写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

「うそも方便」

2009年06月30日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 犬を連れて公園を散歩していると、幼い赤ちゃんを抱いたお母さんが寄ってきた。「男の子ですね」「いいえ、女の子なんですよぉ」「……」。

 またある時、年配の男が話しかけてきた。「お元気そうですね。おいくつですか」「どれくらいに見える?」「85歳?」「75じゃ」「……」。

 何れの会話も少し気まずい時間が流れた。赤ちゃんと出会った時には、女の子ですかと聞け、年を当てる時には若く言えというが、とっさの時に出来ない。

 「正直に生きろ」と子供には教えてきた。正直だけではうまく生きてゆけないことが最近多くなった。
  (2009.06.30 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
  (写真は、うそが言えない「ハートリー」)

晩婚の勧め?

2009年06月27日 | 生活・ニュース
 朝方、突然大きなサイレンを鳴らして救急車が家のそばを通り、裏の団地に走って行った。老老介護をしている家の前に止まった。

 こんな光景を見ると、将来わが家ではどんなことになるのだろうかと考えさせられる。核家族が増えている今は高齢夫婦の「老老介護」は多い。看る力がなくなってくるころに肉体的な力仕事を強いられるという厳しい現実がある。
 
 先日の読者投稿に、70歳の娘が91歳の母を頑張って介護している話があった。70歳ともなると自らが介護されている人も多い。そんな年齢でなお親の介護をしなければいけないとは、老老介護に匹敵する大変な苦労を想像する。

 子が70歳を超えると親子の間といっても老老介護である。こんなことを考えると、早く結婚して若くして子どもを産むということは、老後の介護のことを考えるとあまり良いことでないかもしれない。
 
 老後、しっかりと子に面倒をみてもらおうと思えば、年を取って産んだ方がいいということになるのか。いや、そんなことよりも本当は、介護者も自立した自分の人生を歩むことができるような社会制度の充実こそが望ましい。

 ところでこの文を書く時、パソコンで「老老介護」と打とうとすると、その都度「朗々介護」と出てくるのは、明るく朗らかに介護をしなさいよとパソコンに諭されているのだろうか。悩ましい話だが、つい笑ってしまう。
  (2009.06.27 毎日新聞「男の気持ち」掲載)
(写真は、アユ掛けで賑わう24日の「錦帯橋」)

微調整

2009年06月26日 | 木工・細工・DIY
 5年前に錦帯橋の河原で開催されたフリーマーケットで、2000円を出して古い柱時計を買って帰った。

 分解し、浴びるほどの油を差してダイニングルームの壁に掛けてやると、きちんと時を刻むようになった。 

 「カチカチという音が、やかましいわね」との一言で、あえなく納戸の奥で横になることとなった。

 今年になって私の書斎を2階の子供部屋に移したのを機会に、そっとこの柱時計を取り出して掛けていた。

 パソコンの前に座って仕事をしていても、カッチカッチというスローテンポの規則正しい音が小川のせせらぎを聞くようで心地よい。

 国道の近くに住んでいるが、柱時計の音のお陰で車の騒音があまり気にならない。単調な2拍子の音につられて、パソコンのキーを打つようなこともある。

 ところが一つ気になることが起きた。パソコンの画面の右下には、いつも正確な時刻がデジタル表示されている。

 柱時計が時を打つとき必ずパソコンの表示と比べるようになった。少しでも柱時計が狂っていると、振り子の下に付いているネジを回して調整したくなる。

 早めるようにしたり遅らせるようにしたり。こんなことを2週間も繰り返しただろうか。最後のころには、ネジを8分の1周位回すか回さないほどの微調整であった。

 その結果、今の状態はぴったしカンカン。クオーツ時計に匹敵するほどの正確さとなっている。1ヵ月間でどれくらいの誤差が出るのか。そんな精度にまでなっている。

 しかし所詮は、機械式時計の宿命。誤差は必ず出る。そこが人間臭くていいともいえる。季節の気温の変化にも当然影響を受けるだろう。

 こんな柱時計の音を聞いていると、生き物と一緒にいるような錯覚を覚える。いつも気にしてやらなければうまく動いてくれない。何かに似ていて面倒なやつだが、それがまたいい。
  (写真は、微調整で精度が向上した「柱時計」)

ホッと らいん

2009年06月25日 | 生活・ニュース
 高齢者へのボランティアを始めて4年が経った。その間、私が担当している地域で残念ながら2人の孤独死に遭った。

 未然に防ぐ方法、もしくは早期発見の策はないものか。先日テレビで静岡の朝日新聞の販売店が、配達する新聞がたまっている場合には、予め登録してもらっていたところに連絡をし、救助するシステムを運用し効果を上げていることを知った。

 「これだ!」。さっそく岩国駅前にある中国新聞の販売所に出かけた。「中国新聞でもやっています」と所長は即座に言い、パンフレットを見せてくれた。

 「中国新聞岩国営業所では、お一人暮らしの方、高齢者の方、障害のある方を対象に『ホッとらいん』サービスを開始いたしました。ご登録いただいたお宅の、新聞受けに前日配達した新聞(最長3日)がそのままになっていれば、予めお聞きした連絡先に中国新聞営業所より、ご連絡を差し上げるシステムです」とある。

 パンフレットは、登録事項を書き込むようになっている。すでに運用しているという。しかし、登録している人はわずか3人だという。少なすぎる訳は、購読者が知らないし、積極的に知らせてもいない。

 広告に出すでもなく、福祉ボランティアにPRするでもなく、知る人ぞ知るだけの現状だ。早速パンフレットのコピーを後日50枚もらうよう頼んで別れた。 

 これは登録した人の役に立つばかりではなく、新聞社にとっても拡販や購読離れを防ぐことにもつながり、いいことずくめだと思うがどうだろう。

 来週あたりからコピーをもって、独り暮らしの家を回ってみよう。それと同時に、新聞紙上でもこのことを記事として取り上げるよう働き掛けてみたい。

 孤独死なんていうさみしい記事を見ないためにも、これは大変いいことだ。ボランティア仲間にも教えてもっと広げていきたい。
(写真は、中国新聞販売所が実施している「ホッと らいん」)

邸宅美術館

2009年06月24日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 6月11日から14日まで、シンフォニア岩国で「岩国絵画クラブ」が主催する第38回「岩国絵画クラブ展」が開催された。

 幼馴染の同級生2人がこの会に入っており、活躍していることは知っていた。「機会があればお出かけください」と書いた案内状をもらっていた。

 奥さんと二人でこれを見に出かけてみた。小さなものから、人の背丈ほどのものまでいろいろな大きさの力作がたくさん飾られている。

 絵画旅行というのだろうか、尾道まで出かけ、各人が好みの画題を見つけて書いているものもある。

 どの作品を見ても我が家の部屋に飾っておきたくなるようなものばかり。どのくらいの時間をかけて描いたのだろう。油絵具はどのくらいの費用がかかるのだろう。そんなことばかりを思いながら時間をかけて見て回った。

 数日後、この展示会に出品していた同級生のS婦人が庭のバラを見に立ち寄ってくれた。「『5月の昼下がり』というあの絵は、水面が本当に静かに波打って見えたよ」と言うと、「ほめてもらうと嬉しいわ」と謙虚である。

 「あんな絵を部屋に飾って眺めてみたい」と言うや「飾ってください」と嬉しい返事。2日後にはその絵を届けてくれた。

 絵と言ってもただの絵ではない。S婦人が描いた絵は、過去に東京・上野の森美術館で展示されたり表彰されたりしている。

 そんな人が描いた絵を我が家で飾るなんて、思ってもみないことにびっくりするやら嬉しいやら。絵の大きさは20号。73cmの正方形のものである。

 10畳の居間の壁に掛けてみた。うん、ちょうどいい。部屋の格が上がリ、安普請の我が家がたちまち邸宅美術館になった。

 部屋に本物の絵があると、いいことはよく分かった。将来のお宝候補のこの絵を毎日1度は眺め「買えば高いのだろうな」と、ひとり値踏みしている6月の昼下がりである。
  (写真は、S婦人が描いた油絵「5月の昼下がり」)