写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

サバンナ

2011年08月31日 | 季節・自然・植物

 例年に比べて、ややしのぎやすく感じた今年の夏であったが、真昼は外に出かける勇気が出ない暑さであったことに違いはない。日中はエアコンの効いた部屋でテレビを相手に過ごしていた。そんな夏が終わろうとしている先日、久しぶりに裏庭に目をやって驚いた。

 奥さんが丹精込めて育てている80本のバラ園が、なんと腰ほどの高さの雑草に埋まり、どれがバラなのか眼を凝らしても見分けることが出来ない状況となっている。未だ行って見たことはないが、これこそが熱帯に分布するサバンナであろうと想像してみた。

 確か6月にはバラが美しく咲いていた。それがこの2か月で、見るも無残な雑草の園に変わっている。「雑草のごとく……」とは、 転んでも踏まれても立ち上がるしたたかさを表現するときによく使う言葉であるが、まさに自然児・雑草の強さを実感するばかり。

 数日前から、見るに見かねた奥さんが朝早く起き、涼しい間を見計らって草を抜き始めたが、1人ではなかなかはかどらない。「お父さんも少しは抜いてくださいよ」「うん、わかった。やるよ」のやり取りが、朝食をとっているときに2、3回あった。 

 昨日、早起きをし、思い立ってサバンナに立ち向かうことにした。軍手に麦わら帽子、半そでに長ズボンの出で立ち。棘のあるバラを避けながら両手を交互に動かし草を抜いていく。たちまち大きな草の玉が一つ出来上がる。また一つ、また一つ玉が出来た。3つが出来たころには額から汗が落ち始める。半そでで立ち向かった腕は、バラの棘や草の硬い茎で傷だらけ。

 40分もやれば体力的に限界が来た。腰を伸ばしながら家に入る。シャワーを浴びると、腕の傷跡がひりひりする。やっと朝食。起きがけのひと仕事の後の食事はおいしく、ことのほか進む。年に1度、肉体労働の爽快感を味わう。

 2日目の朝も、早朝草抜きをやった。もう1日分くらいが残っている。朝食を終えた後、改めて庭を眺めに出た。見るに堪えなかったサバンナが、手の入った公園のバラ園に少し近づいて見えた。「家のバラ園がさ、公園の花壇のまねすることねんだよなあ」と、どこかで聞いたことがあるようなセリフを、奥さんの背中で小さく言ってみた。
  


工事好き

2011年08月23日 | 生活・ニュース

 「おかしいわねぇ、換気扇がゆっくりとしか回らないわ」。朝食を作るため台所のガスレンジの前に立っている奥さんがつぶやいた。読んでいた新聞から眼を放して換気扇を見ると、けだるそうにゆっくりと回っている。「家を建てたとき以来、もうずいぶん長いこと使ってきたからなぁ」と思いながら点検してみた。 

 昨年末に掃除したきりの換気扇には油が付いている。回転が遅いのも油が固着したからか?などと思いながら、ひものついたスイッチを何度も引っぱってみるがいつものように回転しない。ゆっくりと回るのは、開口部から入ってくる空気の流れで回っているにすぎない。「長い間使ってきたから、もう取り換えよう」。意見は一致し、ホームセンターに向かって買いに出かけた。

 今あるものと全く同じ型式の商品があったので、それを買って帰った。「さあ、久しぶりに換気扇がきれいになるぞ」「わぁ、うれしいわ」。新婚ほやほやの夫婦のような会話をしながら新しいものを取り付けた。ガスレンジの台に片足を乗せた中腰の状態で古い換気扇を取り外し、2本のねじを締める簡単な作業をするだけで、新しいものの取り付けを終えた。

 さあ、試運転だ。眼を大きく開けて、おもむろにひも付きスイッチを引っ張ってみた。ところが、どういう訳かうんともすんとも回らない。???。換気扇のケーブルはちゃんと壁のコンセントに入っている。それなのに回らない。もう一度コンセントに眼をやると、このコンセントにはスイッチが付いていた。それがオフになっているではないか。

 今まで何度も換気扇を回すことがあったが、いつもひも付きスイッチを引っ張ることでオン・オフさせてきた。コンセントの元スイッチなど触ったことがないばかりか、元スイッチがあることさえ認識してはいなかった。「これかぁ」と言いながら元スイッチを入れると、当たり前のことだがブーンとうなりながら換気扇が回り始める。

 壊れたと思った換気扇を取り付けてみると、これもいつものように勢いよく回り始めた。奥さんと顔を見合わせて大笑い。新しく買ったやつは年末に取り替えることにして物置にしまった。何かの拍子に切れていた元スイッチに気が付かず、壊れたものと早合点。早とちりの癖は、まだまだ健在であることが分かった。


想定外

2011年08月22日 | 生活・ニュース

 盆休みが終わったころにやって来た孫が、5泊したあと帰っていった。いつもの静かなふたりだけの午後を過ごしていたとき、久しぶりの友が訪ねてきて来てくれた。お茶を飲みながら、話に花を咲かせていた時のことである。突然、部屋の電気が消えた。

 「あれっ、停電? ブレーカーが落ちたのかな?」と言いながら、玄関脇にあるブレーカーを見るために廊下に出た。ダイニングルームでエアコンを付けてテレビを見ていた奥さんも「電力不足の停電かしら」とか言いながら廊下に出て来た。

 ブレーカーを点検してみたが、どれも落ちてはいない。この地域全体が停電になったのかを確認するため外に出た。すると、すぐ近くにある高い電柱の上で、電力会社がリフトを使って何やら工事をやっている。「今、電気を切りませんでしたか?」と問うと「すみません、間違って切ってしまいました」と謝る。
 
 話を聞いてみると、変圧器の取り換え工事を実施しているという。一旦、電気を切らなければいけない操作があるため、持ちこんだ小型の発電機に切り替えなければいけないが、その時の操作を誤ったため停電に至ったと説明した。

 状況が理解できたので、何らとがめるようなこともせず家に戻った。しかし考えてみると電力会社も配慮が少し足りないのではないかと思う。うまくやれば停電など起こさずに工事は終わるのであろうが、ちょっと間違えれば停電を引き起こすような工事である。該当地域に工事の内容と、万が一の場合停電するかもしれないことを、あらかじめ知らせておくべきではなかったのか。

 病院などではなく個人の家の中で、急な停電があったからといって、大それた事故などは起きないかもしれないが、不意をつかれると少し驚く。数分後には復電した。それから30分後、電力会社から丁重なお詫びの電話がかかってきた。時が時だけに、このところの電力会社の対応は低姿勢だ。

 小さなトラブルで終わった電気工事ではあったが、人間のやることにミスはつきもの。工事中のミスは、電力会社にとっては想定外だったのだろうか。友と団らんしていた私にとってこそ突然の停電は全くの想定外。停電を機に、話を残して友は帰っていった。


科学の実験

2011年08月19日 | 生活・ニュース

 息子が遠くへ転勤したため、1年前から嫁と孫息子は東京から広島に帰っている。夏休みに入って間もなく嫁から電話がかかってきた。「おとうさん、夏休みの宿題に、科学の実験というものがあります。何をしたらいいか、考えてもらえませんか?」と言う。

 夏休みの宿題、久しぶりに聞く言葉である。小学3年にして、こんな宿題……。今、何を習っているのかを知らない。どんなレベルのことを実験すればいいのかも見当が付かない。父親不在の孫に、どんな手を差し伸べればいいのか、数日考えてみたが、これという案は思いつかない。

 そうしている内に、孫がやってきた。花火大会に連れていった折、夜店で「スマートボール」という、とてもよく跳ねるプラスチック製のボールをすくい上げて持って帰った。それを弾ませて遊んでいるのを見たとき、「よしっ、これだ!」、科学の実験テーマを思いついた。 

 「このボールは一体どのくらい跳ねるのかな?」。この問いかけの答えを、実験で求めることにした。巻尺を廊下の壁に貼り付ける。私が高さを変えて、いろいろな高さからボールを落とす。跳ね返った高さを、孫が眼を凝らして鋭く読み取り記録する。それをグラフにプロットしてみると、その点は、ものの見事に一直線上に並んでいる。この実験の様子を、大きな画用紙7枚にまとめさせた。 

 題して「夏休みの科学実験 スーパーボールのはねかえり方」。内容は1.実けんの内よう 2.実けんの方法 3.実けんけっか(表) 4.実けんけっか(グラフ) 5.分かったこと 6.もっと調べたいこと。

 赤・緑・黄・青・黒のマジックインキを使って、視覚に訴えるようによくまとめた。実験内容では、どのくらいよく跳ねるのかを知りたいという問題意識。実験方法では、実験の様子を漫画チックな絵で表現。4実験結果は、「まだ習っていない」と言いながらも、グラフの描き方を教えて書かせる。分かったことでは、「落とした高さの決まった分だけボールはいつもはねかえることが分かった」と、小学3年生なりの表現で括っている。

 スーパーボールの跳ね返り率は、床の条件で変わるが、我が家のフローリングでは落とした高さの85%であった。これを小学3年生としてどう表現するのかと思ったが「落とした高さの決まった分だけボールはいつもはねかえる」と書いている。3年生ならこれでよかろう。

 夏休みの大きな宿題を無事に終えた孫は「今日はどこに連れていってくれるの?」と、連日何かを期待されている。


暗黙の了解

2011年08月17日 | 生活・ニュース

 錦帯橋の花火大会に、小学3年の孫を連れて行った。花火もさることながら、出ている夜店の数も半端ではない。座ってじっと見上げているだけの花火を見飽き、夜店見物に付き合った。

 水槽に色とりどりの跳ねるボールが浮かんでいる店の前に出たとき「これがやりたい」という。小さなボールを金魚すくいのような紙製のすくい網ですくうやつだ。孫は自分の気にいったきれいな模様の入ったものを狙い、何とか4個すくったところで網は破れて万事休した。すくったボールを店主に渡すと「はい。じゃぁこれ」と言って、あらかじめ店頭にぶら下げてある、可愛くもなんともない一回り小さなボールが4個入ったポリ袋をくれた。

 ほかの子供も同じような扱いを受けている。何ということはない、すくったボールはもらえず、安っぽいボールをもらっただけである。孫はきょとんとしているが、私は文句をいうことなく手を引いてそそくさにその場を離れた。なんとも不愉快な気持ちになった。

 確かに、300円のお金を払って遊ぶ前に、すくったボールは全部もらえるのかという質問はしなかった。勝手に、すくったものはもらえるものだと思い込んでいた。店主と何ら契約をかわすことなく孫を遊ばせたことを反省した。しかし、店にも落ち度はある。遊ぶルールはどこにも張り出したり、口頭で説明したりはしていない。

 日常の生活の中で、保険の加入や家の補修工事などに際してはちゃんと契約書を交わしているが、こんなささやかな遊びの中ではいい加減にしていることは多い。大人としての常識的な暗黙の了解というものもあるだろう、と胸の中でつぶやいてみる。孫には申し訳なかったが、孫は孫で、世知辛い世間の風を、花火の爆音のもとで経験した真夏の夜の出来事?であった。