写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

同窓会

2005年01月31日 | 生活・ニュース
 昨年の暮れ、年明け早々の大学の同窓会の案内がメールで届いた。現役時代は、転々としていてなかなか出席することが難しかった。

 退職した今なら、いつでもどこでもオーケーだ。若い頃一度出て以来30年ぶりの出席をした。広島・大阪地区に居住しているものが10人広島の居酒屋に集まった。
頭のてっぺんは人それぞれで、黒色・灰色・白色・つや有り・つや消し・バーコードとさまざまであったが、しわの間で昔と同じ顔が笑っていた。

 学生時代の思い出話で盛り上がった。今、会社社長をしているI君は、友人ふたりの試験の答案用紙を書いてやったという。ところが結果は、このふたりの成績表は「優」であったが、I君は何故か「良」であったことが、今もって理解に苦しむと笑わせた。

 各人、外観は大なり小なり経年劣化は見られるものの、話し振り・笑い顔・豪放さ・繊細さ・大雑把さ・几帳面さ・声の大きさ・酒量までが昔の印象のまま熟成している。半数はまだ現役のリーダー、あと半数も地域社会・ボランティア等の要職や、待ち遠しかった趣味の世界で自己実現に余念はない。

 幹事の肝いりで、広島の新鮮な活魚料理と銘酒であったようだが、友の顔ばかり見ていたので、何を食べ何を飲んだのか正直言って全く記憶にない。と言うほど楽しくも懐かしい同窓会であった。
   (写真は、岩国から望む広島) 

近所付き合い

2005年01月30日 | 生活・ニュース
 長い間留守にしていた故郷に戻ってきて丸5年が過ぎた。家の前を通る人の顔は大体分かるようになり、言葉を交わす人も徐々に増えてきた。

 春夏秋と、我が家の狭い菜園には、妻のおかげで量は少ないが折々の野菜が収穫できるようになった。

 まだ名前までは知らない近所の人に、サツマイモ・玉ねぎ・大根・いちご・なすび・きゅうり・じゃがいも等を少し差し上げることも出来た。

 後日その人たちから、色々な形でのお返しを頂いた。我が家で作らなかった野菜の数々に、ゆず・花・竹の子・栗・煮しめ・手作りケーキ、極めつけは妻が留守の日の昼食の五目飯まで頂いた。

 通りに面した庭には、手作りのテーブルと椅子がパラソルの下にいつも用意してある。時折、通りかかったその人たちがぶらり立ち寄ってくれる。

 妻が淹れてくれたコーヒーを飲みながら四方山話をしていると、冬なのに暖かい空気の中で生きていることを実感する。
    (写真は、手作りのガーデンテーブル)

変化対応

2005年01月29日 | 生活・ニュース
 NHKの新会長が、01年技術局長に就任した時のスピーチに、理科系らしくダーウィンの言葉を引用したという記事が載っていた。

 「生き延びる者は、力ある者でも頭が良い者でもなく、周りの変化に対応して自ら変化できるもの」と書いてある。

 カメレオンやカレイは周囲の色に、自分の体の色を瞬時に変える。究極は昆虫の擬態だ。コノハムシは木の葉に、カレエダカマキリは枯れ枝に、長年かけて自らを変身させて生き延びてきた。

 今、世の中は大きな変化を何度も繰り返している。技術の世界は言うに及ばずも、世の中の古い仕組みは根底から変わろうとしている。

 その変化に追従できない人・組織と、率先して変化に対応していこうとするものがいる。一方は滅び、一方は栄えていく。

 昨日のやり方が明日も通用するとは限らない。いつも周りに気を配り、その変化を敏感に感じ取り、自らを変えていかなければ生き延びることは出来ない。老若ではなく、身体も頭も柔軟性・感性が要求される。

 ダーウィンが書いた昆虫の話は、実は、我々人類の話だったのかもしれない。
 (写真は、コノハムシ:KEN BLOG 04.04.29「生物の遺伝的進化」より)

投資回収

2005年01月28日 | 季節・自然・植物
 亡き親父が建てた家が老朽化したので解体した。数十坪の屋敷は駐車場とバラ園、それに生活の糧を期待させる菜園にすることにした。

 地面が少し低いので、質のいい真砂土を入れてもらった。整地が終わり、しばらく置いておくと、地盤も落ち着いてきた。

 いよいよ菜園作りだ。耕して肥料を混ぜ込み、畝を作る段取りに入った。納屋にあった四つ鍬を持ち出し、真砂土に向かって力いっぱい振り下ろした。

 しかし、全く鍬が入らない。表面を掻くだけで耕すまでに至らない。この調子だと、20坪の菜園を耕し終えるには、時間もさることながら、それ以前に身体がもたないことが分かった。

 その日の午後、妻と一緒に真っ直ぐに向かった先は、農機具販売店であった。耕耘機の一番小さくかわいいものを、大型投資だが購入した。

 それからというもの、夢のように楽な農作業の日々となった。遊び半分で耕すことが出来る。その結果、素人ながらも思った以上に色々な野菜が収穫できた。新鮮でおいしく、その上楽しい。

 しかし投資回収は、生きているうちに出来るかどうかはなはだ疑問である。
   (写真は、愛用の「ミニ耕運機」)

自分の器

2005年01月27日 | 生活・ニュース
 朝9時半、私は車で小路から、手押し信号機のある国道に出ようとタイミングを見計らっていた。対面には国道に向かって踏切がある。

 踏切から国道までは、軽自動車2台がやっと納まるくらいのスペースしかない。そこには既に1台の大きなワゴン車がこちらを向いて止まっていた。その後ろに、軽が止まった。最後部が踏み切りの中に入った状態だ。

 案の定、警報機が鳴り始めた。ジーゼルカーが遠くに現れた。軽の運転手はまだ乗ったままだ。遮断機が軽の屋根に下りてきた。

 だんだん近づいてくる。運転手はやっと降りた。「もうだめだ」と思った瞬間「ガシャン」。ジーゼルカーは軽の最後部に激突した。車はへこんで真横を向いた。運転手は、間一髪怪我はなく無事で
あった。

 踏み切りを渡る時のイロハが守られていない、全く初歩的なミスによる事故であった。運転手は自分の大きさが全く理解できていない。

 そう言えば私も、自分自身の器の大きさも知らずに、よく飛び掛っていったことがあったなと、今になって少し反省する。残念!!
    (写真は、事故のあった「踏み切り」)