写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

戦いすんで…

2014年11月30日 | 岩国検定

 「11月30日」、この1年間、何度この日のことを書いてきただろう。第3回岩国検定を実施した日である。朝起きると、快晴とはいえないが青空が垣間見える。まあいい天気であった。検定実行委員会の会員一同、8時半に試験会場に全員集合。前打ち合わせ通り各人配置につき、9時からの受験生の受付準備を完了した。

 第3回目ともなると受験申込者は漸減し、今回は45名の申込はあったが実受験者は40名であった。岩国市にかかる6分野・全50問は、この1年間知恵を絞り、練りに練ったものである。検定試験を終えて出てくる受験者の何人かに感想を聞いてみた。

 「過去2回の問題に比べるとかなり難しかった」という感想が多かった。その分、平均点は下がっているが、知らなかったことを知ることが出来たと、いい方に解釈してもらうと有難い。

 新聞社も3社取材に来てくれ、そんなこんなの検定試験を、なにはともあれ無事に終えることが出来た。手前味噌ではあるが、実行委員会の会員のこの1年、いやこの5年間の頑張りを高く高く評価したいと思っている。60代後半の女性と70代前半の男性の絶妙な組み合わせの会であった。こんなことをしている5年間に、そうはいっても入院沙汰の会員が3人も出た。目標に立ち向かう気力が勝ったせいであろう、現在3人とも完全復調して、それまで以上に頑張ってもらった。頭が下がる。

 こんなことを書いていると、私はどうしても昔読んだサミエル・ウルマンの詩「青春」を思い出す。
 「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相をいう。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、これを青春という。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。
 歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ」

 この詩からいえば、会員はこの5年間「青春の真っただ中にいた」ということになるが、決して言い過ぎとは思えないのが不思議である。

 さて明日は、受験者に認定証の送付作業が控えている。これを終えれば晴れて検定から解放されることになるが、急に老けこむことがないようにするにはどうすればいいか? 日に3度、サムエル・ウルマンの「青春」を唱えてみる。
唱えるだけではどうもご利益はなさそうだ。ではどうするか。

 やっぱり、何か身体の内から燃えてくるような物を見つけ出すしかなかろう。それは何か。来年はそれを見つける1年とするか。今は燃え尽きた状態の会員諸氏に相談してみよう。ともあれ「戦いすんで日が暮れた。本当に おつかれさまでした!」


何を撮るか

2014年11月29日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 米アカデミー賞受賞作「おくりびと」など数々に名作を手掛けた撮影監督の浜田毅が、紫綬褒章を受章した記事を新聞で読んだ。1951年、北海道生まれ。森崎東や深作欣二ら日本映画界を代表する映画に請われるようになっていたという。

 「映画監督」という言葉はよく目にするが「撮影監督」という言葉はあまり目にしたことがない。一体どんなことをする人か。調べてみると「撮影監督とは、映画の照明と撮影、つまり画面に映る映像すべてにおいて責任を負う人」とある。

 具体的には、撮影作業の中で、カメラを設置し動かす、照明を配置する、映像の構図を求める、レンズを選ぶなどの仕事で、映画の外観に対して責任を負うという点で、撮影監督は映画監督に次ぐ重要性を持つ。

 映画監督が世界的な賞を受賞したという記事は今まで何度も読んだことはあるが、映画監督の影に隠れた存在の撮影監督がこんな立派な賞を受賞したということは大変珍しいのではなかろうか。その浜田毅は「どう撮るかではなく、何を撮るか。全てはそこから始まる」と言っている。

 この言葉は、映画の撮影にとどまらずエッセイを書く上でも同じことである。琴線に触れるような出来ごとに出会ったとき、感動したり共感したりする。それをエッセイにするとき、どういう書き方をするか、どんな起承転結にするか、どんな形容詞を使えばいいのかではなく、何をテーマにして、読んでくれる人に何を伝えたいのかが明快であることが一番大切なことである。

 いいかえれば、文章表現のテクニックのうまい下手の前に、何を伝えたくて書いているのか。その「何を」という取り上げたテーマの良し悪しでそのエッセイの良し悪しの大方は決まる。撮影監督の「何を撮るか」という言葉を読んで、エッセイの書き方のことに思いが至った。


矩(のり)を踰(こ)える

2014年11月27日 | 生活・ニュース

 73と書いて「ななじゅうさん」「しちじゅうさん」と読むほか「ななそじあまりみつ」とも読む。数字に関しては21番目の素数で、73/37のように桁を入れ替えても素数になる。アマチェア無線では、男性に対する別れの挨拶が 73で、女性に対しては 88 と言う。大リーグの年間最多本塁打記録としてバリー・ボンズの73本である。

 今日11月27日は私の誕生日。いつの間にやら満73歳を迎えた。窓ガラスに雪の結晶がへばり着くような厳寒の日、中国・大連で生まれたと母から聞かされていた。身の回りの電器製品や家具などは、傷んだり壊れたら新しいものに買い替える。そんなものに比べると、いろいろ修理しながらも随分長い間何とか生きてきたものだと、我ながら感心している。

 椅子に座り組んでいる足の裏を見た。触ってみると革の鞄のように硬い。これも73年間、遠くはヨーロッパの地にまで出かけて行って使い込んできた足の裏なんだなと、愛しい気持ちになった。こんな中途半端な年ともなると、祝ってくれるような人は誰もいない。自分だけにしか分からないこれまでを顧みて「俺はよく頑張って来たよな」と小さく呟いてみるくらいである。

 論語に「子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」という文句がある。六十までの文句は知っていたが、「七十にして…」は知らなかった。

 その意味は「70歳になったら自分の心のままに行動しても、人の道を踏み外すことが無くなった」ということだという。さすが孔子さま、という気がするが、さて私はどうだろう。自分の心のままに行動しようとすると、「いやいや、そんなことは止めておいた方がいいよ」とか「またそんなことをして」などと、奥さんや周りの人から諭されたり咎められるようなことは間々ある。

 70歳はとっくに過ぎているのにこのありさま。孔子さまもこんな人のために「七十にして…」を「八十にして…」くらいにしておいてもらわないと、70歳くらいではまだまだ矩を踰えてばかりである。


落葉日

2014年11月26日 | 季節・自然・植物

 ダイニングのテーブルでパソコンに向かっているとき、小休止で窓の外に目をやった。近くの家の屋根の向こうに、こんもりとした山の緑が見える。その中で一か所、色鮮やかな紅葉がひと際目を引いた。そういえば風呂に入った時、窓の外に植えてあるブルーベリーも今が紅葉の真っ盛りである。家の中から、居ながらにしての紅葉見物が出来ている。

 そんな日の夕方、テレビのニュースで初めて聞く言葉が聞こえてきた。「広島の街路樹のイチョウの木は、今日が落葉日で平年と同じ日でした」と言っている。「なになに、落葉日だと?」。桜の「開花日」は毎年「開花宣言」というような形でよく聞くが、「イチョウの落葉日」なんぞ初めて聞く言葉であった。

 調べてみると、イチョウの葉は、ある日短時間の内に、申し合わせたように一斉に散ってしまうと書いてある。短い時には2時間位で木が真っ裸になることもあるようだが、普通は1日でほぼ全部の葉が落ちてしまうという。その散り方は、黄金色の雪が舞っては止み、舞っては止みという感じで、とても風情ある光景のようだが、残念ながら今までそんな光景に出くわしたことはない。

 イチョウでは葉芽がほぼ同時に形成され揃って成長し、それぞれの葉の寿命は同じで一斉に散るようだが、それにしても時間単位の差で一斉に散るとは、まか不思議な現象である。一斉に散るといえば、これまた桜の花を思い浮かべるが、イチョウも一斉に散るという美学を備えていることを知った。

 ときまさに衆議院議員選挙へ突入の直前。解散の大義がありやなしやと世間の声がかまびすしい中での選挙であるが、この際イチョウの潔い散り方を学んでほしい議員もいるのではないか。衆議院議員の立候補者にとっては「落葉日」が「落選日」とならないよう常日頃から頑張ってほしいものである。イチョウの「落葉日」のニュースを聞きながら、現実のそんなことに思いが至った。


いざ岩国検定へ

2014年11月24日 | 岩国検定

 今年の初めから準備を進めてきた岩国検定も、5日後の11月30日に開催するところまで、こぎ着けてきた。「思えば遠くへ来たもんだ」という歌の文句があるが、5年前に発足させた検定も、今回で3回目を迎える。

 今年は50問を作成する仕事に加えて、2年前に出版した「いわくに通になろう」という受験用のテキストブックを、9月1日にCD版に変えて出版した。中身はパソコンの画面で読むか、プリントアウトして読むしかできないものであるが、これを読んでもらった上で多くの皆さんに受験していただくことを密かに期待していた。

 さてその結果はというと、受験申込者は46名、CDの売り上げはちょうど80枚であった。2年前に出したテキストブックはあっという間に400冊売れたので、今回のCDと合わせて、480人もの人が「いわくに通になろう」を読んでいただいたということになる。ありがたくも大変嬉しい限りである。

 受験者数は第1回目が91名、第2回目が74名、そして今回が46名と漸減しているが、これは止むをえまい。どこの地域の検定もこのような傾向をたどっているが、ご当地検定というものは、毎年やるものではなく、5年おきくらいか、世代が変わった時に1度やるくらいがいいように感じている。

 岩国検定も、このたびの第3回が済んだ辺りで小休止することを検討しているが、テキストブックだけは市民のみなさんが岩国のことを知るための良い参考書になるよう、今後とも改訂してブラシュアップしていきたいと考えている。

 先日、50問でA4用紙9ページになる問題用紙の印刷を終えた。これで試験当日の準備体制はすべて完了。あとは当日朝、試験会場へ全会員が遅れることなく「いざ鎌倉へ」ならぬ「いざ岩国短大へ」馳せ参じるばかりとなった。受験申し込みされた皆さん、もう一度テキストに目を通した上、十分に寒さ対策をして遅刻することなくお出かけください。楽しくも意外な問題が、手ぐすね引いて待っています。会員一同、ご健闘を願っています。