写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

東京の松陰神社

2019年11月30日 | 旅・スポット・行事
 危ぶまれていた天候であったが、割と穏やかな日に恵まれて2泊3日の東京の旅を無事に終えて帰ってきた。6年ぶりの東京は、オリンピックを目前にして、大きく変貌していることにまずは驚いた。そんな外観の変貌とは無縁なところを訪れてみた。息子の家がある世田谷区・若林にある「松陰神社」である。

 社はこんもりとした森の中に鎮座していて、鳥居の横に神社の説明板が建ててある。
 「松陰先生は幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育した。しかし安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死した。
 その4年後の1863年に、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文などによって、当時長州藩主毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬された。
 1882年(明治15年)11月、松陰先生門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り神社が創建された」と書いてある。

 松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれている。鳥居は木戸孝正が寄進した。若林では「萩・世田谷幕末維新祭り」を毎年町を挙げて開催しているという。

 郷里を遠く離れたこんなところで、松陰が神社として祀られていることが、山口県人として嬉しく感じられた。しかも、毛利藩主の所領にである。訪れた日は、ちょうど七五三のお参りの日に当たり、着物姿の可愛い子供が手を引かれて大勢参っていた。この神社では松陰は「学問の神様」と崇められているようであった。

 これもよかろう。時代は巡り今は令和。まさに明治は遠くなりにけりである。

リメイク クリスマスリース

2019年11月30日 | 季節・自然・植物
 街を歩いても店に入っても、クリスマスツリーなどが飾られ始めている。私はクリスチャンではないが、かといって必ずしも敬虔な仏教徒でもないせいか、この季節少し心がウキウキしてきて、曲に合わせて歌を口ずさむようなことがある。

 毎年11月も終わろうとする頃に、クリスマスに向けて2階の小窓にイルミネーションを取り付けて、通りに少しばかり華やかさを演出する。そしてもうひとつ、玄関の外壁にクリスマスリースを飾る。今日、そのクリスマスリースを取り出してみた。

 毎年少しずつ手直しはして来たものの、大分くたびれている。思いきって、直径が50cmの円環状のツルだけ残して、リメイクすることにした。銀色のスプレーをかけた10個ばかりの松ぼっくりの配置を変える。プラスチック製の真っ赤なリンゴも配置換えする。きらきら光る金と銀のモールと真っ赤なリボンをツルに巻き付けると、一応クリスマスリースらしいものが出来上がった。

 壁に飾って眺めてみるが、何か一つもの足らない気がする。クリスマスカラーと言えば、赤・白・緑であるが、そういえば肝心な緑色をしたものがない。そうだ、緑と言えばヒイラギの葉である。早速、庭の片隅に植えているヒイラギの小枝を10本ばかり切り取って飾り付けてみた。

 棘のあるヒイラギの葉は「魔除け」を意味し、日本のお正月のしめ縄と同じような意味合いを持っているようである。リースとは英語で「wreath」と書き、「花輪、花冠、冠、輪状のもの」という意味がある。輪は「永遠」「新年の幸福を祈る飾り」を表わし、ヒイラギなどの常緑樹を飾るのは「農作物の繁栄」を表すともいう。

 キリスト教であろうが仏教であろうが、人間が望んでいることに大きな違いはなさそうである。ここは心を広く持って、この季節だけクリスチャンもどきを楽しみたい。


ちょっと ひとっ飛び

2019年11月24日 | 旅・スポット・行事
 3か月前に突然、東京にいる長男から「家を買ったので引越しをする」との電話がかかってきた。思い起こしてみると、私が家を建てたのは、47歳の時だった。ちょうど同じ年に長男も家を持つことにしたことが、偶然なのか感慨深い。

 そして今日、その家を見に奥さんと東京に出かけることにした。6年ぶりの「東京」である。買ったという家は、三軒茶屋駅に近いところだというが、どんなところかは全く知識はない。

 朝一番の飛行機に乗るので9時には羽田に着く旨を嫁に告げると、羽田まで車で迎えに来てくれるという。家を見せてもらった後、どこかでランチを共にした後は、自由行動させてもらうようにした。

 20年前までの10年間、横浜市の横須賀線・東戸塚駅の近くに住んでいた。久しぶりに住んでいたあたりを歩いてみたい。毎朝、新橋駅まで乗った横須賀線にも乗って、沿線の最近の変わりようも見てみたい。

 公私とも、いろいろあった10年間を懐古する2泊3日の旅に出かける。果たしてどんなブログネタが待ってくれているか、楽しみだ。




 

100円時計

2019年11月22日 | 生活・ニュース
 菜園に掛け時計を取り付けようと100円ショップに出かけた。直径が20cm余りのクオーツ掛け時計があった。針を動かすムーブメントはもちろん「MADE IN CHINA」。「たとえ直ぐに壊れたとしても、たかが100円だ」と思い買って帰った。

 西日が当たる小屋の軒下に掛けておいた。翌日見ると数時間も遅れている。中国製だから、こんなこともあるのだろうと思い、しばらく放っておいた。それでもやっぱり気になって、外してじっくりと観察してみると、秒針が長針に引っかかり、ぴくりぴくりと前に進めずもがいている。薄い樹脂製のシートで作られた文字盤が歪んで波打ち、針が引っかかって動けないことが分かった。

 「100円ショップで買ったものだ。直ぐに壊れて当たり前。安物買いのゼニ失いということだろう」と高をくくっていたものの、ドライバーを持ち出して文字盤とムーブメントをばらし、 文字盤を取り外してケースに直接ペンキで文字を書きつけ、不用な秒針は撤去して組み立て直した。

 10分後、順調に動いている。1時間後も順調。夕方見てもちゃんと正確に動いている。丸1日後も、正確に時を刻んでいる。100円時計だと思ってバカにしていたが、きちんと手当してやれば高価なクオーツ時計と同じように正確に時を刻んでくれ始めた。100円時計だといって侮るなかれ、バカにして申し訳なかった。安物の時計が急に愛おしく感じられてきた。

 100円ショップの商品を使っていて、感心するようなものは沢山ある。ペンチなどの工具類、ハサミ、画用紙やコピー紙、封筒など、生活防衛の品はまだありそうだ。ここで私の格言、一手間加えてやれば「価格は体を表さない、ものもある」ということか。

好事魔多し

2019年11月21日 | 生活・ニュース
 「安倍首相 最長2887日 在籍日数 桂太郎を抜く」という見出しが、20日の新聞の一面を飾っている。[憲政史上最長となった。第2次内閣の発足から約6年11カ月の間、安倍のミックス三本の矢を実行、冷え込んでいた米国との関係を改善し、安定政権の基盤を固めた]と書いてある。

 悲願の憲法改正論議は、野党の賛同を得られず停滞。目下足元では国費を使った「桜を見る会」では批判の矢面に立たされている。野党からは「遺産も成果もない長期政権と言わざるを得ない」と冷たく突き放されている。

 最近の安倍内閣は、長期政権の弊害が指摘される場面が増えている。学校法人「森友学園」への国有地払い下げでは、政治の関与や官僚の忖度が行政の公平性をゆがめた可能性がある。「加計学園」の件では、十分な調査もせずに幕引きをはかるような姿勢で通している。そして今度は首相主催の「桜を見る会」での選挙区民への寄付禁止に違反しているのではないかという問題である。

 一強独裁的な安倍首相は、長期政権に胡坐をかいているうち「長期」というだけで水は濁っていく。「好事魔多し」とはこのことであろう。良いことが続いているからといって有頂天になってはいけないという戒めの言葉である。

 しかし首相といっても一人の人間である。仏教では「業(ごう)」という言葉がある。人として生まれついて、不合理であるとわかっていても、往々にして行なってしまう行為がある。安倍首相はまさにこの業に陥っている状況であろう。月に叢雲、花に風の例えもある。
 
 組織の長は、自分の判断であらかじめ任期を決めておき、周囲のものに「まだまだ続けて下さい」と言われても引き際を間違えないようにしなければ、まさに「晩節を汚す」人を、今まで何人も見てきたような気がするがどうだろう。