写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

生パスタ会

2015年09月28日 | 食事・食べ物・飲み物

 秋晴れの日曜日の朝10時、5人の仲間が、それぞれが何か口に入るものを持ってやって来た。2週間前に、 生パスタを作って食べてもらう会を開催することを約束していた。メンバーは知り合いの女性3名と時遊塾の男性2名と我が夫婦の総勢7名である。

 ひょんなことで、我が家に生パスタを作る器械があることを話したことをきっかけに「いつかやって見せて下さい」という要請に応えることになっていた。前日、数年ぶりに器械を取り出して問題のないことを確認して置くやら、レシピの再確認、材料の調達をしておいた。

 勢揃いした後、裏庭でいよいよ生パスタ作りの開始だ。粉を扱う作業は屋外に限る。部屋の中でやると部屋中が真っ白になって後始末が大変だから。2人前の材料は、強力粉に薄力粉を混ぜて250グラム、これをボウルに入れて卵を2個、オリーブオイル大さじ3杯と塩を少々入れてよく練ったあと10分間寝かせる。この要領で7人分を作った。

 このあとは製麺である。イタリア・アンピア製のパスタマシンをテーブルに固定し、まずは寝かしておいたものを包丁で小分けしてパスタマシンのローラーに掛けて薄く伸ばしたあと、今度は異なるローラーに掛けて細い麺にしていく。卵の黄身の美しい色をした麺が面白いようににゅるにゅると出てくる。あっという間に製麺が完了する。

 それまでが男の仕事で、後は女性陣が茹でた後、頃よく温めて置いた市販のパスタソースをかければもう出来上がり。「生パスタって初めてだけど、こんなに簡単に作れておいしいっ」と言いながら11時半に早めのランチとなった。女性陣だけは左手に缶ビール。男性は車で来ているのでアルコール抜きという逆転現象もたまにはいい。

 ランチのあとはみなさん持参のケーキやお団子、手作りのシュークリームと食べるものばかりであったが、この会、なんと夕方5時まで続いた。延々と7時間、秋の爽やかな風がそよぐ庭で、久しぶりに話に花が咲いた午後であった。
  

 


新史跡発見

2015年09月21日 | 四境の役

 「四境の役」の電子版冊子を発行したことを新聞で見た人から、読んでみたいという電話を沢山いただいている。年配者が多く、パソコンを持っていない人からの申し込みが5人もあったが、こればっかりはどうしようもなく「残念ですが送れませんね」といってお断りしている。

 いずれの人も何らかの縁で、四境の役についてもっと知りたいという意欲あふれる人ばかりである。パソコンを持っていないお婆ちゃんからの電話で「先祖が四境の役で戦ったと聞いている。私の住んでいる近くにある弥勒寺というお寺に、彦根藩の戦士の墓があります。これご存知ですか」と聞いてきた。

 そんな史跡があるなんて書いてあるものは見たことがない。その日の午後、早速その弥勒寺とやらを目指して自転車で出かけてみた。場所は岩国市と和木町の境に近い装束という町の山の中腹にある。麓に自転車を置いて、車が1台通れるくらいの急な坂道を登っていくと、大きなお寺が見えてくる。山門も立派で「曹洞宗 弥勒寺」と書いてある。

 本堂の裏手は山の斜面に沿って多くの墓碑が整然と並んでいる。彼岸を前に墓参りをしている女性がいた。辺りを見回しても彦根藩士の墓らしいものは見当たらない。墓参りしている女性に尋ねてみると、「それかどうか分かりませんが、山門を入った所にあります」といって案内をしてくれた。

 「
彦根戦士の塚」と書いた案内板のそばに石碑があった。案内板には「慶応2年(1866年)6月、四境の役・大竹口の戦いにて安芸の国・油見村において装束農民団兵・柏屋寿三郎に討ち取られた彦根藩士・只木小五郎(当時29歳)の首級は、時の村役人嘉屋慶太郎によって当寺に懇ろに葬られ、この碑が建立された。(中略)爾来星霜120余年、塚は昭和20年秋の風水害によって流され損じたが、苔むした碑面に残る文字が、今も昔を物語っている(慶応四戊辰暦 嘉屋慶太郎武重建立)」と書いてある。
 
 こんな所に、日の目を見ていない四境の役の埋もれた史跡があった。私にとっては大発見、電話してきたお婆ちゃんのお陰で、作った冊子に新しい史跡情報が1項目増えた。めでたしめでたしの一幕。



遅ればせながら…

2015年09月18日 | 四境の役

 昼前、電話が鳴った。「Y新聞社の○○と申しますが……」と言って取材の申し込みがあった。先日、「四境の役」の冊子の電子版を発行したことを、T新聞が記事として掲載してくれた。反響としては、23名の人からメールで送信して欲しいとの依頼があった。遅ればせながら、その件で取材したいという電話であった。

 「いつ伺えばよろしいでしょうか?」「暇を持て余していますので、いつでもどうぞ」と言うと「では早速ですが今日の午後1時に伺います」ということになった。昼食もそこそこに、汚している応接間を片付けたり、奥さんは掃除機をかけたりの大騒ぎ。それが終わった頃、ピンポ~ンとインターホンが鳴り記者が訪れた。

 冊子を作った動機、読者に期待すること、書いている内容などの質問に答える。ひと通り話が終わった後「写真を撮らせて下さい」とのリクエストで、私が手作りした「四境の役」の冊子を持って写真を撮ってもらったが、何枚撮ってもOKが出ない。「ちょっと窓に向かって座ってみて下さい。顔の半分が暗く写りますので」との指示で座っている席をかえて何枚か撮って、やっとOKが出た。

 T社に写真を撮ってもらう時「少し笑って下さい」と言われた。こんな年寄りが真面目な顔をすると怒ったように見えるからであろう。それもあってY社のときには、言われる前から笑顔にしていたが、バシャバシャと何枚も時間をかけて撮ってもらっている内には、笑ったつもりの笑顔も、引きつったぎこちない顔になってしまう。「顔にはモザイクをかけて冊子だけをはっきりと写して下さい」と言いながら、何とか写真撮影は終わった。

 雑談を含めて1時間余りの取材であった。帰りがけ、「記事を書く時の参考に、この冊子を貸して下さい」といって、手作りの1冊を持って帰った。さて今度はどんな記事と写真になるのやら。そして、どのくらいの反響があるのやら、楽しみが増えた。


忍び足

2015年09月17日 | 生活・ニュース

 少しでも運動不足を解消しようと思い、車には乗らず久しぶりに自転車に乗って遠くまで出かけてみた。と言っても高が7km離れた和木町までの話である。出かける前に前後のタイヤに空気を十分に入れて出発した。

 10分ばかり走ると山陰に潮遊池がある。子どもの頃「お米を買ってきて」と母から頼まれた時、歩いて来たお米屋のあった辺りである。岸に近い水の中に、大きなサギが膝下まで水に浸かった状態で立っているのが見えた。きれいな鳥だったのでデジカメを取り出して写していると、スローモーションのようにゆっくりと歩き始めた。

 その歩き方が面白い。まさに「抜き足差し足忍び足」状態で、忍び足をした後、膝を折って体を水面すれすれまで低くした。数十センチ先の水面が小さく波打っている。獲物が泳いでいるのだろう。サギは一心不乱にじっとその辺りを見つめたままで体をぴくとも動かさない。

 今か今かとシャッターチャンスを逃すまいと思い待っているが、姿勢を低くしているだけで一向に飛びかかる気配がないまま、サギは忍び足以前の姿勢に戻った。結構な時間、必死でカメラを構えていたが、シャッターチャンスは見事に空振りに終わった。ここはサギに騙されたのだから、「サギに合ったようなもんだ」と言うしかない。

 ところでこのサギが獲物を狙った時の歩き方。まったく「抜き足差し足忍び足」そのものである。忍び足とは、「人目を忍んでそっと歩く」ことをいうが、「忍ぶ」といえば「忍び逢い」「忍び声」「忍び男に忍び女」「忍び歩き」「忍び宿」などと、世を忍ぶ場面に使われることばかり。

 そういえば若かりし頃、忍び足でよく駅前の繁華街を徘徊したように思うが、忍んだ割には「昨晩見かけましたよ」と、翌日人から言われることが多かった。忍んでいたつもりが、全く忍ばれていなかったあの頃のことを、秋の柔らかな日差しを浴びながらひとり偲んでいる。
 


畑のノウハウ

2015年09月16日 | 生活・ニュース

 すっかり涼しくなった。夕方の散歩に出る時間も早くなり、今日は5時きっかりに西に向かって家を出た。自転車で家路を急ぐ女学生に何人も出会う。どの子も、自転車をこぐ速度は私の倍くらい早い。若い力の素晴らしさに圧倒される。

 昔からの民家が並ぶ小道で、道を挟んだ所に菜園がある。顔見知りのお婆ちゃんが同居している娘さんと畑仕事をしているところであった。「相変わらずお元気ですね」と言おうと思った時「お元気そうですねえ」と先に声をかけられた。私が子どものころから知っているお婆ちゃんである。娘さんといっても50歳くらいであるが、笑いながら「喧嘩しながら仕事をしています」とこぼす。

 「喧嘩するほど仲が良いと言いますからね」と言葉を返した。畑を見ると、きれいに畝が作ってある。その畝の真ん中に、竹箒に束ねてあるような細い竹の小枝が数本ずつ並べてある。一体何のために置いてあるのか聞いてみると「スズメ対策」だという。

 この時季、何かの種をまいた後、スズメがその上で砂浴びをして種を掘り出してしまう。スズメが砂遊び出来ないように、邪魔なものを置いておくということであった。現代であれば、ネットを張ったりプラスチックフィルムで囲ったりする手もあろうが、昔ながらのこんなやり方があるのを見て心なごむ思いがした。

 「この畑では竹の小枝を並べているが、モミを撒いたりすることもあるよ」と教えてくれる。こんなことは遠い昔からの農家の知恵であろうが、何でもない細い竹の小枝が野菜作りに役立っていた。