写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

合目

2021年02月25日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 先日、裏山の桜ヶ峠までの1.4kmの登山道を10等分した個所に、山登りする人の目安として自称「1町塚」という道標を掲げておいた。太いマジックインキで、立木やガードレールに「1号目」とか「5号目」などと目立つような個所を選んで書いておいた。

 数日たったころ、この道標を見ながら山歩きしているとき、奥さんが「この『号目』という書き方はおかしいのではないかしら」と言う。改めて言われてみればそうである。山歩きをしているときに見る道標では「号目」ではなくて「合目」と書いてある。改めて「合目」と書く理由を調べてみた。

 「合」とは、尺貫法における体積の単位である。中国・漢代の長さの標準器であった黄鐘管を満たす水の量の2倍の量に由来するもので、2倍であるので「合」という名称となった。後に升と関連づけられて、その10分の1の量とされるようになった。そこから「合」自体が「10分の1の量」という意味となり、登山道の目安を表す単位が生まれた。麓から頂上までを10合に分けるが、単純に高さや距離で等分しているのではなく、実際に歩いて登る際に要する時間がおおよその基準になっているため、険しい場所や坂の急な場所では1合の長さが短くなっている。

 他にもいろいろな説があるようだが、『富士の研究』(全六巻・富士山本宮浅間神社社務所・昭和3年刊)には、次のようなことが書いてあるという。
(1)富士山の形が枡に米を盛った時の形に似ているので、穀物を計る単位「合」を用いた。
(2)梵語の『劫』が『合』に変化した。つまり、富士登山の苦しさを人生の苦難にみたて、その難しさを劫数、すなわち合目で表した。
(3)富士山頂のことを御鉢といい、仏教用語でもおそなえする米を御鉢料と言うところから、米にたとえて「合」で区分した。
(4)昔、夜は行灯を灯しながら登っていたので、その行灯の油が一合燃え尽きる道のりで区切った。

 こんなことからであろうか、昔から山の道標としては「合目」が使われている。裏山の道も一応登山道である。それであれば「号目」ではまずかろう。詳しい理由が分からないまま、翌日、「号目」を「合目」に書き直して歩いた。これで名実ともに立派な道標と認知されることを期待したいが、果たして何人の人が「号目」と「合目」の違いに気がついてくれるだろうか。


小積の河津桜

2021年02月24日 | 旅・スポット・行事

 毎年この季節に「川津桜を見に行った」という話を聞くことがある。河津桜と言っても、伊豆の河津町まで出かけてきたという話ではない。近くに植樹されている所があり、このシーズンに一般の人に解放されているのを見に行ったという話である。

 この年になるまで、ソメイヨシノの下では毎年花見をしてきたが、ついぞ河津桜のお世話になったことはない。ネットで調べてみると、近くの周防大島町の小積(おつみ)、下松市の笠戸島、上関町の城山歴史公園などで見ることが出来ることを知り、小積に行ってみることにした。

 その前に河津桜についても少し調べてみた。「河津桜とは、日本固有種のオオシマザクラとカンヒザクラ
の自然交雑から生まれた日本原産の栽培品種の桜のこと。一重咲きで4cmから5cmの大輪の花を咲かせ、花弁の色は紫紅。早咲きが大きな特徴で、2月から3月上旬に開花し花期は1ヶ月と長い。1955年に伊豆の河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来である」。

 これくらいの予備知識を携えて、周防大島にわたり時計回りに走って、まずは我が家から60kmのところにある片添ガ浜を目指す。ここまでくれば小積まではあと3kmである。11時に着いたが、すでに30人ばかりの観光客が来ている。私有地の山の斜面に50~60本の河津桜が満開に近い状態で咲いている。

 ソメイヨシノが淡いピンクであるのに比べると、紫がかった濃い赤色で、花の大きさも2回りほど大きい。今が満開のようであるが、この状態はまだしばらく続くという。

 もう少し先にも同じように植樹してあるところがあり、訪れた客で賑わっている。伊豆の河津で見つけられた桜が、こんな遠くまでやってきて、多くの人を楽しませてくれている。これならわざわざ河津まで出かけなくてもいいようだ。

 春の瀬戸内海は、あたかもガラスの破片を散りばめたようにきらきらと光っている。デジカメを取り出して海をバックに河津桜を写した後、奥さんを撮っているとき、後ろから「お二人お揃いで撮りましょうか」という声がかかってきた。

 同年配の見知らぬご夫婦であったが、お言葉に甘えて久しぶりにツーショットで収まってみた。河津桜の長い花期にあやかって、末永く仲良く過ごしたいと思いながら、お返しに撮って上げましょうと言うと、やんわりと断られた。ひょっとすると、訳ありの2人だったかも?と、ゲスの勘繰りをしてみた。

 

 


格安スマホプラン

2021年02月22日 | 生活・ニュース

 4年前、電話機能しかないケータイから、UQモバイルという格安のスマホに乗り換えた。車を運転するとき、公衆電話の代わりの備品として携帯している。そのほかは、外出時、ネットで情報取集するために時々使う程度である。

 そんな使い方でも、毎月2950円ばかりを支払っていた。ところが、昨年来、大手の携帯電話の各社が、競うようにして低額のスマホプランを売り出し始めた。2㎇、5分以内かけ放題の電話であれば、毎月2980円という低額プランを売り出した。

 ずいぶん安くなったものだと感心していたが、これであれば今使っている格安スマホのUQモバイルの出番はなくなっている。こちらの方も割安のものは出ないものかと思っているとき、先日、期待していた新料金の広告が出ているのを見つけた。

 3㎇、10分以内かけ放題の電話で、月額が約2300円というものである。この広告を見て、早速電器店に出向き契約の変更を行った。月にわずか600円の節約ではあるが、今までは5分以内のかけ放題が10分以内になっている。時間を気にすることなく話ができるのはありがたい。

 大手3社の競争は激化しているが、ユーザーとしてはありがたい競争だ。若者の収入に占める通信費の割合が外国に比べて高すぎるというが、スマホの低額化で恋人同士の会話時間が増え、ひいては出生数も増えるということにつながれば、これこそ 国家発展のための値下げだと言える。

 それにしても、格安プランが出たといういい話を、現在契約している顧客に何の連絡もしないという不親切さに不満を感じている。第一、気がついた者勝ちという姿勢が顧客本位になっていない。車のリコールの通知とは大分性質は違うが、「こんなに格安なプランのものが出来ましたよ。検討してみてください」くらいの度量というか親切心は欲しいものである。

 

 


「生クリームの中の蛙」

2021年02月15日 | 生活・ニュース

 生クリームの瓶に落ちてしまった蛙が2匹いた。2匹とも浮いていることが難しく沈み始める。手足をばたつかせても浮き上がることが出来ない。1匹は「こんなことをしてもどうせだめだ」と諦めて沈んでいった。

 もう1匹は「いくら死が迫っていても最後まで生きるんだ」と足をばたつかせている。しかし、1cmも上がれず同じ場所で何度も足を動かし続けていた。

 すると、さんざん足を動かしたために突然生クリームが固まってバターになり、蛙は驚いて足をけると瓶の縁に飛び移ることが出来て助かった。

 以上は、ブエノスアイレスの精神科医で作家のホルヘ・ブカイ氏の「寓話セラピー」という作品中の「生クリームの中の蛙」という寓話である。この話には「どうやってもダメ」と思って努力を放棄する傾向がある時のヒントが隠されている。今いる環境の中で「自分が出来る限りのことをする」というところだと、この寓話を紹介しているエッセイスト・海原純子さんは書いている。

 努力する前からすでに諦めるのではなく、努力をしてもだめなら諦める。変に大人の対応で諦めるのではなく、泥臭くやっていると思いがけないことが起きることもある。こんな前向きな精神が大分衰えてきた今を、この寓話を読みながら反省する。

 「努力しても達成できないことは多い。しかし、達成できた人はみんな努力してきた」「宝くじを買っても殆ど当たらない。しかし、当たった人は宝くじを買った人である」。何ごとも挑戦してみないと分からないという、誰もが分かっているお話である。

 

 


一町塚

2021年02月12日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 江戸幕府は、慶長9年(1604年)に全国の主要街道を整備し、日本橋を起点として1里(約4㎞)ごとに道路の両側に5間四方の塚を築き、その上に榎・松・欅などの木を植えた。 

 これを一里塚といい、旅人のための里程標となった。1里は、人間が1時間に歩く距離にほぼ等しく、長距離を歩く旅人にとってはいい目標であったものと思われる。

 最近、夕方の散歩のルートを変えて、少し坂はあるものの裏山に登っている。狭いけれど車が
走ることが出来る舗装道路は、桜ヶ峠を越えて隣の和木町まで続いている。朝夕は混雑する国道の抜け道として通勤する車が多い道路となっている。

 麓から標高150mの桜ヶ峠までの距離は1.4㎞ある。先日、久しぶりにその峠まで歩いてみた。ひと頃に比べると足腰が少し辛く感じられる。そうは言いながら30分そこらで登ることが出来た。

 そして今日のことである。単に山道を上るだけでは刺激がない。「そうだ、麓から峠までの間を10等分して、一里塚に似た印を立木に巻き付けて歩く動機付けにしよう」と思い立った。

 ネットの地図をにらみながら、麓から140mごとのポイントを確認する。幅広のビニールテープにマジックで1から10までの番号を書き込んで、立木に巻き付けながら登っていく。

 ポイント間の距離は140mなので、言ってみれば一里塚ではなく「一町塚」というところか。1町とは、60間で約110mである。下山する道すがら、取り付けたばかりの「一町塚」を見ながら、「あっ、もう5合目か、半分下りたな」などと、今いる場所を理解しながら歩くことが出来るので、体力の配分が計算できる。

 何ごとも、常に自分が立っている位置・立場を確認しながら進めていくということは、進む道を大きく間違えないために大切なことである。言ってみれば「いつも俯瞰的なものの見方」をするということであろう。

 散歩道に手前みそな「一町塚」を取り付けながら、こんなことに考えが及んだが、○○委員会のみならず、世の中、こんなことが出来ない人は結構いるようだ。気をつけたい。