写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

ハチ合わせ

2013年08月29日 | 季節・自然・植物

 7時前、いつもより少し早く目が覚めた。暑い夜は夜中にたびたび目が覚めることがあり、だらだらと寝ていることが多かったが、涼しくなってきたので熟睡できたからだろうか。起きて新聞を読んでいると「おとうさん、ブルーベリーをもぎましょうよ」と。おくさんから朝の仕事を命じられた。

 ザルを手にして、ブルーベリーの木の下に立った。今年は豊作であった。植えてから25年経った木に、今年はすでに10kgくらい収穫できたが、まだ数kg熟れていないものが残っている。もいでいく奥さんの服装は、農作業用の日よけ帽子に長靴をはき、長袖の上着を着ての完全防備体制。それに引き換え私は、サンダル履きに半そで半ズボンとビーチ散策スタイルだ。

 真っ黒に熟れた実は、房に軽く触っただけでポロポロと面白いように落ちてくる。高い所には手が届かない。 椅子を持ち出して乗り、手を伸ばしてもいでいたとき、ザルを持っている左腕の外側にチクリと痛みが走った。「あっ、痛い!」。先の小枝に、作りかけているハチの巣が見えた。6角形のハニカムはまだ5個くらいしかない。夫婦であろう、2匹のハチが懸命に巣を建造中である。

 2匹のうち、どちらのハチが刺したのか分からないが、何ごともなかったように巣にとりついて作業をしている。刺された私は、あわてて椅子から飛び降りた。毒を絞り出すようにしながら家に入り、常備している虫刺され薬「液体ムヒ」を塗りまくる。腕のどこを刺されたのかは老眼ではよく分らない。やがて刺されたところが直径1.5cmくらいの低い丘のように腫れてきた。そのど真ん中が刺されたところだろう、赤い点になっている。

 ムヒのおかげか痛みはない。ひと息ついた後、かたき討ちというか今はやりの倍返しというか、ハチ退治に出かけることにした。枝切り用の長いハサミを、まるで棒高跳びでもするように水平に持って、恐る恐る近づき、巣がぶら下がっている小さな枝を確認して枝元からチョッキン。あえなく巣はハチが取りついたまま地上に落下した。

 2匹がどこかに飛んでいったのを確認して巣を踏みつぶす。今年、このブルーベリーの木で2件目のハチ騒動だ。小ぶりのハチだったから刺されても大したこともなく一件落着と相成ったが、2度あることは3度ある。残りの実の収穫をするときには、今度はハチの巣がないことをよく確認してやろう。朝から、とんだ鉢合わせ、いやハチ合わせで、何もすることのない1日がまた始まった。


勝利投手とは

2013年08月28日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 昨夜(27日)、暗くなってから散歩に出かけたため、プロ野球の広島対横浜戦を、7回裏のカープの攻撃からをテレビで観戦した。カープの投手はエースの前田健太、相手はこれまたエースの番長・三浦が投げている。7回が終わった時点で1-0でカープがリード。投手戦のいい試合だ。

 カープは1997年にAクラスだった後は、15年続けてBクラスで低迷。残り少ない現在3位。「今年こそAクラス入りか」「CSへ初出場か」「まかり間違えばセ・リーグ優勝か」などの血迷った期待さえもが漂っている。

 さて試合は8回の表となった。カープの投手は111球を投げ終わった前田に代わって永川だ。永川に対して私は以前から投手としてのいい印象を持っていない。不安を胸に見ていた。横浜は3本のヒットを打って、いとも簡単に1点を取り同点とした。前田が7回まで力投し、12勝というセ・リーグ最多勝利投手目前だったものが、あっという間に水の泡となった。

 ところが今年のカープはさすがに粘り強くて頼もしい。8回の裏、日頃打たない守備や代走要員までがヒットを打ったりで、何と打者一巡の猛攻で7点をとった。9回は抑えの今村が好投して試合終了。カープはがっちり3位をキープした。めでたし、めでたしか。いや違う。

 今朝の新聞を見て驚いたというか、理解に苦しんでいる。昨夜のカープの試合で「勝利投手は永川」と書いてある。野球規則ではそうなるのであろうが、たった8回表の1回投げただけ、しかも1点取られて同点にされた。その裏に味方が点をとってくれたから勝利投手になった。7回まで無失点で抑えてきた前田の立場はどうなんだ。前田こそ、この試合の投手としての立役者なのではないのか。

 野球規則を調べてみると勝利投手の権利とは、「①先発投手が5回以上を投げ、降板した時点で味方のチームがリードしている場合。②救援投手が同点あるいは負けている場面で登板し、降板する前にチームが勝ち越した場合」とある。もうひとつ「先発投手が5回未満で降板し、その時点で味方のチームがリードしている場合、チームの勝利に最も効果的な投球をしたと公式記録員が判断した救援投手」ということが書いてある。

 そうだ。勝利投手を決める基準も生真面目なものではなく、試合全体を眺めてみて「チームの勝利に最も効果的な投球をしたと公式記録員が判断した投手」とし、野球ファンに大きな違和感を与えないような規則に改正した方が絶対よい。なあ、健太君。


句読点の打ち方

2013年08月27日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 岩国エッセイサロンの今月の例会で「句読点の打ち方」というワンポイントレッスンをした。小学生のころから作文を書くとき、確たるルールも知らないままに文章を書いてきた。句点の丸は文章の終わりに打つことくらいは分かっていたが、読点の点となると、それこそいい加減に打ってきた。

 文章の書き方の本などを読んでみると、読点を打つ暗黙のルールらしきことが書いてある。ポイントは、あくまでも内容が読者に正確に伝わるように、読みやすいように打つこととある。例会で例文を読みながらその辺りのことを会員に説明した。そんなことがあった数日後、阿刀田高が書いた「日本語えとせとら」という本をを読んだところ、「句読点あれこれ」というエッセイが載っていた。 

 句読点が悩ましいといっても、悩ましいのは読点のほう。厳密なルールはない。書く人に委ねられていて、息の長い人はなかなか打たないし、息切れしやすい人はよく打つ?とか。本当なのか? 面白い例文が書いてあったので紹介する。

 むかしむかしの話。一休さんが「二重にまきてくびにかける数珠が欲しい」と注文。仏具屋は二重にして、手首にかけるくらいの大きさのものを作って持って行った。すると一休さんは「注文と違うな。二重に巻きて首にかけるんだ」と言ったという。すなわち、注文書は「二重にまきて、くびにかける数珠が欲しい」という意味であったそうだ。これは作り話であろうがこんな間違いを引き起こさないように読点は打たなければいけないということである。

 もうひとつの例文があった。「おっ、川べりにうさぎが来ている」「あっ、空に飛んでいった」「うさぎが飛ぶかよ」「ううん、う、と、さぎだ」なんてばからしいお笑いの例文である。読点の基本原則は、文の切れ目に打つことである。ただし、その切れ目が平仮名や片仮名や漢字などの異なる文字のぶつかり合いのときは、打たなくても正しく読み取れるので打たなくてもよい。実例としては次の通りである。

 「家に、にわ、にわとりがいます」「家に二羽にわとりがいます」「家に二羽、鶏がいます」。平仮名と平仮名がぶつかっているときには打つ。漢字と平仮名なら打たない。漢字と漢字がぶつかるときなら打つ。この原則で文章を書けば意味を間違えることなく読みやすくもなる。これで、テンで話しにならないような文章を書かないですむ、かな。


目を合わせる

2013年08月26日 | 生活・ニュース

 小さなことだけど、テレビを見ていて前から気になっていることがある。ニュースを伝えるアナウンサーやタレントが何らかの情報を知らせたりするとき、視聴者と目が合っていないことがたびたびある。

 散歩中であれ、どこかで誰かと立ち話をするときであれ、まじまじと相手の目の奥まで見据えるほどではないにしても、相手の目を見ながら話す。時に目をそらすことはあっても、すぐにまた相手の目を見ながら、笑ったりうなずいたりしながら話し合う。
一方的に話を聞かされるときでも私が話をするときでも同じことである。

 ところがテレビで、肝腎の話をしている人の目と見ている私の目が合っていないことにいらつきを覚えるときがある。多分、テレビカメラのレンズとやや外れた所に掲げてあるカンニングペーパーを、読みながら伝えているからに違いない。顔だけが茶の間に向いているが、目は違う方を見ている。いっそのこと、カンニングペーパーを手元に置いて下を向いて読んでくれた方がすっきりする。

 人とのコミュニケーションで大切なポイントのひとつは、相手とのアイコンタクトだという。じっと見つめ合うことは恋人同士に任せるとしても、相手の目を穏やかな眼差しで見ながら話を聞く姿勢は「私はあなたの話を真剣に聞いていますよ」という重要なサインである。

 話の発信者であるアナウンサーなど話し手が、顔だけこちらに向けて目線を視聴者から外しているのでは、一体誰に話しかけているのか分からなくなる。視聴者が人の話をまるで盗み聞きでもしているかのような変な感覚にもなってしまう。

 こんな伝え方をするテレビを見るたびに、いつも思うことがある。カンニングペーパーをカメラレンズの直ぐ近くに掲げて読ませれば、おおむね目線は視聴者の方に向き、大きな違和感を与えることもない。放送の現場スタジオを見たこともない素人考えではあるが、この違和感解消にちょっと知恵を出してみてほしい。

 何かの講演会を聞きにいったときだって、話の途中で講師と、たまたま目が合ったときなどは、自然に素直にうなずいてしまう時がある。人の話を聞くって、「目を合わせる」という、そんな単純な動作から信頼関係が結ばれるというものではなかろうか。そういえばいつからだろう、我が奥さんと見つめ合うってことがないな~。


原因を学ぶ

2013年08月20日 | 生活・ニュース

 今年はことのほか暑い。68年前の夏は、いま以上に暑かったに違いない。焼き尽くされて、日差しを避ける木陰さえない街があったのだろうから。

 毎年8月になると、2度とあのような戦争を起こしてはならないと、全国各地で戦争体験者が戦争の悲惨さを若い人に語りつないでいる。僅かに残っている写真を手に、何とかして伝えようとしている姿には、使命感のようなものが感じられ頭が下がる。

 そんな中、昨日の毎日新聞で「日中戦争掃討作戦 兵士の手紙」という記事を読んだ。1938(昭和12)年に起きた日中戦争時のできごとである。日本兵が掃討という「大手柄話」を、何の抵抗感も持たずに本土にいる家族へ書き送った軍事郵便が見つかったという。

 上海市にある銭家草と呼ばれる集落での掃討作戦で、日本軍が「捕えた捕虜」だと称して六十数人の農民を処刑したときの様子を、戦時の異常ともいえる精神状態で写真付きで書きつづっている。

 戦争被害者として語り部の活動は、これはこれで大きな意義があり、これからも続けていただきたいことである。一方、日本人は、かの対戦で戦争加害者でもあった。このたび発見された「兵士の手紙」は、加害者としての残虐な行動が、手紙の形で見つかったものである。

 戦場での異常ともいえる精神状態が、想像を絶するような残忍でむごい行動を引き起こさせている。こんな目にあわされた被害民族は、かの地でどんな方法で語り継いでいるのだろうかと思いを巡らす。

 戦争が起きれば被害者が出るだけではなく、必ず加害者もでる。戦争とは、愚かな出来事だといわれながら今もって絶えることはない。被害状況を知る努力に比べて、加害の実態を知ることはあまりに少ない。戦争の愚かさを伝えるにしては、みなが避けて通ってはいないか。

 いや、そんな戦争の被害や加害のことを学ぶ以前に、「なぜ、あんな戦争が起きたのか」という、「分かりやすく原因を学び伝える」ことが、今なおざりになっていないか。戦中派の私は、資料を作り、それをやって見ようかと思い始めている。もし出来上がったら、安倍総理に真っ先に差し上げたいものだが……。