写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

「空くじ」

2007年06月30日 | 生活・ニュース
 小さくてもいい、ガラス張りの日当たりの良い部屋が欲しいと、妻は長年つぶやいている。しかし、年金生活だから簡単にはかなわない。「一千万円当たればいいのにねぇ」と思い出したように言う。数年前から、時に宝くじを買うことにした。買った時さえ忘れていることもある。

 こんな調子なので、「空くじ」ばかり、かすったこともない。「宝くじ」という字をよく見ると「空くじ」にも見える。当たらないのは、そういう目で見ているからか。そういえばこの二つの文字、字画までも同じであることが許せんと、二人で券に八つ当たりして憂さを晴らしている。
 (2007.06.30 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
 (写真は、岩国駅前の「宝くじ売り場」)

五 感

2007年06月29日 | 生活・ニュース
 最近は大人も子供も五感が鈍感になっていると、日経新聞に出ていた。「もともと五感は個人の内と外をつなぐ大切なセンサーで、生物学的にみればいつもと違う状況をいち早く察して、身を守るために欠かせない機能だ」という。

 「今の世の中、何もかも周りから情報を与えられる。感覚の約8割を視覚に頼り、ほかの感覚がおざなりになっている。例えば、傷んだ食物は賞味期限の日付を眼で確認する。においを嗅ぐという判断が働かない」と書いてある。

 今を生きる私も、どうもこの記事に書いてある通りで、五感が優れているとは言いがたい。視覚、確かに目の前にあるものを見てはいるが、ぼんやりとしかと見ていない。今見たものを紙に描いてみろといわれても描けない。

 聴覚、季節折々の風の音、草むらの虫の声も車の騒音やテレビの音にかき消され、ささやくような声は聞こえなくなっている。

 嗅覚、冷蔵庫に買い置いてある古いものを調理しようとして取り出すが、まだ食べられるかどうかを、表示されている賞味期限でしか判断が出来ない。

 味覚、味の濃いものをよく食べる。外食をしても濃い味付けのものが多い。素材の味を楽しむということが少なくなった。それに比例して味覚は落ちている。

 触覚、着るもの、家の中のものは壁も床も加工品が多く、自然のものに触る機会は少なくなった。他人にもセクハラとやらで簡単に触れると捕まってしまう。

 このように、五感を磨く機会は昔の人に比べて少なくなっている。五感を鋭くし、自分の身を守らなければならないという必要性がなくなったからであろう。

 しかし、いざという時には、やはり五感は必要だ。食べ物の栄養バランスと同じように、1日に1回は五感のすべてをバランスよく磨く努力はしておきたい。

 限られた生活スタイルの中で、このように毎日何か書くものを探すということも、五感を磨く一助になっていると思っている。「感じる心がなければ文章は書けない」ともいう。同時に、感じる心も磨いていきたいものだが……。
 (写真は、咲き始めた「シャラの花」) 

「私の作品」

2007年06月28日 | 木工・細工・DIY
 先週、中国新聞の女性記者から電話があった。私が工房を主宰していてカントリー木工を作っていることを聞きつけ、見せて欲しいという。

 毎日暇を持て余している私は、誰でも・何時でも・どこでも・何でもOKである。その数日後、我が家に来てくれた。毎週火曜日の「ふれあい」というページに「わたしの作品」という欄がある。読者が手作りしたいろいろな作品が、写真と共に一言メッセージを添えて掲載されている。その欄に私の木工品を投稿することにした。

 退職してから今日まで、30種類くらいの木工品を作ってきた。ある時期、それをインターネットのオークションに出して、100点余りのものを買ってもらったこともある。時給に換算してみると30円だと言うと、友には笑われたが楽しい木工工作であった。

 今我が家に残っている作品の数々を、この記者に見てもらった。木馬・紙芝居台・ブレッドボックス・箱型糸立て・コーヒーフィルター立て・椅子・テーブル・犬小屋・カレンダーフレーム・額・スパイスラックなどである。

 「この写真を撮らせて下さい」と言って記者が選んだのは「箱型糸立て」であった。手芸や裁縫をする人が、多くの糸巻きを収納するための糸立てである。オークションをやっていた時、見知らぬ婦人から依頼されて作った創作作品だ。

 64本立てと100本立ての2種類のものを7台作った。箱型で持ち運びが出来、糸巻きは取り出しやすいように斜め前に台が倒せる構造にしてある工夫の品である。今手元には、苦労して作った記念にと思って16本立てのミニチュアを作って飾っている。その写真を撮って帰って行った。

 今日、新聞社から6月26日の、その写真が掲載されている新聞が郵送されてきた。かわいく撮れた写真の下に、要領よく分かり易い文章で説明してくれている。

 こんなものが欲しい方がおられましたら、手元に設計図がありますのでこれを参考にして、製作に挑戦して見られてはいかがでしょうか。もの作り、時間を忘れての楽しいひとときでもあります。
  (写真は、中国新聞掲載の「わたしの作品」) 

二葉の里

2007年06月27日 | 旅・スポット・行事
 6月20日、このブログで「ひろしま通」と題して、「二葉の里歴史の散歩道」という素晴らしいところがあることを書いていました。これを広く皆さんに知っていただこうと思い、中国新聞に500字に圧縮して投稿していたものが今朝の新聞に掲載されましたので、もう一度読んでいただけますか。

  「二葉の里魅力再発見」

 広島市に住む先輩が「ひろしま通」という資格を取得したので、案内をしたいと言う。「ひろしま通」とは、広島の魅力をアピールするため、広島の歴史や文化、自然、人物、原爆・平和などの知識を問う試験の合格者に与えられる資格のことである。

 先日、その「二葉の里歴史の散歩道」を案内してもらった。新幹線口に降り立つと、北側に小高い二葉山が見える。一帯を「二葉の里」と呼ぶ。散歩道は点在する由緒ある神社・仏閣や史跡などの文化遺産を結んだ約10キロの道のり。国宝1点、国や県市の重要文化財などが23点もあるという。

 パンフレットをもらい、説明を聞きながら歩いた。近くに住んでいながら、こんなに良い所があることを知らなかった。ごく限られた地域に多くの文化遺産があることに驚く。

 いくつかの建物・史跡には原爆の爪痕が今なお残っており、ある柱は爆風で傾き、ある手水鉢は灼熱で表面が剥離している。爆心地から遠く離れていても大きな被害があったことを知る。

 このたびはごく限られた地域の散歩であったが、もう一度ゆっくりと訪れてみたいと思わせる「二葉の里歴史の散歩道」であった。
 (2007.06.27 中国新聞「広場」掲載)
(写真は、案内板で「ひろしま通の先輩」)

従業員の苦悩

2007年06月26日 | 生活・ニュース
 今朝(26日)読んだ新聞の社説の見出しは、毎日新聞が「こんな無法がなぜ通ったのか」、日経新聞が「消費者を裏切る食肉偽装」と、いずれもが食肉偽装の話題であった。

 食肉加工販売会社「ミートホープ」の食肉偽装問題は、実態が明らかになってくればくるほど、この会社の無法振りにただ驚かされている。

 そのひとつひとつについては新聞・テレビで報じられている通りであるが、今日、会社は従業員約60人に対して事実上の解雇を通告するという。

 社会的な信用を失ったこんな状況では、会社を存続させることは到底出来ない。会社清算を前提に全員解雇を検討をしているようだ。

 ある従業員は「専務から『あなたたちには本当に悪いことをした』といわれた。これからみんな職探しだが、60歳も間近で就職先を探すのは難しい」と、途方にくれているという。

 会社が悪いことは論を待たないが、監督行政の問題も挙げられている。それはさておき、私はそこで長年働いてきた従業員のことを思ってみた。

 日経新聞では、全員解雇とあれば、「不正行為が、働く人も不幸にすることを忘れてはならない」と社説の最後に結んでいる。

 確かに、会社がなくなれば従業員は路頭に迷う。年配者では再就職もままならないだろう。大変さは良く分かるが、しかし、従業員はこの不正をまったく知らなかったのだろうか。

 現場で実作業を行っておれば、当然自分がどんなことをやらされているのか分かっていたに違いない。その不正を内部告発した人には敬意を表するが、その他の従業員は、自分の生活を守るためであろうか、黙したままで結果として不正に加担していたことになる。

 ワンマン社長の個人会社だ。物言えば首が飛ぶのは分かっている。黙々と不正な作業に従事させられていた従業員が不憫で痛ましくさえ思える。

 知っていて黙って作業していた従業員は責められるのだろうか。私がこの会社の年配の従業員であったとしたらどうしたであろう。「仕事とは、社会貢献でもある」と思っていたので、悩んだ挙句……しただろう。従業員を自分に置き換えて、しばし考えてみた。
(写真は、収穫が始まった「ブルーベリー」)