今朝は今年一番の寒波がやってきて、ことのほか寒い朝であった。74年前の今日、私は中国の大連という町で生まれた。父が満州鉄道で働いていたので、その社宅で産湯を使ったという。終戦後に引き揚げて帰るまでの5年間をこの町で過ごした。大人になってからも誕生日を迎えるたびに何度となく母は「友ちゃんは凍るような寒い日に生まれたのよ」と言っていた。
子どものころは、そんな寒さを感じることなく生活していたが、今思うと大変な寒さであったことがよく分かる。社宅はレンガ作りの2階建てで、窓はすべて2重窓、床下暖房のオンドルが設置されていて家の中はどこにいても暖かい。しかし一歩外に出ると厳しい寒さであったようだ。自宅から少し離れた社宅の共同風呂に行っての帰り道、ほんの数分の間で、濡れたタオルはカチカチに凍って硬い棒のようになった。鼻水でも出そうものなら容赦なく凍る。
野菜などの保管も屋外に置いておくと冷凍食品となり、ニンジンなどは凍ったものをかじった覚えがある。部屋の2重窓から外を見ると、外側のガラスにはきれいな雪の結晶が張りついていたことも記憶に残っている。母が亡くなった後も、誕生日にはいつものことながら、そんな断片的な記憶を思いだすのが常である。
大人になってから「あなたの出身地はどこですか」と聞かれたことが何度もあった。ついこの間までは「生まれは中国の大連というところですが、物心がついて育ったのは岩国です」と答えていた。「出身地」という言葉の意味をはっきりと理解していなかったからであった。
法律用語である「出生地」が生まれたところであるのに対して、「出身地」の定義はあいまいで、一般的な意味合いとして「幼少期の自分の人格形成に最も影響を与えた考えられる土地」という考え方である。これに従えば、「幼少期を過ごしたところ」や「思春期までの人格形成の基礎となっているところ」「初等教育を受けたところ」などが出身地となるようである。 それであれば私の「出身地」は、ここ岩国ということになる。
そんなことを思いながら、このブログを書いている時、買い物から帰って来た奥さんが「今日はお父さんの誕生日だから、小さかったけど天然物のうなぎがあったから買って来たわよ。それに赤ワインも」と言いながら荷物を置いた。今夜は、我が家なりの弾んだ「晩さん」が待たれる。窓からは明るい陽が差しているが、時おり強風がすっかり葉を落としたハナミズキの小枝を揺るがしている寒い誕生日である。
古希も過ぎ 嬉しくもない 誕生日 (茅野友)