28日、急きょ孫が駆けつけてきて餅をついたが、こんな年末でさえも塾があるといって、その晩に帰って行った。翌日の朝はことのほか寒かった。玄関アプローチに置いている水がめには厚さ1cmもの初氷が張っていた。庭に下りてみると、サクッサクッと小気味よい小さな音が靴底から聞こえてきた。霜柱だ。正月を前に、冬本番を迎えようとしている。
その夜、そろそろ寝ようかと思っている11時過ぎ、「カッチ、カッチ」と拍子木を打つ音が、通りに面した窓から聞こえてきた。毎年ことながら、年の瀬の3日間、地区の消防団員が回ってくれる。外に出て感謝の言葉のひとつもかけようと思う内に、次に聞こえる拍子木の音はすでに遠い。
晦日の今日、買ってきていた「安芸地方のしめ縄」を飾ろうとして袋から取り出すと、由来を書いた紙が出てきた。「大中小の輪からなり、大の輪は親の代、中の輪は子の代、小の輪は孫の代に相当し、代々の繁栄や、無病息災を願ったもの。付属しているものの内、橙(ダイダイ)は一家の繁栄と、家督を親子代々受け継ぐという意味。ウラジロは、裏の白い方を表に出して飾り、表裏のない真っ白い人間になるように。
ユズリハ巻きは、ユズリハの中に松と藪柑子(ヤブコウジ)を包んだものを、しめ縄の首につける。ユズリハは春になると葉を落とし新しい葉に入れ換わるため、代が替わるという意味。松は末代まで栄えるという意味。藪柑子は、赤い実をつけて縁起の良いものとして、南天(難を転ずる)と共に使われていたが、藪柑子の方が地下茎で繁殖し勢力旺盛であるため、その地に根を張るという意味でよく用いられている」と書いてある。
読んだ後、もう一度じっくりとしめ縄を眺めてみた。毎年これといった努力はしなくても、このしめ縄を飾りさえすれば、私の一代だけでなく孫子の代まで、ずっと栄え続けるような気がしていた。いやいや、そんなことはあるまい。子子孫孫までの弥栄は、今を生きている我々がまく種しだいに違いない。心して新しい年は、これまで以上に真摯に生きていきたいと、しめ縄をぎゅっと握りしめて玄関の上に飾り付けた。
♪ もういくつ寝ると お正月~~ ♪ みなさん 良いお年を 元気でお迎えください。