写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

違いますよ

2015年07月20日 | 生活・ニュース

 昼食を作って置くことなく奥さんが出かけたような時、コンビニに弁当を買いに行くことが時にある。つい先日のことである。テレビでコンビニのローソンが「厚切り鮭弁当」を新しく売り出したというCMをやっているのを見た。「ローソン史上最も大きな鮭を使用したお弁当。厚みのある銀鮭をふっくらジューシーに焼き上げました。副菜の玉子焼・唐揚も一回り大きなものを使用し、ひとつひとつの具材の価値を高めました」とPRしている。

 いつものように奥さんが「お昼は適当にお願いしますよ」といいながら昼食を用意せずに出かけた。その瞬間、「厚切り鮭弁当」のことを思い出した。「よし、今日はあの弁当を買いに行こう」。車は奥さんが乗って出かけているので、自転車にまたがって駅近くの国道沿いにあるローソンを目指して走った。数年前に開店したが、いつもは車で行くに便利なセブンイレブンに行っているので初めて入る店である。

 昼を少し過ぎていた。弁当は、半数が売れているくらいの品数が並んでいた。どこを探しても期待してきた「厚切り鮭弁当」らしきものは見当たらない。「テレビであんなにPRしている割には置いていないな」と思いながら、仕方なく隣の棚のサンドウィッチを手にしてレジのお姉さんの前に立った。

 開口一番「ローソンは今、厚切り鮭弁当をテレビのCMでしきりに流していますが、今日は置いていないんですか?」と、少し咎めるように言った。すると「すみません……、ここはファミリーマートなんですよ」と優しく言って聞かせられた。「それはそれは、失礼いたしました。ごめんなさい」と頭を下げながら、負け犬のように下を向いてそそくさと店を出た。

 この店が開店して以来、何百回と店の前の国道を走っているが、この店がファミリーマートだと、しかと認識して見たことはなかった。思い込みは恐ろしい。店の屋根に鉢巻き状に巻いてある看板の色を見て、てっきりローソンだと信じ込んでいた。しかしそれにしても、メリハリ聞いたセブンイレブンの看板の色合いに比べて、ローソンとファミリーマートの店構え、何か似通っていませんかねえ。それとも私の目が悪いのかな~


生存競争

2015年07月17日 | 季節・自然・植物

 5月に目を楽しませてくれた庭のハナミズキは、今はすっかり新緑に変わり、狭い庭に緑陰を作ってくれている。咲いていた花のあとには、小粒のピーナツくらいの大きさの実が付いている。色はまだ薄緑だが、秋になると真っ赤に熟れ、これを狙ってよくヒヨがやって来ることを思い出しながら眺めていた。

 一歩近づいてその実を観察してみると、実の足元というか根元には20個もの小さな実が付いている。あたかも、大きな実を胴上げしているように、下から持ち上げている。秋に赤く実るのは、大きくなっている1個だけである。足元の小さな実は、大きくなることなく落ちていく運命であろう。

 花一つ咲いた後の、こんな小さな植物の世界に、何んとも激しい生存競争が繰り広げられている。何も大げさに「生存競争」と声高に言うほどのことはない。植物のみならず動物も全て自然界では生存競争しながら生き延びている。

 それにしても花水木の約20分の1の確率で大きくなっている実は、一体どんな努力をして生き残ることになったのだろうか。選ばれて大きくなった実は、秋にはヒヨのエサとなり、どこかの地で翌春芽を出すようなことがあるのだろうか。そこでもまた厳しい試練が待っていて、必ず芽を出すわけでもなかろう。

 そんなことを考えていると、我が身の存在すら、何億分の一の確率で生まれてきたことに思いが到った。そう、生きているもの全て、何億分の一の確率で生まれてきた選ばれし生き物である。そう思うと20分の1の確率なんぞは、まだ楽な生まれ方をしているように思えた。

 話はがらりと変わって今年の広島カープ。先日やっと借金が1となった日に大敗して、今や借金4の生活だ。交流戦でセリーグの各チームはパリーグにコテンパンにやられて、どのチームも借金生活という惨めな状況。「あいつは全く打てない」とか「あいつが投げると必ず打たれる」とか、テレビを見ながら辛辣なことを言ってはいるが、どの選手も生存競争に勝ってきた「日本中から選ばれし野球エリート」ばかりである。ゆめゆめ軽率な非難は慎みたい。選ばれて生まれてきた凡人のつぶやきである。


人間が成長する時

2015年07月15日 | 生活・ニュース

 朝、トイレに入りラジオのスイッチを入れた。ちょうど武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という番組が始まったところで、誰かが書いた「人間が成長する時」という本の紹介をしていた。内容については翌日説明するということで、詳しい話は聞かせてもらえなかったが、ただ一点「修羅場を経験した時に、人間は成長する」と話していた。

 今の私はというと、成長どころか退歩してばかりだが、「修羅場を経験した時に、人間は成長する」というフレーズには大いに共感するところがあった。ところで修羅場とは何か。「阿修羅と帝釈天
との争いが行われたとされる場所のことで、転じて、激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる戦場または事件・事故現場といった状況」とある。

 「
人生には無駄な経験などひとつもない」とはよく聞くが、勤めている会社が危機的状況に陥ることもあれば、自身も病気やケガに見舞われることもある。不本意にも左遷させられることもあろう。こんな時が修羅場であり、これをどのようにして切り開けばよいかを一生懸命に考え、何とか乗り越えていく道を探し出す。こんな経験を経て人間は1段階ごと成長する、と言いたいのであろう。

 「人間が成長する時」と入力してネットで調べてみた。大きなトラブルや追いつめられた時は、大きく成長するチャンスだという。すなわち、初めて経験する非日常的な大きなプレッシャーに曝されている時である。プレッシャーもない手慣れた仕事を毎日やっていたのでは熟練はするが人間的な成長は余り見られない。

 振り返って見る私の人生。自分なりにどんな時に成長したかと思い出しながら自己評価してみた。 
 
1.未経験分野の新しい職場に異動した時。2.新プロジェクトを任された時。3.昇格昇進で慣れない新しいポジションに立った時。4.大きなトラブルの解決当事者になった時。5.子会社整理の役目で出向した時。6.ちょっと危ない病気が見つかった時、などか。

 これらを今静かに振り返ってみると、それぞれ私なりの修羅場ではあったが、そこには必ず強い味方や協力してくれる人がいた。精神的には修羅場ではあったが、命を奪われるほどのことはなかった。長い時の経過は、苦しかったことは浄化され、楽しい思い出だけがより鮮明に蘇って来るのは、あながち歳のせいばかりではなさそうである。


不眠症対策

2015年07月14日 | 生活・ニュース

 70年余り生きているといろいろなことがあり、ちょっとした病気で入院手術をしたことも数度ある。いずれも術後1週間足らずで追い出され、相も変わらず生きてきた。ある入院沙汰のときの話である。4人部屋の廊下側のベッドが私の「部屋」であった。カーテンを隔てた窓側には、鼻の手術をする同年輩の男が1日遅れて入って来た。

 身の回りの世話をしに来る奥さんとの会話はみんな聞こえる。どうやら花粉症がひどくなっての手術をするような様子である。入院した翌日の午後に手術をした。術後、奥さんともども部屋に戻って来たが話す声も大きく元気そうであった。鼻の片方にガーゼを詰めているらしく、息がし難いと訴えていた。

 時々若くて優しい看護師がガーゼの取り換えや様子を見にやって来るが大きな問題はないようであった。その夜、息がし難くて熟睡はできなかったのだろう、時々ごそごそと何かをしている音が聞こえてきた。その後は小さいけれどいびきも聞こえていた。

 翌朝のことである。担当医が回診に来たとき「先生、夜眠れませんでした。睡眠薬を出してもらえませんか」というと「今日1日もう少し様子を見てからにしましょう」ということで薬は出してもらえなかった。ところが朝食後、しばらくすると高いびきが聞こえてきた。夜中の睡眠不足を取り戻すかのような心地よさそうないびきである。「このおじさん、眠れてるじゃん」。睡眠薬とはどうやら無縁のようである。

 人間誰しも睡眠なしでは生きていけない。眠くなったときには必ずどこかで眠っているはずだが、その満足度の多少で睡眠不足を訴えることがあるのだろうか。この男も睡眠薬を飲むことなく、その日の午前中とその夜は高いびきであった。お陰で私はというと睡眠不足ぎみ。

 しかし一つ、そんな夜を快適に過ごすノウハウを見つけた。隣のベッドのいびきで眠れない夜は、無理をして眠ろうとしないことである。入院患者の仕事は食べることと寝ることしかない。夜眠れなければ昼眠ればよい。眠れない夜は何時間でも付き合ってくれるNHKの「ラジオ深夜便」を聞くに限る。懐かしい歌あり、ためになるお話あり。これが私のいびき騒音対策である。

 


生きてますっ

2015年07月13日 | 生活・ニュース

 私が住んでいる地域では、年に3回川掃除と草刈りが実施される。今年になって3回目が今日12日に行われた。朝8時に共用会館の前に集合して参加者の名前の確認が行われ、ケガをしないようになどの注意事項が毎度自治会長から通達される。

 作業着に麦わら帽子と長靴で身を固め、カマを手に格好だけは準備万端整えて出かけた。男性と女性は約半数ずつ、顔見知りがちらほら。その中の1人と目があった。私と同じ会社に勤めていた男で、奥さんともどもこの拙いブログを時に読んでくれているということは以前聞いていた。

 歩み寄ってきて「茅野さん、お元気でしたか。ブログが長い間お休みなので、うちの奥さんから、今日茅野さんがいるかどうか確認するように言われてきました」と笑顔で話しかけられた。気がつけばこのブログ、先月の23日以来20日間もアップしていなかった。ブログを書き始めて今までこんなに空白の日々を過ごしたことはなかった。

 何とか生きてはいたが、身辺、ちょっと忙しいことがあってブログなど書く余裕がなかったが、こんなブログでも読んでくれている奇特な人がいることを知り、少し申し訳ない気持ちになった。平凡な毎日の生活の中に、面白いネタや聞いてもらいたい話など、そう転がってはいないが、又ブログを書いていく気にさせられた。

 今日の日中は蒸し暑く、まさに梅雨の天気であった。夜に入ると雨で、向こう1週間はぐずつく毎日だとか。例年通りだと、来週の初めには梅雨が明けるはずだが、さてどんなことになるのか。先月のエッセイ定例会で、仲間から「荒れる出梅」という言葉を聞いた。梅雨の終わりは大雨が降るというが、そういえば台風11号が本土を狙っている気配。ゲリラ豪雨に用心しながら梅雨明けを待ちたい。