☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 愛犬のハートリーと共に瀬戸内の岩国から…… 茅野 友

移り気

2018年05月31日 | 生活・ニュース

 梅雨入りが発表されて3日目、庭には梅雨を象徴する花であるアジサイが満開の時を迎えている。我が家を訪れた女性から「アジサイの花言葉を知っていますか?」と聞かれた。知らなかったが「移り気というそうです」と言われたのを機会に、アジサイの花言葉を調べてみると、アジサイの種類などでいろいろあることを知った。

 フランスではアジサイの開花シーズンである6~7月頃はカラリとしてとても過ごしやすく、赤やピンクなどの可愛らしい色の花、気持ちの良い気候というイメージで「元気な女性」と付けられている。

 また、アジサイの小さな花びらが寄り集まって咲いている姿から「一家団欒」「団結」という花言葉がある。アジサイの開花期間が長く、しとしとと降る雨の中、じっと耐え忍ぶように咲いている姿から「辛抱強い愛情」というものもある。

 アジサイの原種であるガクアジサイの花言葉は「謙虚」である。我が家の玄関アプローチに、数日前から色づき始めているが、咲き誇るという風情ではなく、各1輪の所々で、そそとガクを咲かせているところから名付けられたに違いない。

 こんな花言葉がある一方、マイナスイメージの有名な花言葉がある。アジサイの花の色が変化する特徴から生まれた言葉で、色が移ろっていく姿を、心が変わっていく様に重ね合わせたもので「移り気・浮気・変節」と付けられている。

 「移り気」とは、興味の対象をたやすく別のものに向けることをいうが、今の世の中、移ろうスピードが速すぎて、身体も頭もついていかないというのが現状。せめて、アジサイの色の移ろいを、カタツムリと共に移り気などせずに、ゆっくりと眺めてみたいものである。

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おごれる者

2018年05月29日 | 生活・ニュース

 山口県に梅雨入りが発表された翌日(29日)、律儀にも朝から早速霧のような雨が降っている。家を建てた時の記念樹として植えていたナツツバキ(夏椿)に目をやると、枝々に多くのまん丸いつぼみを膨らませ始めている。6月の半ばには、白い可憐な花を咲かせてくれる。

 そんな朝、日経新聞にナツツバキのことがコラムに書いてあった。「ナツツバキは別名を沙羅という。お釈迦様の入滅の際に、花は枯れ幹が白くなったとされる聖なる樹木の名前である。

 本物の沙羅は寒い日本では育たない。代わりとしてナツツバキが寺に植えられ広まった。朝咲いた花は夕刻までには落ちてしまう。短い間に、降るかのごとく花が地を打つさまは侘しい。

 『沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす』、平家物語の冒頭にあるこの花は、美しさの中にはかなさが潜んでいる。栄華は決して長続きするものではない。しかし人間はなかなかこの教えを解せず、幾たびも愚行を繰り返している」と。

 現実に目を向けると、安倍1強の政治の世界にとどまらず、フェアープレイが身上のスポーツ界までが、権威に酔ってしまったかのように、「おごれる者」が理不尽な振る舞いをしている。「盛者必衰」とはいいながら、ここは自然の流れに任せることなく、力を合わせて「おごれる者」に引導を渡さなければいけない。

 それにしても、おごれる者は、年の割には元気で脂ぎっているのは、どうしてだろう。朝咲いた花が夕刻には落ちるように、次世代にバトンタッチをするタイミングを間違えないようにできないものか。ナツツバキに学んでほしいと、相変わらず他人任せにするしか能がない。 

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雨に唄えば

2018年05月28日 | 季節・自然・植物

 月に1度、定期的に歯科医院に通っている。「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という80/20運動というものがある。現在の私は76/27であり、この様子で行けば80/20は優に達成できそうである。

 今日のことである。いつものように歯科医院へ行った。担当の女性の歯科衛生士さんが異常の有無を点検した後、超音波洗浄とブラシを使っての汚れ落とし、更に薬を使って磨いてくれる。その間、「何か異常はありませんか」と聞かれ「右の奥歯に少し知覚過敏があります」というと、その個所に空気を吹きかけて知覚過敏の程度を診てくれる。

 「冷たいものを飲むときに、少ししみる感じがします」と訴えると「そうですか。我慢が出来ないようでしたら、神経を取ることがありますが、これくらいなら、そこまでやらなくてもいいのではないでしょうか。ところで、ビールを飲むときはどんなですか?」と聞いてくる。「そういえば、ビールを飲むときにはしみませんね」「皆さんそうおっしゃいますよ」と言われて大笑いした。

 「我が物と思えば軽し笠の雪」という句があるが、何ごとにつけ、自分のためとあれば苦労も負担に感じないことが、実例をもってよく分かる話であった。そういえば今日(28日)は、中国地方を含む九州北部と四国地方は早くも梅雨入りしたと報じられた。過去50年の梅雨入りの日を調べてみると、5月に入ったのは僅かに7回のみ。今年は早い梅雨入りである。

 「梅雨になった。あ~あ、毎日鬱陶しい雨が続くのか」と憂うのは止めよう。この季節があってこその、米作りをはじめとして自然の恵みは数えきれないほど沢山ある。誰かの言葉があった。「人生すべて当たりくじ」である。何ごとも前向きに捉えて行動すればよい結果につながるという。そうだ、ジーン・ケリーのミュージカルではないが土砂降りの雨の中でも、「雨に唄えば」でも歌いながらタップダンスでも踊ってみるか。

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白い花の咲く頃

2018年05月24日 | 季節・自然・植物

 庭では、4月にはハナミズキの木に、小ぶりの白い花が無数に咲いた。5月に入ると今が盛りのバラを見下すかのように、高いところで上向きに、これまた真っ白いヤマボウシの花が咲きだした。そして今は、庭の端の至る所で、白い十字のドクダミ草が、「ここ、ここで咲いています」と言わんばかりに日陰にありながらも存在感を増している。

 1日中、雨が降った夕、ふと居間に座って普段あまり見ることのない南の庭を眺めると、カシワバアジサイがあっという間に私の背丈をはるかに越して葉を茂らせ、円錐形をした大きく白い花を咲かせ始めている。

 白い花を見ると、私はいつも「白い花の咲く頃」という歌を思い出す。岡本敦郎が1950年(昭和25年)にNHKの「ラジオ歌謡」で歌ったものである。
  作詞:寺尾智沙  作曲:田村しげる 
 ♪ 
白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日
  さよならと 言ったら だまってうつむいてた お下げ髪
  かなしかった あの時の あの白い花だよ ♪

 天の橋立で有名な奥丹後半島での思い出を書いたもので、ひなびた田舎町での胸の苦しくなるような初恋の思い出、初めてのくちづけ、親の反対であきらめざるを得なかった胸のうち、ひとりさまよい腰を下ろすと、そこには名もしらぬ小さな白い花が咲いていた、という文字どおりの悲恋物語を歌ったものだという。

 私は50代の初め、金帰月来ではあったが、千葉で単身赴任を4年間やった。その時、広い空を見上げたとき、何故かすぐにこの「白い花の咲くころ」の歌を口ずさんでいた。故郷の岩国で、悲恋物語があったわけではないが、歌っていると故郷のことが無性に懐かしく思えた。

 2番の歌詞は「白い雲が 浮いてた」、3番は「白い月が 泣いてた」で始まる。故郷の岩国に戻った今、庭に咲いている清楚な白い花を見ると、今度は単身赴任をしていた千葉でのいろいろなことを懐かしく思い出している。

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公衆電話

2018年05月23日 | 生活・ニュース

 最近、携帯電話やスマホが急速に普及したのに合わせて、街を歩いていても公衆電話を見かけることがほとんどなくなっている。駅やスーパー、市役所や総合病院などには、タクシーを呼んだり、家に連絡するのに使われるのであろうか、目にすることがあるくらいである。

 先日の夕方のことである。車を走らせているとき、スーパーの前にある信号が赤になったので停止した。その時丁度、小学3年生くらいの男の子が、ヘルメットをかぶり自転車に乗ってスーパーの前を通りかかった。見るとはなくその子を見ていると、自転車を止めて公衆電話の前に立った。

 ポケットに手を突っ込んでいる。小銭を取り出し公衆電話のコイン投入口にいれるが、カランと音を立てて返却口に入れたコインが落ちてくる。同じことを数回繰り返しているのを見て、私は車の中から「おーい、ボク、受話器を外してからお金を入れるんだよ」と叫ぶと、振り返って私の方を見たが、聞こえなかったのか相変わらず同じことを繰り返している。

 もう一度私は同じことを大きな声で言ったが、少年には意味が伝わることなく、そのうち信号が青に変わったのでその場を去った。発進した後、バックミラーを見ていると、少年は電話をかけることをあきらめて自転車に乗って立ち去っていくのが見えた。

 「そうかあ~、このごろの子供は公衆電話のかけ方を知らないのか」と奥さんと話した。受話器を外してコインを投入するという簡単なことが分からない。今の子供は、デジタル機器にはめっぽう強いがアナログ危機には弱い。

 一方、今のおじさんやおばさんは、デジタルにはめっぽう弱いがアナログには結構強い。デジタル一辺倒の現代の世の中に、まだまだアナログ世代の公衆電話がしっかりと鎮座し、デジタル世代を戸惑わせていた。
 

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