写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

誕生日のメール

2008年11月28日 | 生活・ニュース
 昨日11月27日は、私の誕生日だった。最近は、今が平成何年なのか、今日が何日なのか、あやふやになることが間々ある。

 自分の年さえ定かでなくなってきている。日々の生活に目に見えるような変化が少なくなっているせいだと思っている。

 その反面、家の前を通う小学生がいつの間にか中学の制服を着て通っているのを見て驚くことがある。こちらの変化は激しい。

 「そんなことではいけませんよ」と言わんばかりに、使っているパソコンのメーカー富士通から、誕生日のお祝いメールが届いた。

 奥さんでさえ気がつかないときがあるのに、ドライな商売でつながっているとはいえ、赤の他人からお祝いのメッセージが送られてきた。

 パソコン購入時に、生年月日を届けておいたのだから、言ってみれば自分が自分にお祝いをしているという出来レースのようなものである。

 「開いて楽しんでください」と書いてあるURLを開いてみた。ハートリーそっくりの耳の長い犬が居眠りをしている。そこに届けられたバースディケーキ。お友達も来てくれて祝ってくれている動画が出てきた。
 
 おや? 我が家でもこれとそっくりなことがあったぞ。私の誕生日を聞きつけて、お友達が大きなロールケーキと白ワインを持って立ち寄ってくれた。

 そんな良いこともあった●◎歳の誕生日。生きているだけで儲けものと言ってもよい年だ。いろいろあろうが、これからの1年の目標は、とりあえずは「生きている」ということにしておこう。

 車に当てられることもなく、食当たりなどもせず、機嫌が悪いときでも人に当たることもなく、年末ジャンボ宝くじが当たらなくてもただ笑っている。そんな1年に私はしたい。どこかで聞いたことのあるような1節になってしまった。

 お暇な方は、下記URLをクリックしてみてください。

http://azby.fmworld.net/cgi-bin/mail/birthday/birthday.cgi?USR_NO=3015071318&mail=BDD200811273015071318

わけあり

2008年11月27日 | 季節・自然・植物
 11月の22日から24日までの3日間、『錦帯橋もみじまつり』が日本庭園とあわせて1,000本のもみじが色づく吉香公園で開催された。

 23日の日曜日にハートリーとの3人で出かけた。城山の裾にある紅葉谷で逆光での良い写真を撮ってみたくて行ってみたが、人が多くて写真にならない。

 3日後、天気の良い昼下がり、自転車に乗って再度出かけた。公園の奥まったところにひっそりとたたずむ紅葉谷に余り人はいない。祭りの期間中とは雲泥の差である。

 もみじの季節には外せない永興寺の山門をくぐった。やや時期遅れで、盛りを過ぎたもみじではあるが、まだまだ美しい。石畳に落ちたもみじも一興である。

 ふと遠くの正面を見ると、黒いコートを身にまとった中年の男と女が、ゆっくりと境内に入っていくのが見えた。

 長年連れ添った夫婦とは少し違って、重なるほどに寄り添って歩いている。私の第6感が最新のパソコンのように素早く起動して判断を下した。

 「あれは、訳ありのお忍び旅行に違いない」。雨上がりの人里離れた公園にあるもみじの古刹。しっとりとした昼下がり。時折山の方から甲高くさえずる鳥の声が谷の静寂を破る。

 小説や映画の世界では何度も見たようなシーンだ。そうだ、吉永小百合・渡哲也が主演した映画「時雨の記」の舞台となった京都・常寂光寺の風景によく似ている。

 若い頃に見初めた女性との20年ぶりの再会に愛を燃やす中年男と、そんな彼の一途な想いに深い理解を示していく中年女の純愛をしっとりと描いた恋愛ドラマであった。 

 おっとっと、仲良さそうな単なる二人連れの後姿を見ただけで、こんな妄想に取りつかれてしまっている。

 ふと我にかえり、少し時期遅れの紅葉の写真を何枚も撮って帰った。「ただいま!」。純愛だった頃を思い出しながら、日頃になく大きい声で我が奥さんに言ってみた。 「もう帰って来たのぉ?」。
 (写真は、常寂光寺の山門によく似た「永興寺の二人」)

演説の言葉

2008年11月26日 | 生活・ニュース
 11月6日にこのブログで「新米国誕生」と題して、オバマ氏が新しく米国の大統領に選ばれたことを書いていました。それを見直し、若干のことを書き加えて、中国新聞の読者モニター「中国新聞を読んで」に投稿していたものが今朝の新聞に掲載されましたので転載します。
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  演説の言葉 日米で大きな差

「米大統領オバマ氏」「初の黒人47歳、大勝」「8年ぶり民主政権」「変革実現へ結束促す」「人種超えたチェンジ」と一面から数ページにわたり、米大統領選でバラク・オバマ氏が地滑り的な大勝を収めたことが報道された。

 一番の驚きは、人種偏見が根強く残る米国で黒人が初めて大統領に選ばれたことだ。公民権運動にかかわってきたある下院議員は「米国の無血革命」とさえ言う。
 
 四十七歳という史上五番目の若さはうらやましくもあり、素晴らしくもある。それ以上にオバマ氏の素晴らしさは民衆を前にしての雄弁さである。故ケネディ大統領以来と評される演説はオバマ氏の最大の魅力だ。巧みな弁舌で国民の心をつかみ、コミュニケーション能力とメッセージ性の強さが当選への原動力になった。

 ブッシュ政権の「負の遺産」と、これからどう向き合っていくのか。大変な仕事であろうが、結束して「イエス・ウィー・キャン」の精神でやり遂げてほしい。

 オバマ氏当選の記事を読みながら、どうしても日本の首相と比較してしまう。年齢などには関係なく若いオバマ氏に託す米国人が、心の底から「チェンジ」を望んでいることが分かる。 

 それ以上に大きな差を感じるのは演説の言葉である。政治家が自分の考えを民衆に示す方法はまず言葉だ。将来の夢を語り、それへ向けての取り組み方を語ってほしい。方策はいろいろあろうが、まずは夢や目標を心に響く言い方で話してほしい。オバマ氏は、それをやっていたように思う。

 オバマ氏はブッシュ外交への反省から敵対国家との積極的な対話の姿勢を示し国際協調の復活を掲げたり、核兵器のない世界を目指したりする考えも示しているという。核軍縮に強い熱意を示していることを聞いた麻生首相が「そう簡単にできる話ではない」と冷ややかな見方をしたという。

 世界で一番核廃絶を叫んでほしい日本のリーダーの、夢のない後ろ向きの言葉を寂しく聴くばかりだ。首相はオバマ氏の「チェンジ」に乗り遅れないよう、しっかりと日本のかじ取りをしていただきたい。
  (2008.11.26 中国新聞「中国新聞を読んで」掲載)
  (写真は、何を語らなくても何かが伝わる「吉香公園の銀杏」)

サイレント

2008年11月25日 | 生活・ニュース
 まだ暑さの残る夜、開け放した窓から突然轟音が飛び込んでくることが何度もあった。米軍岩国基地から夜更けになっても飛び立っていくジェット機の騒音である。

 住環境は静かな方がいいと思っているとき、そうとばかり言えない意外な記事が目に入った。 「地球に優しい」ともてはやされるハイブリッドカーのことである。

 エンジンと電気モーターを併用して走るため、低燃費に加えて騒音が小さいことが人気のひとつだが、一部の消費者から「知らないうちに、すぐ後ろに来ていて驚いた」との苦情が寄せられるという。自動車業界と所管する国土交通省は対策を練っているが、なかなか妙案は浮かばないようだ。

 私も1度狭い道を歩いていた時、音もなく後ろから来て体のすぐそばを通り過ぎるハイブリッドカーに、はっとしたことがある。車が近づいて来ているという心構えができていないので一瞬驚く。

 音というものは付き合うことが難しい。ジェット機のように大きすぎれば騒音だといわれ、ハイブリッドカーは究極まで行った静粛性ゆえ、「歩行者からの認知が遅れる懸念がある」と指摘され、不本意にも対策を求められている。

 いずれの音も、限度を超えて大きすぎたり小さすぎたりすることで問題は起きている。昔から高級車は、静粛性が売りのキャッチフレーズであったのに。

 昔、寝台列車の連結器の音で眠れないことがあった。山間の宿で静かすぎて眠れないこともあった。それぞれの場面にあったほど良い音量というものがあるようだ。

 静粛と言えばサイレント。あと1か月もすればクリスマス、清しこの夜・サイレントナイトがやってくる。

 年から年中、1日も休むことなく飲み続けているお父さんはこれからのシーズンが特に忙しい。沈黙の臓器・サイレントな肝臓にも気を配リたい。間違ってもサイレンのついた車のお世話などにならぬよう気を付けよう。
  (写真は、一足早い「サイレント・ナイト」)

KY首相

2008年11月21日 | 生活・ニュース
 世の中、面白いことを考える人がいるものだ。「麻生首相はKYだ」という。解散総選挙のタイミングが読み切れないことを言っているのかと思った。

 ところが、ひと頃若い人の間ではやった「空気が読めない」という意味ではなく「漢字が読めない」ことだという。

 そう言えば先日来、麻生首相がいろいろな所での挨拶や演説を原稿を見ながらやっている時に、「未曾有」を「みぞうゆう」、「頻繁」を「はんざつ」、「踏襲」を「ふしゅう」、「詳細」を「ようさい」、「有無」を「ゆうむ」と読んだ。

 取材記者からこれを指摘されると、単なる「読み間違い」とか「勘違い」だと答えた。読み間違えとは、読み方を知っているが間違えて読んでしまうことだろうが、麻生首相の場合は、読み方をもともと知らなかったのではないかと疑う。

 どの程度の漢字が読めれば社会人として合格なのか一概には言えないだろうが、新聞や大衆小説・雑誌に普通に出てくる漢字くらいは当たり前に読んで欲しい。
 
 何と言っても一国の首相である。最大の武器は言葉だ。正確な言葉が話せないのでは情けない。とはいう私も、今まで言葉や漢字の間違いを何度もやって来た。若い頃「必至」を「「ひっち」、「頌春」を「こうしゅん」、「完璧」を「完壁」などとやらかしてきた。

 その都度、人から指摘されて正しいものを覚えてきた。書き方の間違いは自分で気がつきやすいが、読み方は他人が指摘してくれないとなかなか気がつきにくい。

 その意味では麻生首相も、首相になったが故に新聞やテレビ他、多くの人に指摘されてやっと今までの覚え違いに気がついたというところだろう。

 国のリーダーが「愛読書はマンガです」と、相好を崩して話しているころから少しおかしな感じはしていた。これからは少し理屈っぽい、漢字の多いマンガを読んでいただけばいいと思う。

 「麻生さんのは読み間違いではなく、読み方知らずですよ」。「あっ、そう。単なる読み間違い。漢字違い、いや勘違い」などと言わず、漢字にもどうかご精進のほど。
  (写真は、毎日新聞より。ねじれ国会ならぬ「ねじれた口」)