写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

土用丑の日

2014年07月30日 | 食事・食べ物・飲み物

 昨29日は土用の丑の日であった。ささやかに丑の日を迎えようとスーパーに走った奥さんが「鹿児島産」と書かれた小ぶりのウナギのかば焼きを買ってきた。生まれや素性は知る由もないが、鹿児島で育ったということが唯一の「安心感」を与えてくれる。「おまえは本当は、どこの生まれなんだ?」といいながら、それでもおいしく食べた。

 近年、稚魚であるシラスが減少している中、卵からの完全養殖の技術確立も夢ではなくなっており、水産庁は2020年までには商業化を目指すといっている。その時には腹いっぱい食べてみたいが、ウナギなどは、たくさん食べるものではなく、少しの量を季節を感じながら味わうものであろう。

 目下高価なウナギの向こうを張って、近頃は代替品が登場しているという。ナマズやアナゴ、ハモなどが主流だったが、魚に止まらない新顔が出てきた。群馬県のある店では、6年前からナスのかば焼き重を、900円で出している。焼きナスの表面に甘辛いタレを塗り、ガスバーナーであぶって香ばしさを出すと、うな重そっくりの外見となり評判だという。

 少し切ないそんな新聞記事を読んでいる時、テレビでは、これまた発想を転換した「ウナギ料理」を紹介していた。「ウナギ」の「ウ」としては「ウオ(魚)」、これでたんぱく質をとる。「ウナギ」の「ナ」としては「ナッツ」、これでビタミンB1が、「ウナギ」の「ギ」としては「牛乳」、これでビタミンB2がとれ、夏を乗り切るスタミナは十分つけることが出来るという。

 なるほど、理屈はよ~く理解はできたが、こんなものを食べた後、子どもたちに「今日のウナギはおいしかったね」とはどうしても言えない。

 こんなことを書きながら、近くの小川でウナギを引っかけていた子どもの頃を思い出している。細い竹竿の先にミミズを付けた釣り針を引っ掛けて、小川の石垣の隙間に差し込む。時に、ウナギが掛ることがあった。それも今は昔、小川は排水溝に様変わりし、ウナギどころかメダカさえいなくなった。ウナギもメダカも、人間が絶滅危惧種に追い込んでいる。
  (写真は、5月に立ち寄った福岡柳川・若松屋の「うな重定食」)


高い目標

2014年07月29日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 第96回全国高校野球選手権山口大会の決勝戦が28日、山口の西京スタジアムであり、息詰まる投手戦の末、私の母校である岩国が熊毛南を2対1で降し、春秋連続の甲子園出場を決めた。その日は朝早くから用事を兼ねて車で応援に出かけ、高校野球を堪能して帰ってきた。双方とも、あと1本が出れば追加点が入る場面は何度かあったが、その1本が出ないまま試合は最終回に入った。

 1点リードされている9回の表、熊毛の攻撃。1アウト、ランナーは1、2塁。バッターは主将でエースで4番の山本君。背が高く顔も精悍、今どきの好青年だ。いかにも打ちそうだ。バッターボックスで何球かボールを見送った時、タイムがかかりダッグアウトから伝令が走ってきて、何やら耳打ちをする。

 次の球を強振したが、ボテボテの2塁ゴロで、2塁は封殺となりランナーは2アウト1、3塁となった。続く5番バッターはサードを守る小柄な選手。追い込まれた後の内角低めの球を窮屈そうに空振りして万事休した。岩国のピッチャー柳川君は、小さくガッツポーズをしながら、試合終了の挨拶のため、ホームベースをはさんで並んだ。

 審判が右手を上げて試合終了を告げた時、山本君が、やはり主将の柳川君に近付き、笑顔で背中を2、3度小さくたたきながら話しかけている。両校は何度か練習試合などやっていて、お互い気心を知った仲なのかもしれない。それにしても、山本君の笑顔が素晴らしい。

 続いての表彰式でも、ベンチでも、山本君に涙などはない。自分の持てる力を出し尽くしたから悔いはないのだろうと勝手に想像していたが、今朝の新聞を読んで、そうではなかったのではないかと思った。記事には「182cm、82kgと恵まれた体格で、将来はプロ野球選手を目指す。監督は、『まだまだ伸びる選手』と言っている」と書いてある。彼の目標は、単に高校野球で甲子園に出場することではなく、もっと高い目標を見据えているからこそ、目の前の勝敗に一喜一憂しなかったに違いない。この大器のこれからが楽しみになった。 


婦唱夫随?

2014年07月28日 | 生活・ニュース

 「最近、よく眠れるようになったわ」。
 朝食をとりながら奥さんが言う。そういえばここ半年、隣のベッドで何度も寝がえりを打っていたような気がする。そんな奥さんが、最近よく眠れるようになった訳は、はなはだ単純なことであった。
 もともと、ちょっと油断をすると肥えてしまう体質らしい。何とか人並みにスリムになりたいため、好きなものを腹いっぱい食べることを我慢する。やがて少しスリムになるが、成功した途端、また好きなものを好きなだけ食べる。すると元の木阿弥に……の繰り返しが、ずっと続いていた。
 ここ半年は食事を工夫しダイエットに頑張っている期間だったらしい。先日、目標の体重まで減量したので、最近はおいしいものを十分に食べるようにしたという。腹は正直なものである。一晩中ぐっすりと眠れるようになったそうだ。
 実は数ヶ月前から私の体重が少しずつ落ちていた。どこかおかしいのかなと少し気にはなっていたが、先日、顔を洗っている時に頬の膨らみを感じた。
 「おっ、体重が戻ってきたぞ」
 そう思いながら朝の食卓についていたとき、この話が飛び出したのである。
 何ていうことはない、ダイエットの必要のない私が、奥さんのダイエットにつきあわされてスリムになっていただけである。
 奥さんと私、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随。同じように体重が増減している。
    (2017.07.28 毎日新聞「男の気持ち」掲載)


藪の中

2014年07月25日 | 生活・ニュース

 横山の紅葉谷公園に吉川家の墓所があり、一族の51基の墓石がある。12代藩主・吉川経幹(つねまさ)の墓の側には、形が着物の袖に似ていることから「誰が袖(たがそで)の手水鉢」と呼ばれる手水鉢が置いてある。

 これは小堀遠州が作ったものを、経幹の姉の夫、小堀勝太郎が1846(弘化3)年に経幹に贈ったものの写しである。本物は、幕末に経幹が毛利家と仲直りした際、萩の藩主・毛利敬親(たかちか)に贈ったという。

 この春、その本物が山口市の露山堂という茶室にあることを知って訪ねてみた。露山堂とは、敬親が藩庁を山口に移した際、今の県庁内の一露山の麓に建てた茶室で、茶事にことよせ家来らと討幕の密議をこらした建物である。

 茶室の庭に置いてある手水鉢の説明板を読んでみた。 「この手水鉢は、京都の小堀家から岩国の吉川家に贈られ、その後、毛利敬親に献上された由緒あるものです。(中略)現在あるものは、露山堂を当地に移築する際に作られた写しで、前庭に据え付けて往時を追想する資料としたものです」と書いてある。

 本物を見に来たと思ったのに「写し」だと書いてある。では一体本物はどこにあるのか。ネットでいろいろ調べてみたが、どの資料を読んでみても、岩国のものは写しだと書いてある。岩国検定の試験問題を作っている者として、曖昧にしておくわけにはいかない。山口市の文化財保護課に電話をして聞いてみた。

 古い資料を調べてみたが、露山堂のものは「岩国の写し」で、本物は岩国にあるものだと、説明板通りのことを言われた。岩国、山口双方が「自分の方のものは写しだ」と言っている。こんなことは「自分の方が本物だ」と言いあって、本家争いをするのが普通だと思ったが、これはその逆で遠慮深い。

 ということで、岩国からも山口からも袖にされた「誰が袖の手水鉢」。ものが「誰が袖の手水鉢」というだけに、誰かの袖にすがって教えてもらうしかないが、目下真相は藪の中である。
  (写真は、露山堂の庭にある「誰が袖の手水鉢」)


好き、嫌い

2014年07月23日 | 生活・ニュース

 先週末、プロ野球のオールスターゲームが行われた。ファン投票では、捕手と遊撃手と外野手の2人を除く、なんと8人もの選手が広島カープから選ばれた。第1戦のスタメンは、大黒柱の前田健太を初めとして、カープの選手が6人も出場した上、大活躍をして7対0でパ・リーグに圧勝した。

 菊池、丸、エルドレッドなど、ペナントレースでも好調のカープの選手が打席に入ると、応援に力が入る。ひとつ腑に落ちない選手がいた。堂林だ。開幕直後は試合を決める劇的なサヨナラホームランも打ったが怪我もあり、ついこの間まではファーム暮らしでオールスターに出るような成績は残していない。今季に限らず三振が多過ぎる。見送れば明らかにボールの外角低めの球にバットが止まらない。技術以前の問題があるのではないかとさえ思う。

 今年のエルドレッドは、好不調がめまぐるしい。ホームランを連発した翌日には5連続三振ということもあった。もう少し何とかならないものか。と、書いている昨夜は2本のホームランを打って今季すでに32本目と驚異的な速さで量産している。堂林も昨夜は先頭打者ホームランをかっ飛ばした。

 オールスターには出なかったが、ショートを守る「守備の木村」も、名前の通り守備専門で、チャンスの場面でのヒットはあまり見ない。ファームに落とされたキャッチャーの白濱も、我慢して使われてきたが、打撃面でもう少し頑張ってほしかった。投手では抑えの永川だ。押さえの場面で出てくるのにコントロールが悪く、今まで何度ひっくり返されたことか。

 どの選手だって好不調はあるだろう。そう思いながらも、応援している身にとっては、好調時の選手は大好きで、同じ選手でも不調になると嫌いになる。嫌いな選手が好調になると、また大好きになる。まるで花占いのように「好きと嫌い」が繰り返される。

 願わくば、みんな大好きな選手でいてほしい。贔屓の引き倒しをしてしまうのも、本当はその選手が大好きだからに違いない。こんな勝手なファンの期待に、カープの選手よ、後半も応えてほしい。フレーフレー カープ、それ、フレーフレー カープ。