写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

先生来訪

2007年01月30日 | 生活・ニュース
 12時半には出かけなければならない用事のある11時過ぎ、トイレに入っていた。インターホーンが鳴り、玄関に妻が出た。

 トイレのドア越しに「M先生という方が来られましたよ」という。急ぎ出てみると、玄関の外に上背のあるお年寄りが立っていた。

 私が中学校時代の社会化のM先生であったが、1度も習ったことはない。話をしたことも記憶にない。岩国駅の近くに住んでおられ、お元気だとは聞いていた。

 外は寒い。居間に案内してお茶を飲みながらお話を伺った。85歳、定期健診のため我が家の近くにある病院へタクシーで来た帰りだという。

 私の5歳上の長姉が担任してもらったことがあり、その弟ということで覚えてもらっていたようだ。

 身体と声と目が大きく、皆から恐れられていたが、愛嬌もある優しい人柄の先生だったように思い出す。

 先日、私が自費出版することが載った新聞記事を読み、会いたくなって寄ってみたといわれた。先生の方からお越しとは、恐縮の至りである。

 50年も前の、木造校舎のころの懐かしい話に花が咲いた。「君は身体は小さかったが……だったよな~」と、嬉しいことを言われる。

 「先生は私の担任でもなかったのに、そんなことを良くご存知ですね」と言うと「教員室で先生同士が話するんでよく知っているよ」と笑う。

 話していると、たちまち中学時代の先生と生徒の関係になる。「85にもなると、昔出来ていたことが、最近は出来んようになってのぉ」とこぼす。

 しかし、目の輝きはやはり昔の先生の目である。鋭くも優しく温かく、懐かしむような眼差しでもあった。

 時計を見ると12時をさしている。「申し訳ありませんが出かける用事がありますので……」と言い訳をしながら車で家までお送りをした。

 突然、あることをきっかけに私のことを思い出して、我が家まで来ていただいた。またの折に、ゆっくりと来て頂くことを約束した。

 「年をとると、昔会った人に会いたくなってのぉ」と言うのを聞きながら一礼してお別れをした。半世紀ぶりの、中学時代の先生との懐かしい再会であった。
 (写真は、今朝の冷え込みで張った「4mm厚さの氷」)

たまに行くなら

2007年01月29日 | 食事・食べ物・飲み物
 日差しのある暖かい日曜日だった。昼前、同人誌と自費出版書を柳井市と光市の図書館に寄贈するため、いつもの3人でマーチに乗って出かけた。

 息子から払い下げてもらったこの車には、高級ナビが取り付けてある。図書館が何処にあるのか知らなくても、あらかじめ調べておいた電話番号を入れると瞬時に最短距離のルートを示してくれる。

 何も考え悩むこともなく車を誘導してくれる。昔、ドライブしてあるところに行く途中、右だ左だと妻と言い争って途中で引き返したことは何度もあった。

 仲良く、無事1直線で迷うことなくいずれの図書館にもたどり着くことが出来た。光市の図書館を出たとき、丁度12時になっていた。

 この辺りのどこかにいいイタメシ屋はないかなと思い、これもまたカーナビを使って検索してみた。

 1軒が出てきた。「PAPER MOON」と書いてある。島田川の河口近くの町中にあった。駐車場も広い。

 パスタランチを頼み、店内をゆっくりと眺めてみた。田舎にしては垢抜けした店の壁面には大小の風景の水彩画がかけてある。

 店のシェフ兼オーナーが描いたもので、卓上には40枚くらいがはがき大のアルバムにしてある。来店した客ひとりに1枚ずつプレゼントしてくれると言う。

 イタリアのベニス・フィレンツェ・ローマ、そして光市近辺の海の絵が多い。お昼のパスタランチとして、えびソースのクリームパスタを頂いた。

 こくのあるソースがおいしいパスタのあと、小片のチーズケーキと香り高いコーヒーで満足のランチであった。

 また来てみたいと思わせるイタメシ屋さんの1軒として携帯電話にメモしておいた。店の雰囲気はよし、食事もよし、絵もまたよし。お奨めのお店である。

 カーナビも単に道案内だけではなく、こんな素敵なレストランを探し出してくれる機能も備えている。私のまだ知らないいい所を教えてくれる頼もしい仲間がひとり増えたような気がした。
 (写真は、シェフ兼オーナーが描いた「ローマの風景」)

防犯ランドセル

2007年01月27日 | 生活・ニュース
 夕方、テレビでニュースを見ていた。早くもデパートでは新入生のランドセルのセールが始まったと伝えている。

 色は昔のように赤と黒だけでなく、ピンク・ブルー・茶色のほか、色々なものが並べられている。値段は3万円台から14万円まで、材質の違いがあるにしても、まさにピンからキリまであるようだ。

 2年後の今頃は、我が家も孫のランドセルを、あれにするかこれにするかと懐具合と相談しながら悩んでいるに違いない。

 ランドセルといえば、ひとつ気になることがあった。我が家の前を通る通学の子供のランドセルを見ると、ほとんどの子供が防犯ブザーをぶら下げている。

 最近のように思いもかけない犯罪が多いと、ブザーをぶら下げてやりたくなる親の気持ちは良く理解できる。

 しかし、その肝心なブザーを、ランドセルの横か後ろについているフックにぶら下げている。

 万が一の緊急事態が起きたとき、引っ張る紐に手が回りにくく、即座に対応が取れないように感じていた。

 ある子供に言ったことがあった。「ブザーは体の前に取り付けたほうが引っ張りやすいよ。お母さんに頼んで付け直してもらったら」と。

 親も、ブザーを取り付けてやっただけで満足しているように思えるが、いざというときのことは真剣に考えていないようだ。

 ところが、今日見たニュースのランドセルには、「防犯ランドセル」と銘打って防犯ブザーをぶら下げるためのフックが、肩ひもの前、胸の辺りに取り付けてある。

 さすが良く考えている。こうでなくっちゃと、ひとり大きくうなづいた。このランドセル、何処のメーカーか知らないが、人気が出るに違いない。

 私と同じ発想のランドセル・メーカーがあったことに気を良くして、日頃は少し残る缶ビールをその夜は全部飲み干した。

 このくらいのことなら、ちょっと工夫すれば今使っているランドセルにも取り付けることは出来る。小さい子のお母さん、今すぐフックを肩ひもに取り付けてあげませんか。

 それにしても、「防犯ランドセル」なんていう商品が売れる今の世相、少し淋しすぎませんかネ~。
  (写真は、ニュースで流された「防犯ランドセル」)

少しいい話

2007年01月26日 | 生活・ニュース
 町はずれのラーメン屋に入った。昼時で、トラックの運転手や作業着姿の若者が6組食べていた。入り口に近いカウンター席に案内された

 斜め前の席には、20歳くらいの男がふたり、話をしながらラーメンを食べている。少しヤンキーがかって見えるが、目元は優しい茶髪の男だった。

 私がラーメンを食べ始めた時、入り口の引き戸が開いた。電動の車椅子に乗った60歳くらいの男がひとり店に入ろうとするが、入り口が狭くて入れない。

 困った様子をしている時、店員が駆けつけたがどうしようもない。仕方なさそうな顔をしてその男は向きを変えて出て行った。

 店員はひとりしかいない。客も多く忙しいのでそれ以上の対応は取れない。遠ざかっていく車椅子の男を見送った後、その様子を見ていた向かいの若者と目が合った。

 私が「連れ戻しに行こうか?」と言うと「うん」と頷く。ふたりは食べかけのラーメンを置いたまま飛び出していった。

 2分くらい経ったろうか、小走りで戻ってきた。「おぶってあげるから入りませんかと言ったが、いいですと言われた」という。

 入り口で入れない状況の時に、すぐ手伝ってあげればよかった。しかし私の誘いの一言で、若者が即座に行動を起こしてくれたことを心底嬉しく思った。

 私の出番がないまま、事は終わった。一足早くラーメンを食べ終えた私は「良いことをしてくれましたね」と、若者にお礼の言葉を言いながら爽やかな気持ちで店を出た。
   (写真は、類似の「電動車椅子」)

紙相撲

2007年01月25日 | 生活・ニュース
 この4月1日で4歳になる孫息子が3泊して帰っていった。この春から幼稚園に行くと言う。

 3月31日ではなく、4月1日生まれが同学年の内で最も遅い生まれの子になるということを初めて知った。

 わずか4歳で幼稚園に行けば、5歳に近い子達とは体力・知力とも随分差があるに違いないが、これもいいように解釈すればいいと思う。

 直ぐに頭に浮かんだことは、大学入試で浪人しても、年齢的に余り損をしたことにはならないということであった。

 まあそんなことは、爺の立場としては関係ない。何があろうと強くたくましく生きていってほしいと願うばかりだ。

 孫と遊んでやるのも大変だ。夕食後の団欒で、用意しておいた折り紙とその本を取り出した。

 「これ折って、これ折って」と次から次へと注文が出る。あるページをめくった時「トントンずもう」というのが出てきた。

 相撲取りの形をしたものを、ちゃんと立つように折ることが出来る。赤と青色の折り紙で2つ作った。

 菓子箱を逆さまにし、白い箱の上に円く土俵を書いた。「ぼく、こっち」と言って、赤いほうを孫が手にする。

 土俵の中央で、両者向かい合わせ、人差し指で箱を軽く叩くと、相撲取りが小さく跳ねながら移動する。

 土俵を割って箱の上から落ちていく。箱の下に敷いた折り紙のせいで、少し傾いた方に移動していく。

 初めのころは、連戦連勝させていたが、これではいけない。人生、負けることも教えておく必要がある。

 箱の傾きを調整すると、爺が勝つことも出来る。お互いが勝ったり負けたりと良い勝負が続く。

 最初の内は負けたとき渋い表情だった孫も、負けても楽しそうな顔に変わっていった。これでいい。こうでなければとひとりにんまりする。

 勝ち組・負け組みとやらの活字が躍るこのごろ。人生で勝ち続けることなどありえない。一見、負けたやに見えたとき、そこからどう生きていくかが大切だ。

 未だかつて勝ち組を経験したことのない爺は、早くも3歳の孫に、負け組みの身の処し方を教授しようとしている。
   (写真は、孫と遊んだ「トントンずもう」)