を見て、私が感じたことを、お話したいと思います。
★この曲集は、シューマン(1810~1856)の、
1829~31年にかけての、作品です。
20歳前後、まだハイデルベルク大学で、法律を学んでいたころです。
最も、興味深いのは、序奏(Introduzione)の 6小節に続く、
「第 1曲」の左手 「5~ 7小節目」です。
自筆譜には、初稿の楽譜も記載され、それを斜線で消し、
現在の決定稿が、その後に、書かれています。
★決定稿は、5 小節目のバスが、4分音符で「 G H B 」 と動き、
6 小節目で、2分音符の「 A 」に、4分音符の「 G 」が続き、
7 小節目の付点 2分音符「 Fis 」へと、つながります。
★しかし、初稿では、5、6、7小節目は、1、2、3小節目と、
類似した伴奏パターンを、とっています。
5小節目の1拍目は、ひらがな「い音」( A )が、奏され、
2拍目は、「 G H E 」、3拍目は、「 G B E 」の 3和音です。
6小節目の 1拍目も、ひらがな「い音」( A )が、奏され、
2拍目は、「 A Cis E 」 、3拍目は「 G Cis E 」の 3和音です。
7小節目の1拍目は、かたかな「ニ音」( D )が奏され、
2、3拍目は「 Fis D 」 の、2和音です。
★決定稿から、分かりますことは、
シューマンが、この 「5~ 7小節目」で、聴く人や弾く人に、
「半音階」を、強く意識させることを、
意図していた、ということです。
もう一つ、分かりますことは、
1小節目1拍目 バスの 「A」 、
2小節目1拍目 バスの 「Ais」 、
3小節目 1拍目 バスの 「H」、
この「 A Ais H 」の 3音による、上行半音階が、
5小節目 2拍目から、 6小節目 1拍目のバスにかけて、
逆行形の「 H B A 」として、奏されることです。
★この「A Ais H」と、逆行形の「 H B A 」の関係は、
これから、全曲にわたって、張り巡らしていく
「対位法」の、先駆けと、見るべきです。
★シューマンが、半音階を際立たせるため、
何故、このように推敲したのか・・・。
それは、インヴェンションの全 15曲(Sinfoniaも含め 30曲)が、
第1曲に現れる「基本モティーフ」を順次、展開していく
≪主題と変奏≫という、関係にあることを、
彼が、バッハから学んだからでしょう。
シューマンは、序奏と全 12曲の小品から成る「パピヨン」で、
バッハの手法を、自分の創作に根付かせようと、
何度も何度も、推敲したように、私には思われます。
★「 H B A 」と「 B A C H 」は、どこか似ていませんか?
★この「 H B A 」のような、 3音による半音階進行 は、
「平均律クラヴィーア曲集」の、1巻 1番にも使われ、
この半音階を、第1曲目に置くことにより、
それ以降の曲の、「半音階」が、
より引き締まって、聴こえてきます。
★バッハも、「平均律クラヴィーア曲集 1巻」の、
特に、前半 12曲は、「インヴェンション」と同様の、
構成原理で、配置していますので、
まだ作曲家として、出発点にいた時期のシューマンが、
「インヴェンション」と「平均律」を、
作曲の拠り所としていたことは、想像に難くありません。
★冒頭のご質問への、お答えですが、
重要なテーマであるからこそ、
「弱く弾いたほうがいい」箇所も、あるはずです。
決して、他の声部に埋没させてはいけませんが、
大切なところであるからこそ、“小声で歌う”という、
発想も、作曲家は大切にします。
どのテーマを、“小声で歌う”か、自分で見つけ出すことが、
できるようにするため、アナリーゼが必要なのです。
(完熟した酢橘)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.12.26 中村洋子
★アナリーゼ講座で、よくお受けします質問で、最も多いのが、
「アナリーゼのことを書いた、いい本はございませんか?」です。
お答えは、「残念ながら、存じません」です。
★出版されています、アナリーゼの本の大部分は、
次のような、内容です。
「曲のなかで、テーマやモティーフがどこにあるか、
その位置を、示している」だけ、あるいは、
それすら明確に示さずに、曖昧な形容詞で、
ぼんやりと示唆するのに、とどまっているようです。
★実際に、その本を見て、勉強しますと、
テーマの位置は、よく分かりますが、その結果、
≪テーマを、強く弾きさえすればいい≫という、
過ちに、陥り勝ちです。
「テーマを強く、はっきりと弾き、他の部分は、弱く弾く、
ということで良いのでしょうか、それしか、
私には理解できないのですが・・・」というお悩みを、
お持ちの方が、私の講座によくいらっしゃいます。
★そのような方は、実に誠実な方で、
「自分ではその本を、十分に理解できないのではないかしら」と、
ご自分の能力を疑ってしまい、ご自分を責めてしまいます。
しかし、それは、ご自分の責任では、決してないのです。
★そのアナリーゼの本の著者が、本当にバッハの和声や対位法を、
理解して、書いているかどうかが、肝心です。
著者が、「ピアニスト出身」あるいは「ピアニスト」と、
いいいましても、エドウィン・フィッシャーや、
アルトゥール・シュナーベルのように、
音楽理論を血肉化したうえで、自分の芸術を、
羽ばたかせている、大芸術家なのか、
あるいは、バルトークのように第一級の作曲家が書いた、
アナリーゼの本なのか、まず、十分に確かめてください。
★テーマや、モティーフ(構成要素、動機)は、
ご自身で、じっくりと、検討されれば、
本を読むまでもなく、どなたでも、見つけられるものです。
重要なのは、そこから先です。
★作曲家が、全体の構成のなかで、どのような意図をもって、
「テーマを配置」していったか、
それが、本の中で分析されているかどうか、
さらに、その作曲家の和声について、
その「作曲家固有の和音」がどこに、潜んでいるか、
その和音の音が、どういう方向性や色彩をもった音か、
(例えば、導音は主音を志向しますので、導音が主音に解決したときに、
どう弾けば、導音と主音との関係を、音で表現できるかなどの、
説明があるかどうか)という分析が、必要です。
★また、クラシック音楽の傑作が、必ず備えている「対位法」を、
その著者が、曲から見つけ出し、解説されているかどうか、
そのような点が、チェックポイントです。
★以上の条件に合うアナリーゼの本を、私は残念ながら知りません。
私のアナリーゼ講座では、以上の点を実際に、ピアノで音を出しながら、
可能な限り、分かりやすく体験していただきました。
ことし12月、カワイ・表参道での
「バッハ・インヴェンション講座 全15回」を、終えました。
★この講座の内容を、来年は、一冊の本にまとめ、
皆さまに、お読みいただければ、と思っております。
私の願いは、バッハを演奏したり、聴いたり、
レッスンしたりする際に、本当の手引きとなるような
内容と、することです。
★きょうは、シューマンの「パピヨン Papillons」Op.2 の、
自筆譜を見て、私が感じたことを、お話したいと思います。
★この曲集は、シューマン(1810~1856)の、
1829~31年にかけての、作品です。
20歳前後、まだハイデルベルク大学で、法律を学んでいたころです。
最も、興味深いのは、序奏(Introduzione)の 6小節に続く、
「第 1曲」の左手 「5~ 7小節目」です。
自筆譜には、初稿の楽譜も記載され、それを斜線で消し、
現在の決定稿が、その後に、書かれています。
★決定稿は、5 小節目のバスが、4分音符で「 G H B 」 と動き、
6 小節目で、2分音符の「 A 」に、4分音符の「 G 」が続き、
7 小節目の付点 2分音符「 Fis 」へと、つながります。
★しかし、初稿では、5、6、7小節目は、1、2、3小節目と、
類似した伴奏パターンを、とっています。
5小節目の1拍目は、ひらがな「い音」( A )が、奏され、
2拍目は、「 G H E 」、3拍目は、「 G B E 」の 3和音です。
6小節目の 1拍目も、ひらがな「い音」( A )が、奏され、
2拍目は、「 A Cis E 」 、3拍目は「 G Cis E 」の 3和音です。
7小節目の1拍目は、かたかな「ニ音」( D )が奏され、
2、3拍目は「 Fis D 」 の、2和音です。
★決定稿から、分かりますことは、
シューマンが、この 「5~ 7小節目」で、聴く人や弾く人に、
「半音階」を、強く意識させることを、
意図していた、ということです。
もう一つ、分かりますことは、
1小節目1拍目 バスの 「A」 、
2小節目1拍目 バスの 「Ais」 、
3小節目 1拍目 バスの 「H」、
この「 A Ais H 」の 3音による、上行半音階が、
5小節目 2拍目から、 6小節目 1拍目のバスにかけて、
逆行形の「 H B A 」として、奏されることです。
★この「A Ais H」と、逆行形の「 H B A 」の関係は、
これから、全曲にわたって、張り巡らしていく
「対位法」の、先駆けと、見るべきです。
★シューマンが、半音階を際立たせるため、
何故、このように推敲したのか・・・。
それは、インヴェンションの全 15曲(Sinfoniaも含め 30曲)が、
第1曲に現れる「基本モティーフ」を順次、展開していく
≪主題と変奏≫という、関係にあることを、
彼が、バッハから学んだからでしょう。
シューマンは、序奏と全 12曲の小品から成る「パピヨン」で、
バッハの手法を、自分の創作に根付かせようと、
何度も何度も、推敲したように、私には思われます。
★「 H B A 」と「 B A C H 」は、どこか似ていませんか?
★この「 H B A 」のような、 3音による半音階進行 は、
「平均律クラヴィーア曲集」の、1巻 1番にも使われ、
この半音階を、第1曲目に置くことにより、
それ以降の曲の、「半音階」が、
より引き締まって、聴こえてきます。
★バッハも、「平均律クラヴィーア曲集 1巻」の、
特に、前半 12曲は、「インヴェンション」と同様の、
構成原理で、配置していますので、
まだ作曲家として、出発点にいた時期のシューマンが、
「インヴェンション」と「平均律」を、
作曲の拠り所としていたことは、想像に難くありません。
★冒頭のご質問への、お答えですが、
重要なテーマであるからこそ、
「弱く弾いたほうがいい」箇所も、あるはずです。
決して、他の声部に埋没させてはいけませんが、
大切なところであるからこそ、“小声で歌う”という、
発想も、作曲家は大切にします。
どのテーマを、“小声で歌う”か、自分で見つけ出すことが、
できるようにするため、アナリーゼが必要なのです。
(完熟した酢橘)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲