写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

岩高優勝!!

2007年07月31日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 早めの昼食を食べ終え、13時からの全国高校野球山口県大会の優勝決定戦をテレビ観戦する準備を整えた。

 サイレンが鳴り、いよいよ試合開始となった。岩高のスタメンは今まで通りだ。予選を通してまだヒットの出ていない3番バッターの岩田は、依然として今日も3番に座っている。私は、昨日と同じように手作りしたスコアーブックをつけながら観戦した。

 初回、先攻の岩国は当たっていなかった3番・岩田がヒットを放つなど、ヒット3本を集めて2点を先取した。しかし、その裏、ピッチャー高木は立ち上がりを攻められ、同じようにヒット3本を打たれて2点を入れられる。

 2対2の状態で4回の表、岩高の攻撃となった。1本のヒットとエラーをからめて1点を追加して終わった。ピッチャー高木の調子は尻上がりで、球威もあり制球も良い。7回を終わって許したヒットは僅かに3本。8回の裏、先頭のピンチヒッターにヒットを許し、1打同点のピンチを迎えたが、2人の打者を抑えて無得点とした。

 9回の裏、大きな歓声の中、難なく3者凡退に打ち取り、14年ぶりにノーシード校の優勝となった。岩高としては、3年ぶり4回目の夏の甲子園である。

 この5月のことだった。会長旗杯争奪戦を柳井球場に見に行った。熊毛南高校に完敗した。ピッチャー高木は制球が悪く、夏の大会はまったく期待できない試合ぶりであった。そんなこともあって、今年はベスト8さえ難しいと私は独断していた。

 ところが、結果は優勝で終わった。テレビの解説を聞いていると、あの後、高木は走りに走ったという。足腰を見違えるように鍛えたという。それもあって、制球力が付いたのだろう。よくやった。

 試合が終わったあと、岩高に電話で訊いてみた。夕方6時から、市民会館前で優勝報告会が開催されるという。早くから行って待った。6時過ぎ、バスに乗った選手が戻ってきた。市民会館の入り口階段に椅子がセットされている。

 祝辞・監督挨拶・選手紹介・主将挨拶・応援団とブラスバンドによる校歌斉唱などの行事が開催された。こんな会に初めて出席したが、気分が青春に戻ったように感じた。今度は甲子園で、また力一杯のプレイを見せて欲しい。岩高、おめでとう !
  (写真は、市民会館前での「優勝報告会」)

決勝戦進出

2007年07月30日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 高校野球、期待の母校・岩国高校が準決勝戦にまで進出した。昨日(29日)、11時からテレビの前で応援観戦をした。岩国から西京球場までは100kmある。行ってみたい思いはあるが、所用もあってテレビ座席で我慢した。

 いよいよ試合は開始した。熱戦を見ながら、手製のスコアブックをつけてみた。準々決勝戦の時と同じスタメンであった。先攻の岩国は1回の表に4本のヒットを連ねて2点を先取した。幸先が良い。ピッチャーも落ち着いていて、前回よりも制球がよい。期待しながら戦況を見守った。

 点はなかなか入らないが、ヒットは良く出た。7回の表には、3本のヒットで2点を追加した。あと3回を押さえてくれればと思い見ていたが、ピッチャーも疲れてきたのだろう。8回には3本のヒットと4球で2点を献上。最終回には、3本のヒットを打たれ、一打同点のピンチに陥ったが、最後の打者を打ち取って5対3で決勝戦進出を勝ち取った。

 観客席に座って遠くから選手を見ていると、大きな体格で一見大人がやっているかのように見えるが、試合が終わってグラウンドの外で見ると、どの顔もまだ幼さが残っていて初々しい。そんな彼らに、プロ野球で見るように高度な技術や精神力を望むのは酷に感じる。精一杯やっている姿を温かい目で見て応援してやりたいと思う。

 勝つか負けるか、結果は2つに1つ。今日はいよいよ豊浦高校との決勝戦だ。
  (写真は、手製の「スコアブック」) 

ベスト4

2007年07月28日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 全国高校野球の山口県大会ベスト8が出そろい、27日よりいよいよ決勝大会が開催された。わが母校・岩国高校は昨秋・今春の各大会での成績が不振でシード校の指名を受けることができなかったが、今大会ではベスト8に勝ち残り、準々決勝に進むことができた。

 今年、私は所用で地区予選の応援にいくことができないまま、新聞の記事で岩国高校の戦いぶりを見ていた。そして今日(27日)、山口にある西京球場で朝8時半から、この春の選抜大会に出場した優勝最有力校・宇部商と対戦した。

 近くに住む先輩に誘われて、朝6時半に高速道路を飛ばして応援に出かけた。優勝候補との対戦だ。勝つことは難しいかもしれないが、みっともない戦いだけはして欲しくないという気持ちで、バックネット裏に陣取った。

 全員起立しての国歌斉唱のあと、試合は開始した。2回表、立ち上がり制球のままならないピッチャーは、宇部商に先制点を2点取られる。しかしその裏、相手内野陣の乱れと巧打もあって大量5点をもぎ取った。その勢いで何と6対3で岩国高校は宇部商を倒した。

 下馬評もそんなに良くない。シードも外された。長距離打者もいない。夏休みの課外授業のため応援のブラスバンドも来ていない。相手に比べて地味で静かな応援が功を奏したのかもしれない。ベスト4に初名乗りを上げた。この夏、思ってもみないミラクルが起きた。

 1日置いた29日には準決勝戦が行われる。相手はシード校でもある名門古豪・下関商だ。残る2校は、いずれもこれまたシード校である西京と豊浦高校である。大した注目もされずに勝ち上がっていった岩国高校に、ぜひもうひと頑張りを期待したい。

 全国優勝しないかぎりは、いつかはどこかで悔し涙を流さなければいけない。しかし、一生懸命どんなに頑張っても勝てないことがあるということを知ることは、若者にとっては貴重な経験ではないかと思う。ユニホームに滲みつく汗のように、この体験は心に滲み込むに違いない。

 こんなことを書いていると、私の現役時代の悔しい経験を思い出した。一生懸命頑張ったが、思い描いていたような道が開けなかったことを……。しかしそのお陰で、それまで見えなかったものが随分見えるようにもなった。それで良かった。
(写真は、応援旗が揺れる「岩国高校応援スタンド」) 

「求心力」

2007年07月27日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 新聞の最下欄に大きく新刊図書の広告が出ていた。三笠書房より「求心力・人を動かす10の鉄則」という外国人の書いた本が、50万部を突破したと宣伝している。

 一人でも部下を持つ人の必読書! との見出しで、5項目が書いてある。そのなかの一つに共感させられた。「大人物は『聞いてばかり』、小人物は『話してばかり』」と書いてある。

 この本が本屋に並んでいるのを見たこともなく、もちろん読んだこともないが、この一言には感じることは多い。

 現役時代、部下を前にして、何時間でもとにかく自分の考えを話してばかりの上司がいた。たった一言でも、部下の考えを聞くような姿勢はなかった。一方的な上意下達であり、実効の上がらない施策で現場は混乱した。

 退職をしてからというもの、上司や部下は誰もいない。周りはみんな社会的に対等な人ばかりで、いろいろな場でいろいろな話をする機会がある。知人を訪ねていって話をしたり、誰かが遊びに寄ってくれて話をする。

 ある日、私が趣味でやっているカントリー木工の話を聞かせて欲しいという熟年の女性を知人が連れてきた。約束の時間までに庭にテーブルをセッティングし、資料をそろえて待った。

 年の割りには少し派手な感じのする人がやってきた。挨拶を終えて椅子に座った以降、終始趣味のこと旅行のことなど、自分のことばかりを話し始めた。1時間あまり、私はずっと聞き役であった。

 私の話を聞きたいからと言って訪ねてきたはずなのに、一方的に自分のことだけを話して帰っていった。所期の目的はどこへいったやら。これでは対話になっていない。聞きたくもない話の独演会である。

 後日、彼女を連れてきた知人に、苦言を呈した。私は彼女の話が聞きたくて待っていたのではない。木工という共通の趣味について語りあおうと思っていたことを伝えた。いろいろな人と会って話をする機会はあるが、このように対話ではなく「話してばかり」の人が時にいる。

 会社の中だけではなく、一般社会の場でも、「話してばかり」は慎みたいと思う。「聞いてばかり」も良くはない。何ごともバランスだと思うが、広告にあるこの本では、大人物は「聞いてばかり」だと書いてある。
(写真は、新聞広告にあった「求心力」)

抜け殻

2007年07月26日 | 季節・自然・植物
 梅雨が明けたと思ったら、にわかに暑くなった。日中は表に出る気がしないほどアスファルト路面からの照り返しが強い。

 陽が落ちて、少ししのぎ易くなった頃、ハートリーの散歩をかねて近くの知人宅を訪れた。勝手知った門を開けて玄関までの庭に入った。インターホーンを押した後、庭石に座って出てくるのを待っている間、目の前の植木に眼をやった。

 椿の木だろうか、あまり背は高くないが枝の張った若い木がある。そのいくつかの葉の先に、何匹ものセミの抜け殻が取り付いているのを見つけた。我が家の庭では1匹も見かけなかったが、この庭にはちょっと見ただけでも5,6匹も見ることが出来る。

 別れ際に、その中の2匹の葉をもぎ取って持ち帰った。子どもの頃でも、大人になってからでも、セミの抜け殻なんぞじっくりと眺めたことはない。1匹を手のひらに載せて観察をしてみた。

 体長は3.5cmある。何というセミの殻なのかは知らないが、背中が縦に1.5cm割れている。屈折した細い脚の先から、よくもうまく手足を抜いたものだと感心する。殻の羽は小さいが、折りたたんでいたに違いない。

 目玉のあったところを見て感心した。殻全体でこの部分だけは透明になっている。長い間地中に潜っていても、わずかな光をこの透明な部分から探し当てていたのだろう。まるで水中眼鏡のようだ。そして最後は木に登り、背中を割り羽化して飛んでいった。

 後は、まるで生きているようにさえ見える抜け殻が残っている。今の私も、他人から見れば抜け殻と言えなくもないが、ものの考え方や生き方は政治の世界と同じく、依然として古い殻から脱皮できず、殻をつけて生きている。
(写真は、じっくり眺めた「セミの抜け殻」)