写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

イングリッシュ ガーデン

2015年05月28日 | 季節・自然・植物

 真夏のような暑さの5月が終わろうとしている今、我が家のバラ園では80株のバラが最盛期を過ぎて、一輪また一輪と花びらを落とし始めている。「今年は庭の真ん中あたりにある花の咲きが悪かった。消毒の時期が遅かったみたい」と奥さんが少し反省を込めて呟いているが、毎朝いろいろな名前のバラがこちらを向いて楽しませてくれている。

 2週間前、バラ園と隣地の間に懸案だったメッシュフェンスを自力で完成させた。眼隠しとしてルーバータイプのラティスを取り付けると、庭全体が一つの閉ざされた空間になり、人目を気にすることなくお茶を飲んだり新聞を読んだり、落ち付いて時間を過ごすことが出来るようになった。

 今朝も、庭に新聞を持ち出してコーヒーとサンドウィッチでの軽い朝食をとった。正面を見ると、数年前に境界に据え置いた大きなバラのアーチが新設したフェンスに密着していて窮屈な感じに見える。アーチをバラ園の中ほどに移動させることにした。力仕事は全て奥さんとの2人作業だ。ヨイショ、ヨイショと掛け声を合わせて1m余り前に運び出した。

 中々いいあんばいの配置となった。いつものように自己満足に浸っていたが、今一つ何かが足りない。バラ園の中に象徴的なものが欲しい。そうだ、あれを作ってバラのアーチの真ん中にぶら下げよう。早速工房に入り適当な板を取り出して「English Garden」と書いた銘板を作って取り付けた。

 その瞬間、我が家の小さなバラ園は「English Garden」に早変わりをした。庭にバラが植えてあればEnglish Gardenだと思い込んでいたが、銘板を取り付けた後になって、そもそもEnglish Gardenとは、どんな庭のことだろうという疑問が湧いてきて調べてみた。

 「English Gardenとは、フランスやイタリアなど左右対象、図形的な模様、整形的な配置の美を追求した庭園とは違い、自然風景からヒントを得て作られる庭のこと。本来イギリスの田園地帯、自然の風景をモチーフに自然な感じの庭をイメージして作られるもので、イギリス式風景庭園と呼ばれている」と書いてある。

 この定義であれば、イギリス種のバラを植えた田舎風のちょっとした庭は全てEnglish Gardenと呼んでもいいことになる。我が家の銘板は偽りではないという結論のもと、所を得たように今銘板は堂々と風にゆったりと揺らいでいる。


リフォーム請け負い

2015年05月27日 | 木工・細工・DIY

 私のDIYに係る自慢話を聞きつけた知人から、簡単なリフォームの依頼が舞い込んだ。「くの字型に曲がっている階段に手摺を取り付けて欲しい」という。「それくらいのことなら、お茶の子さいさい、朝飯前でやってあげますよ」とまでは豪語しないまでも快く引き受けていた。

 約束の日の午後一番にホームセンターで落ち合い、長さ1.8mの木製の手摺2本と、必要な支持金具を買って知人宅へ案内された。瀟洒な真っ白い外壁、内装も全て真っ白で、まさに白亜の御殿のような家である。まずは取り付ける高さを奥さんに決めてもらった。さて問題は支持金具を壁のどの位置に取り付けるかである。

 家の構造は2*4工法だというから、木組み構造のような柱はない。壁にはクロスが張ってあるので、壁裏に支柱がどこにあるかは見ただけでは分からない。木製のハンマーで軽く叩いてみると、音の変化で支柱の大体の位置は判断できる。「よし、この位置に支持金具を取り付けましょう」と主人の指示するか所にドリルを使ってネジを締め込むが全く手ごたえがない。支柱のない所にネジで穴を開けてしまった。

 ハンマーで叩いただけでは正確な支柱の位置は分からない。もう一度ホームセンターに走り、「壁裏センサー」といって、壁に針を差して支柱を探し当てる工具を買ってきて、再度支柱探しを開始した。なんと、45cm間隔で僅か4cm幅の支柱があることが分かった。どうやらこの壁面は強度を持たせる面ではなく、単に部屋を仕切る目的の面で、支柱の上に石膏ボードが張ってあるだけのようであった。

 壁裏の支柱探しに時間がかかったが、壁裏センサーのお陰で支持金具の取り付けは順調に進み、2本の手摺取り付け作業は開始して3時間後に無事完了した。早速奥さんを先頭に「渡り初め」ならぬ手摺を握っての「登り初め」を行う。参加したうちの奥さんも加わってみんなニコニコ手摺を撫でる。

 真夏のような暑い日の午後、請負工事は何とか終了したが、壁面にはビスで開けた無用の穴が2個、所在なさげに口を開けている。「穴の処理はよろしくお願いします」と頭を下げ下げおいとまをした。これくらいの瑕疵が許せる方からのリフォーム依頼、待ってま~す。


箱根紀行

2015年05月26日 | 旅・スポット・行事

 こともあろうに、箱根に行ってきた。それも今火山活動が活発になっている大涌谷から4kmしか離れていない宮の下にある「富士屋ホテル」にである。飛んで火にいる何とやら、まさに火山のすぐそばまで行ってきた。

 よりによってこんな時にと思われようが、実は数ヶ月前から行くことが決まっていた。三島で仕事をしている我が家の次男坊が、このホテルで結婚式を挙げたからである。式の翌日、息子の運転する車で20年ぶりに箱根の山をドライブした。

 関所跡は走りながら車中から眺めただけ。芦ノ湖の遊覧船乗り場もチラッと見ただけで、芦ノ湖の西側尾根を走るスカイラインに乗って富士山を望みながら北上した。この時季、富士山は中々姿を見せてくれないというが、幸運にも全身をきれいに見せてくれた。スカイラインにある展望台から、自慢の望遠デジカメでパシャリ、またパシャリ。納得のいく富士山の写真が何枚も撮れた。

 芦ノ湖の全貌と駿河湾と富士山が一度に眺められる展望台がある。さすがに駿河湾は遠くにかすんで見えるだけであったが、芦ノ湖は地図で見る形そのままにはっきりと眼下に見える。雄大な景色に見とれて、シャッターを押すことをしばし忘れてしまいそうになる。 

 スカイラインを下りて1号線を下ると三島に出る。新婚夫婦の新居となる社宅に立ち寄った後は、あらかじめ要望していた「三島のうなぎ」を老舗の丼で頂く。蒸してあるので柔らかく、箸で簡単に切れる。腹を満たしたあとは、これまた20年前に行ったことのある「柿田川湧水公園」へ。冨士山の雨水や雪どけ水が三島溶岩流に浸透し、その先端部から湧き出でたもので清流で知られ、水温は季節を問わず15℃前後だという。川底の砂が、湧水で坊主頭のように丸く盛り上がるのがいくつも見えた。

 息子の結婚式を機会に、久しぶりの箱根山&三島観光。活発な火山活動をしている大涌谷を遠巻きにして、20年前に見た景色をなぞるように見て回る旅をしてきた。東の箱根、西の阿蘇、いつ訪れても雄大な景色が心を解放してくれる。


意外な収縮

2015年05月19日 | 生活・ニュース

 2週間奮闘した結果、何んとか満足のできるフェンス造りを終えた。毎日庭に出てガーデンチェアーに座り、コーヒーを飲みながら愛おしそうに手作りしたフェンスを眺めている。自分が施工した所に異常がないか点検してみたところ、一つ気になることを見つけた。

 買ってきたコンクリート製の四角い基礎の真ん中には、10cm角の穴があけてある。その穴に支柱を立てて基礎の上端までセメントモルタルを流し込んでいたが、その上端が深さ5mmくらい陥没したように窪んでいる。固まる時の水和反応でモルタルが収縮したためだと分かった。

 これでは雨が降ったとき水が溜まったままとなり、支柱には防食処理がしてあるとはいえ何年も経てばこの個所から腐食が進み、最後には倒れてしまうことになりかねない。早速対策を施すことにした。窪んだ所に新たにモルタルを埋め込むだけでなく、支柱を中心として山型の円錐形にセメントを盛り上げた。これなら、水が溜まることはない。

 街中を歩いていても、鉄製の構造物を地中に埋め込んだり、コンクリートの基礎に乗せたものはよく見る。それらの内、多くのものの付け根には錆が出て腐食が進んでいる。いずれは倒れて事故を引き起こしたりしかねない。ここ数年、街や高速道路の街灯や、看板の鉄柱などの付け根が腐食して倒壊したというニュースを見たことがある。

 地面より少し立ち上げたコンクリートの基礎といえども、柱の付け根に窪みがないようにしておかなければ腐食は進む。自分で施工してみてセメントモルタルの収縮が意外と大きく、腐食につながる施工であったことを知った。「そんなことを知らずにセメント工事をやったのか」なんて、あまり私をセメントイテ下さいませ。ちなみに、モルタルの乾燥収縮率は約4%程度のようである。


朋あり遠方より

2015年05月18日 | 生活・ニュース

 1か月前、見覚えのある名前のはがきが届いた。今どき、電子メールや電話ではなく、はがきが来たことに「いったい何ごとか?」と思いながら読んでみた。20年前、転勤で千葉の工場に赴任した時、構造改革という大きな課題に一緒に立ち向かい、3年かけて無事目標を達成した時の仲間の1人からであった。

 「5月18日に会社仲間の同期会が岩国で開催される。それに出席するために岩国に行くが、前夜是非会いたい」という内容のものであった。定年退職をした後5年間の嘱託も終え、今は千葉に住んでいる。年賀状のやり取りはしてきたが、指を折ってみると別れて以来17年ぶりの再会である。私の電話番号もメールアドレスも知らないため、はがきを送って来たようだ。

 楽しみに待っている旨と、電話番号を書いて直ぐに返事を送った。約束の日は日曜日、夕方5時、駅前のホテルから到着したという電話をかけてきた。急いで出かけると、ホテルの前に立っているのが遠くからでも確認できた。30mくらいまで近づいた時、笑顔を作って片手をあげると直ぐに分かったようであった。

 「私だと直ぐに分かりましたか?」と聞いてきた。「いやいや、全然変わっていないよ。あの当時のまんまだよ」「茅野さんもお変わりなく……」と、まずはエールの交換。17年という長い年月の割には、予想していたよりは容貌は変化していないし、話の口調は当時のままであることが嬉しい。

 日曜日とあれば、開けている店は居酒屋くらい。その1軒に入った。向かい合って座ると、どちらからともなく笑顔になった。「本当に久しぶり。今日は飲もう」「茅野さんはそんなに飲めましたかねぇ」とチクリと言われる。酒豪だった男を前に、少し背伸びして言ってみた。店員に聞いてみると、岩国の銘酒「獺祭」が入荷したところだという。まずはその獺祭で昔の互いの健闘と、今の健康を祝して乾杯をした。

 飲むというよりは話をする時間の方が長い。5時から9時前まで約4時間弱、旧交を温め握手をして別れた。今思えば、仕事の仲間というよりは、戦友といってもいいくらいの大変な時間を共に戦った仲間。何時会っても毎日会っているかのように話し合える。そんな友が遠方より来てくれた。