☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 愛犬のハートリーと共に瀬戸内の岩国から…… 茅野 友

火星接近

2005年10月31日 | 季節・自然・植物
 11月30日の朝刊で、火星が2003年夏の大接近以来、再び接近をするという記事を読んだ。火星は地球に、平均2年2ヶ月に1度の割合で接近するという。

 火星の軌跡が楕円形をしており、接近する場所によって地球との距離に差が出る。見かけの大きさは、前回に比べると8割程度の大きさだという。

 午後8時頃には東の空に赤く輝いて見え、肉眼でもはっきりと見えるというので、今夜は是非この眼で、しかと観察してみようと思う。

 しかし、人間の眼で見る限りは、太陽・月以外はどんなに大きな星でも単に点にしか見えない。

 星までの距離があまりに遠すぎて、眼で見る星の大きさに有意差が出てくれない。それでも「赤く見える」をキーワードに、東の空を探してみよう。

 いつも大変不思議に思うのは、星の軌道・周期・距離・大きさ・年齢などが、ちゃんと分かっているということだ。

 距離・大きさ・年齢などは、たとえ間違っていても確認のしようがないので、そんなものかと思うだけであるが、大接近や日食などになると、うそは言えない。

 ガリレオのおかげか、大した科学技術であるといつも感心している。小さな地球の上にいて、大宇宙のことをあれこれと解明しているのだから。

 それにしても、どうしても納得できないことがある。我らの地球を初めとして色々な惑星が、何のエネルギーも供給していないにも拘らず、規則正しく公転・自転をしているということだ。

 何時かは、この回転を止めてしまうのか。うんと先のこととはいえ、その時を生きている人間のことが心配になる。素人の私には分からないことばかりである。

 そんなことは忘れて、今宵は、澄んだ秋の夜空に頭を上げて、しばし摩訶不思議な天体ショーを楽しんでみたい。

 回転している火星を目で追っていると、ひょっとすると私の頭の中も回転を始め、かっせい化するかもしれないから。
(写真は、30日夜、遥か天空の「火星」:眼を凝らすと見えませんか)
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水切り

2005年10月30日 | 季節・自然・植物
 昨夕、妻は妹と連れ立って泊りがけの里帰りをした。今朝は、目覚まし時計をセットしたように 7時丁度に、ハートリーの呼ぶ声で起こされた。

 朝食は冷蔵庫に用意してくれている。あとは、コーヒーを沸かすだけでいい。缶をあけ、豆をコーヒーメーカーに一杯すくって入れる。

 こだわった臼式のミルが、がりがりと低い音を出しながらゆっくりと回る。コーヒーが滴下し始めると、部屋中に香りが広がり、身体がやっと目覚めてくる。

 ふたりだけの朝食が終わった丁度その時、ドアホンがピンポンと鳴った。朝早くからお客さんだ。

 妻と、野菜と花を通じての友達である高齢の婦人が、切花を持って立っていた。「もらった花だけど、おすそ分けに」と言って、小さな黄色の花をもらった。

 孔雀草だと言う。初めて見る花であった。妻がいない旨を言うと、草花に疎い私に花の生け方を教えてくれた。

「必ず水切りをしてから、花瓶に入れるのよ」と、くどく言う。「はい、分かりました」と素直に聞いて別れた。

 一般常識が乏しいと、いつも妻から言われている私だが、「水切り」と言う言葉は何度も聞いたことはある。しかし、どんなことなのかは良く知らない。

 身近な知恵袋であるインターネットで調べてみた。

「水切りとは、切り花の吸水を助けるために行うもの。植物の茎は、空気に触れた瞬間に、切り口の導管に空気が入り込み、茎に栓をしたような状態となり、水揚げがうまくいかない。

 それを防ぐために、植物の根元を水中に入れた状態で、切り口のちょっと上を、表面積を多くするために斜めにカットすること」と書いてある。

 良く理解できた。一般常識のない私が、水切りの意味を理解して、生まれて初めての水切りをやってみた。

 この結果、頂いた孔雀草は、果たして何日もってくれるんだろう。そうだ、水切りしないものと比較してみよう。どのくらい差が出るのか楽しみだ。

 一般常識のあるブログの皆さんは、こんなことは、とっくの昔にご存知ですよね。では、水切りの話は、もう、これきり。指きりげんまん。
   (写真は、水きり終えた「孔雀草」)
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平家山

2005年10月29日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 私が卒業した中学校の裏に、平家山と呼ぶ山がある。標高は150mで高い山ではないが、国道のある南側から見ると、左右対称のきれいな形をしている。

 平家山というだけあって、由緒ある山らしい。手持ちの昭和35年初版の「岩国郷土誌稿」を紐解いてみた。岩国のことなら何でも載っている。

 「平家ヶ嶽といい、平家西国落ちの際、少時陣営を構えた処であるが、山容奇秀、殊に巌崖巨石を以って積み重ねられ、その間に松樹を以ってし、誠に奇観である」と書いてある。

 子供の頃、水晶山と呼んでいて、友達と連れ立って水晶を取りに行っていた。半日探して、小さな欠けた水晶を2、3個掘り出したことがある。

 中学卒業以来、登ったことはなかった。退職で帰郷してから、数度登ってみた。登山ルートは4、5コースある。

 先日久しぶりに、自宅裏から登るコースを選んで登ってみた。初めは急な登りが続くが、登山道はちゃんと整備されている。

 7合目あたりに、シャラの群生地がある。花が咲く時期に来てみたいと思いながら暑い季節なので、今もってまだ咲き乱れる白い花を見たことはない。

 40分で山頂に着く。そこには、郷土誌にある通りの巨石がある。人力で積み重ねたとは思えない。不思議な景観ではある。

 岩の上に立つと、ここからの展望は良い。岩国駅前・麻里布・室の木・川下地区が一望できる。長い滑走路を持つ米軍基地も、上から丸見えだ。

 眼下の岩徳線には、模型のようなディーゼルカーが1両ゆっくりと走る。半世紀前、友と見た景色とは、似ても似つかない光景が広がっている。

 谷を隔てた対面には、源氏ヶ嶽という山があるという。どの山がそれなのか分からない。厳島を始め、この地方には平家・源氏にまつわる地名は多い。

 幼い頃、友と遊んだ思い出の山が、今も直ぐ傍にある。岩国を離れ遠くで頑張っている友に、変わらぬ故郷の山を見てもらいたくて撮ってみた。
   (写真は、ロードスターと夕焼けの「平家山」)
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切り抜き木工

2005年10月28日 | 木工・細工・DIY
 先日、ハートリーが退院した日に、糸鋸で切り抜いた快気祝いの置物を作った。玄関アプローチのテーブルの上に飾っておいた。

 通りがかった近所の人の、好評を博した。昨日、姉と姪がそろってお祝いに来てくれた。その時にこれを見て、「かわいい~。私にも作って」と頼まれた。

 今度は、屋外用のオブジェとしてではなく、サイドボードの上にでも飾ることの出来る、小さくおしゃれなものを志して挑戦してみることにした。

 いざ勝負という時のために、誰かにもらった桜の板を保管していた。渋い赤みを帯びた厚さ2cmのものがある。10cm幅のものを長さ13cmに切った。

 前回と同じ形で、2/3スケールの大きさで作る。パイン材とは違い、桜材は堅い。小さな曲がり個所では、糸のこの熱で焼け、白い煙が上がる。

 コッカースパニエルの、毛のふさふさ感が良く表現された外形に、切り抜くことが出来た。そのハートリーに、黒のつや消しをスプレーする。

 我ながら良いものが出来たと満足した。注文は2個だ。もう1個を、同じようにして作った。糸鋸の磨耗が早く、新品に取り替えた。

 これも上出来だ。だんだんうまくなって来る。作品を見ていると、自分用のものも欲しくなり3個目を作った。これがベストのものになった。

 切り抜かれた側の板の縁をトリマーでカットし、額縁に仕上げた。丁度その時、義妹がやってきた。

 「お兄さん、うちの犬のも作って~」の声にほだされて、ウエスティのものも作らされた。白の色塗りは義妹に任せよう。

 出来上がったものを眺めていると、狩野探幽の虎の絵のように、ハートリーが今にも飛び出してきそうに見える。

 こんなことを言うと、「思い上がるのも、タイガーにしろ」と言われそうなので、今日は、このあたりで・・・
   (写真は、襖絵ならぬカントリー木工の「ミニハートリー」)
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議員のレベル

2005年10月27日 | 生活・ニュース
 先日の新聞の見出しに、「『こいつ』『チャイルドシート』発言に武部幹事長が苦言」という記事があった。

 自民党の片山さつき衆院議員が、19日の党首討論の感想を求められた際、民主党の前原代表について「何回も言った話を、こいつも言っているなあという感じ」などと話した。

 「こいつ」発言に怒った民主党の野田佳彦国会対策委員長は、片山氏らのことを「しつけができていない小泉チルドレン」と呼び、「彼らの座る席はチャイルドシートだ」などと揶揄した。

 これらの発言に対して、武部氏は「品位を疑う」と野田氏を批判する一方、片山氏の発言についても「厳に慎むべき言葉だ」と指摘したという。

 前々から私は、国会で、与野党ともに低劣な言葉の遣り取りが見られるのが気になっていた。

 つい先日も、たった2mもの至近距離で、舌鋒鋭く総理大臣を追求する立場の前原代表の言葉遣いが、いかにしても乱暴すぎるのだ。

 いやしくも、国権の最高機関である国会での討論、それも党首討論である。街の居酒屋の前での、酔っ払いの口喧嘩ではない。

 基本理念・考え方や取り組み方が自分の考え方と違うため、考え方を質したり、相違点を指摘したり、鋭く修正を迫ったりすることはいい。

 問題は、その時の言葉である。総理と議論しているというよりは、喧嘩をしているような乱暴な口調が聞きづらい。

 良くも悪くも、どの国会議員も多くの国民が選んだ一応の選良である。一個人が、趣味で出ている訳ではない。

 であれば、相手に対する発言も、一個人へのものではない。背後にいる多くの国民へ対して質疑応答をしていることになる。

 そう考えると、前原代表の総理に対しての言葉遣いは、いかにしても国民への敬意のかけらすらない。大きく期待される民主党代表であるだけに、是非改めてもらいたい点である。

 チンピラの喧嘩のように、汚い言葉の遣り取りで感情を逆なでするだけでは、本当の議論は出来ない。

 考え方・理念・あるべき姿などを、武部氏の言葉を借りるならば、「国民の代表の自覚を持って、美しい日本語を使うように気を付けて論じなければいけない」。

  国会討論は、将来を担う子供達も見ている。後悔闘論にならぬようご用心。そういう私も、議論する時には乱暴な口調になる。でもそこは場末の居酒屋だ。
    (写真は、「党首討論テレビニュース」)
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