写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

雪の下

2006年05月19日 | 季節・自然・植物
 1ヶ月も早く梅雨になったような毎日。その上、早くも台風を道連れにした雨が昨日も今日も降っている。

 出窓の外に目をやった。「あれっ?」と思い目をこすってみた。つい10日前までは、花水木の赤と白の花がこれみよがしに咲き誇っていた。

 3日見ぬ間とまでは言わないが、今はもうすっかり鮮やかな新緑に変わっている。さながら歌舞伎の早変わりのような変わり身である。

 大きな葉の大きさを測ってみた。長さが10cmある。計算してみると1日で5mm伸びたことになる。なるほど、庭の景色が早変わりするはずだ。

 その新緑の下では、今度は梅雨の主役が着々と準備に怠りはない。5年前に植えたカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)が、例年になく多くのつぼみを付けている。

 数えてみると30個余りのつぼみがある。白い花穂が長円錐状となるアジサイの大型品種だが、まだ若い緑色で頭を垂れた稲穂のようだ。
 
 ボリュームのある花の一片ずつを見るとまさにアジサイであるが、葉の形が柏の葉に似ていることから命名されたという。

 原産地は北米、別名をスノーフレーク、科属名はユキノシタ科だそうだ。ユキノシタ・雪の下といえば鎌倉の地名。梅雨の鎌倉といえば明月院。明月院といえばアジサイ寺。

 雪の下とアジサイ、こういうことで無理やりくっつけてみた。「……の下」というと、袖の下、鼻の下、へその下などと印象のよい言葉にはあまり使われていないような気がする。

 「雪の下」は音の響き、語感共に優しくてよい。牛のしたではよだれが落ちそうだし、猫のしたでは火傷しそうだし。「おっと、これはしたり。した違いだぁ」。    
(写真は、ただいま準備中の「柏葉紫陽花」)

水琴窟

2006年05月18日 | 季節・自然・植物
 毎年この季節になると、うちの奥さんは園芸店に足しげく通うようになる。今日は、30km先の柳井まで遠出してきた。

 1時間半もの間、店の内外をくまなく観察・物色する奥さんと離れ、私は私の興味を引くものを見て歩いた。

 ガーデニング用品のコーナーに来たとき、前々から欲しいと思っていたものが置いてあった。据え置き型の「水琴窟(すいきんくつ)」である。

 水琴窟とは、日本独自の庭園施設で、手を洗った水が穴から水滴となって埋め込まれたかめ底に溜まった水面に落ち、かめの中で反響する音色が琴の音に似ていることから、こう呼ばれているものである。

 2種類の水琴窟が並べてあった。その前にしゃがみ込んで上から横から手で触りながら品定めしていた。

 「水を入れてみましょうか?」若い男性店員が、如雨露で水を満たし、電源を入れると水が流れ始めた。水流の音と、滴り落ちる音と、2種類の音が快く聞こえた。

 思わず「これを下さい」といい、陶器で作られたかめ型のものを買い求めた。アーリーアメリカン調の我が家に、和風庭園の小道具を持ち込むことになった。

 家に帰り、置き場所を考えた。サンデッキの片隅に置き、水をいれコンセントを差し込んだ。

 「チョロチョロチョロ、ポチャン・ピチャン・プチャン」と、心穏やかになりそうな音色が聞こえてきた。

“花鳥風月”を愛で“わびさび”を理解し、水や松風の音に風流を楽しむという、日本の文化の1片を持ち込んだ気がした。

 川のせせらぎの音、小波の打ち寄せる音、小鳥のさえずり、小枝をゆする風の音、かえるの声。基地の爆音に慣らされ、最近、このような自然の音に鈍感になっていた。

 デッキに置いた水琴窟の発する音を聞けば、水金と言わず、火木土と無限の彼方にまで思いを広げ、私の錆付いた感性に、少しは磨きがかかろうというものか。

「グーグーブフー」、足元で水琴窟の音を掻き消す無粋な音がした。小太りのハートリーが、大きないびきをし始めた。これも自然の音というのだろうか。
  (写真は、精神修養の小道具「水琴窟」)

朝寝・朝酒・朝湯

2006年05月17日 | 食事・食べ物・飲み物
 遅く起きた母の日、クール宅急便で小包が届いた。東京にいる長男からであった。宛名はもちろん妻宛となっている。

 嬉しそうに妻は包装を解いた。四角い箱が出てきた。中には「純米大吟醸『半蔵』中汲み原酒限定486本」とのラベルを貼った三重県伊賀太田酒造の酒が入っていた。

 裏には、「伊賀 山田錦100%、ひとつの搾りの段階で1番良い状態の部分を取り出して、生のまま瓶詰めしました。

 フルーティな香りと華やかな膨らみのある、すっきりした中汲みのおいしさを凝縮した旨味が広がります。

 火入れ処理をしていない生酒です。そのまま冷やしてお召し上がりください」と書いてある。

 私に似て酒に弱い長男が、父親に似て酒に強い妻に、何と冷酒のプレゼントをしてくれたものであった。

 私とて、量は飲めないが、お酒は嫌いではない。むしろ好きな方であるが、息子から酒を贈ってもらった覚えはない。

 我が妻の、本当の嗜好品をさすがに良く知っている。嫁の発案であったかもしれないが、気の利いたプレゼントをもらったものだと喜んでいる。

 午前10時、昼飯まで我慢できない。折角冷えた状態で届けられた。「少しやってみるか?」「飲んでみましょうか」意見は一致した。

 青色の江戸切り子に半分づつ注いで飲んでみた。18度と濃くて甘い、上品な味がした。「何かつまむものは……?」というと、買い置いていたいか揚げが出てきた。

 「そのままでおいしいおつまみ いか。いかの風味と食感を活かしました」と、私の駄洒落の上を行くようなことがラベルに書いてある。

 もう一口づつ飲んで、栓をした。三分の一が減っていた。新聞を読み始めたが、しばらくすると眠たくなってきた。

 朝酒、いつ以来だろう。新入社員時代、職場旅行での温泉宿の朝、大先輩に勧められて飲んで以来のような気がする。

 母の日、妻にお付き合いするとの言い訳で、長男・嫁・孫のことを思いながら、朝から冷たいお酒を飲んでみた。

 心は温かく、頭は次第におぼろになっていった。その時、「ジリジリ」とタイマーが鳴った。さあ、次は朝湯だ~。
   (写真は、母の日プレゼントの「純米大吟醸『半蔵』」)

プライド

2006年05月16日 | 生活・ニュース
 1年前から、ミニバイクのハンドルについているアクセルの動きが固く、回りにくくなっていた。15年も前に買ったバイクではある。

 滅多に乗ることはないが、2ヶ月前に乗ろうとした時には、エンジンはかかるが、アクセルを回すことが出来なかった。

 ケーブルが錆びて固着したためだと判断した。バイク屋に持っていくか自分で直すか考えたが、暇に任せ自分で修理することにした。

 ケーブルを取り外すため、ハンドルの部分をばらし、続いてボディのプラスチックカバーを取り外しにかかった。

 構造が分からず、手探りでばらしていく。カバーがなかなかばらせない。バイクを横に倒し、留めてあるビスを探す。

 思うように分解できず、ケーブルが取り外せないまま、中途半端な状態で2ヶ月がたった。庭に置いてあるバイクを見るたびに、捨てるべきか、直すべきかいつも考えていた。

 天気の良い日、修復に向けて再びバイクに立ち向かった。前回はうまくいかなかったカバーの取り外しが、隠れたビスも見つかり今回は簡単に出来た。

 固着しているケーブルを、やっと取り外すことも出来た。それを持って町のバイク屋に走り、同じ部品の購入手配をお願いした。約3000円だと言う。

 うまくばらすことが出来なかった時、一時は、捨てるか直すか迷ったバイクだが、何とか部品を調達するところまでいった。

 15年物とはいいながら、その他はどこも悪くない。ちょっとした時には活躍してくれる相棒である。もったいない。大事にしなければいけない。

 今まで私は、洗濯機・乾燥機・換気扇・掃除機・カメラ・食器洗い機など、壊れたものの殆どは一応はばらしてみた。結果、直ったもの、直らなかったもの半々か?。

 かつての機械屋としてのプライドから、壊れたものはどうしても1度は、ばらしてみたくなる。

 果たしてこのミニバイク、私のこの腕で、元通りに組み立てることが出来るかどうか。バイクの運命やいかに。
   (写真は、部品の到着を待っている「ミニバイク」) 

夫の病

2006年05月15日 | 生活・ニュース
 ボランティアの月例会があった。終わって家に帰りお茶を飲んでいる時、インターホーンが鳴った。

 「おとうさ~ん、お客さんですよ」玄関に出た妻が私を呼んだ。一緒に会で活動をしているご婦人が2人、申し訳なさそうな顔をして立っていた。

 「以前、バラの花を見にいらっしゃいと言われましたので……」といって、にこにこしている。

 以前といっても、もう半年以上も前のことである。研修旅行のバスでの雑談で、私が誘っていたことを思い出した。とっくに忘れている話だ。

 会が終わったあと、急ぎの用もないので、散歩がてら我が家のバラを見に行ってみようということになって来たようだ。

 この時期バラと言っても、まだモッコウバラしか咲いていない。サンデッキに座り、紅白の満開の花水木を見ていただくことにした。

 75歳になったという身も心も元気なS婦人は、口が達者で話がうまい。初めて対談したが、お茶を飲みながら四方山話で盛り上がった。

 ところが、ひとつ悩みがあると言う。「84歳になるうちの主人が、3年前からうつ病なの」とあっけらかんに明るく話す。

 症状を訊いてみるが、もともとおとなしいご主人の口数が、最近極端に少なくなってきたという。

 「故郷を離れていた年数が長く、友達も遠くにしかいない。最近は、身体も少し弱り、出歩くことも少なくなった」と愚痴をこぼす。

 何といってもS婦人が1番心配していることは、話をしなくなったことらしい。これを根拠に「うつ病」だと決め付けている。

 しかし、S婦人と話をしていて気が付いたことがあった。S婦人は、話し好きで、話し始めたら誰も止めることが出来ない。

 相手に話をさせることなく、ひっきりなしに自分の話を長々とする。「多分、ご主人は言葉を発しないのではなく、あなたが話をする余裕を与えていないのではないでしょうか」と、冗談半分で言ってみた。

 「ああ、そうですね。そういわれれば、そうかもしれませんね」と、素直にうなずく。

 本当のうつ病ならもっと深刻なこともありそうだが、そんなことはないと言う。話好きのS婦人にかかると、周りの男はみんなうつ病と診断されそうな気がした。

 「ところで私は周りの皆さんからいつも、そう病ではないかと言われていますよ」と、私が言ったところで、しゃべり疲れたS婦人のご帰館の時間となった。
(写真は、4月29日の「阪神・太陽選手」:うつに勝つには速球を投げる)