写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

初めてのこと

2014年12月26日 | 生活・ニュース

 70年余りも生きていると、日常生活で初めて出会うような出来事や物はほとんどない。子どもの頃は、見るもの聞くことの全てが目新しく、毎日がそれらの知識や体験の積み重ねであったに違いない。長じるに連れて、そんなことが少しずつ減っていき、この年にもなると「そんなことはみんな分かってるよ」状態となり、何を見ても驚くこともなく表情も変化に乏しくなっている。

 そうはいってもこの1年を振り返り、一体どんな初体験があったかを探ってみる。う~ん、なかなか思いつかない。あっ、そうだ。年の初めに北アルプスに行った。真っ白い山の重なった向こうに、槍ヶ岳の尖った頂を見た。写真では何度も見たことのある実物を初めて見た。帰りには白川郷の合掌造りも初めてであった。

 食べものでは何かあっただろうか。これはない。食事はみんなおいしく食べたが、食材として初めて食べたものはないが、料理としては「ラザニア」を食した。平たい板状のパスタを用いた焦げ目を強くしたグラタンのようなものであったがおいしかった。岩国検定は3回目であったが、今回は初めてCDなるものを発売した。販売中は「今日は売れるか、明日は売れるか」と、久しぶりに心ときめく楽しい毎日を過ごした。 

 おっと、、初めての大事な出来事を忘れていた。息子の縁談に伴う、両家の顔合わせ、結納、結婚式があった。9月の半ばであった。遠くにいる息子から電話で「結婚することにした」と聞いた時「そうか、おめでとう。よかったな」と短く答えたことを今思い出している。息子からの初めての結婚決意の報告であった。

 10月には、出来て間もない国立病院へ初めて入院し、私にとっては初めての病名で手術をした。楽しい話ではないが、今どきの病院・入院手術・看護の実情を学んだが、こんな初めては、この先まっぴら御免である。

 振り返ってみたこの1年間、初めて経験して、少し感動したり心ときめかしたり、心を傷めたりしたことは、これくらい。さて来年は、もう少し好奇心をもって積極的に生き、楽しく明るい初めてのことをもっと体験し、驚きや感動のある年にしてみたいと年甲斐もなく考えている。来る年に対してこんな所信を書いたのも初めてか。

 


可愛げ

2014年12月25日 | 生活・ニュース

 新聞の最下段に、腕時計の通信販売の広告が載っていた。「ソーラー発電電波時計CASIO 誤差はなんと10万年に1秒 便利な機能が満載 9,334円(税別)」と目立つように書いてある。

 ソーラー発電電波腕時計といえば、その歴史はそう長くはない。腕時計は単なる機械式のものから振り子で動く自動巻きとなり、1985年ころには高精度のクオーツ時計へと変遷していった。それまでのものに比べると、クオーツ時計の精度は格段によかったが、悲しいかな電池の寿命が尽きて、肝心な時に止まっていることがあった。高額の電池を、1年ごとに取り変えなければいけないという面倒くささもある。

 そんな中、ソーラー発電電波時計という優れものが出現し、興味を引かれて5年前にCASIO製のものを買い求めた。時刻を知るだけであれば、数千円も出せばクオーツ時計があるにもかかわらず、3万円近くを払って買ってみた。4つのボタンを駆使すれば、タイマー、外国の都市の時刻、アラームなどいろいろな機能を発揮するが、そんな使い方はしていない。

 買って以来メインテナンスフリー。何ひとつ面倒をみなくても正確な時を示す。ラジオの時報と同時に、小さな音でピッと正確に時を刻んでくれる。そんな優れものが、たったの9,334円で売り出されている。性能・機能を考えると随分と安くなったものだ。

 ここまで安く手に入り、その上何ら人手を煩わせることもなく、常に優れた性能を発揮するとなると、「優れた愛いやつ」だったものが「可愛げのないやつ」に見えてきた。日本の時計技術の進歩には、ただ頭が下がるが、それにしても誤差が10万年に1秒とは、立派というか、やり過ぎではないか。誤差が1年に10秒くらいあっても良いと思うが、だからと言って価格は下がらないのだろうな。

 いやはや、こんな優れた技術の進歩に対して、何んとも手厳しい評価をしてしまった。いいものはいい。素直に評価し、喜ばなければいけません。そんな私こそ「可愛げのないヤツ」でした。 


岩国検定CD改訂版

2014年12月23日 | 岩国検定

 第3回岩国検定は、11月30日に予定通り終了した。試験に先立って9月から、テキストブック「いわくに通になろう」のCD版を発売した。付録として、第1回と第2回の検定試験問題を掲載しておいた。試験前日までに83枚を買ってもらった。思っていた以上の売り上げであった。

 第3回の検定試験を終えたあと、このたびの試験問題を追加掲載したCDの改訂版を作っておいた。一般に向けて広報するわけでもなく、単に最新版の状態にして手元に置いておこうと思っただけである。そんな先日、見知らぬ人から電話がかかって来た。

 「岩国検定の問題が欲しいのですが、手に入れることはできませんか?」という。岩国在住の若い男性であった。素直に質問に答えればいいようなものだがひとつ聞いてみた。「なぜ、問題が欲しいのですか?」。岩国に長年住んでいながら、岩国のことをよく知らない。遠来の友達を案内して錦帯橋へ行っても、何も説明できない。岩国のことを少し勉強しておこうと思って、と答える。

 「それなら、過去の問題も掲載した『いわくに通になろう』というテキストブックのCDがあります。それを見て下さい」というと、翌日そのCDを買いに我が家までやって来た。真面目そうで明るく応対出来る青年であった。手渡す時、「パソコンの画面で読むのではなく、プリントアウトして本にしておくといいですよ」と言っておいた。

 その翌日、改訂版に載せた第3回の問題の中に、間違ったか所があることが見つかり、この青年にCDを取り換えたい旨の電話を入れておいた。今日、寒い中、自転車に乗ってきてくれた。訂正したCDを渡した時「本文は変わっていないのですか?」と聞いてくる。「本文? ええ、変わっていませんが何か?」「昨日、全部プリントアウトしたところなので…」「本にしたのですね。手に取って読めるのはいいですよね。CD版と同じサイズにですか?」「倍のA4版にしました」「それは大きくて読みやすいですね」。

 そんな会話を残し、青年は何度もお辞儀をして帰っていった。「いわくに通になろう」のファンが又一人増えた。本とCD合わせて500人近くの人の手に渡った。年に1枚でいい。口コミでCDが少しずつでも市民の手に広がって行って欲しい。


朔旦(さくたん)冬至

2014年12月22日 | 季節・自然・植物

 今日12月22日は冬至。北半球において太陽の角度が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなる日だとということは誰もが知っているとおり。夏至と比べると約5時間もの差があり、この日を境に、再び太陽の力が甦ってくるかのように日照時間が長くなっていくので、古くから冬至は太陽が生まれ変わる日とされていた。

 今年の冬至は、例年とは少し様子が違う。19年に1度の、新月と冬至が重なる「朔旦冬至」にあたり、月の復活と太陽の復活が重なる日で、古来大変めでたいとされているという。この年になって、こんな言葉があることを初めて知った。色々な言葉があるものだ。興味を持ってちょっと調べてみた。

 「朔旦冬至」とは、「旧暦の11月1日が冬至に当たる日。19年ごとに1回めぐってくることから吉日とされる」。ちなみに「朔」とは「1.月と太陽との黄経が等しくなる時。月は太陽と同じ方向にあり、地球に暗い半面を見せるので見えない。新月。 2.太陽暦で、月の第1日」。「旦」とは「朝。夜明け」。「朔旦」とは「ついたちの朝。1月1日の朝」のことと書いてある。

 19年前といえば、私は50代のまだ若かりし現役の頃。満員の通勤電車の中で新聞をどこまで丁寧に読んでいたか記憶にないが、朔旦冬至の記事が載っていても、仕事に追われ、生活に追われていたあの頃を思うと、目を通す心の余裕はなかったに違いない。

 今宵、「朔旦冬至」だと思いながら夜空を仰いで見ても、新月では愛でる対象は何もない。とはいいながら、頭上高く冬の大三角形「オリオン座」がひときわ輝いているのが見える。冴え冴えとした冬の夜、他にどんな星座が有るかは知らないが、オリオン座は形が小鼓のようで見つけ易く、子どものころから何度も眺めてきた好きな星座である。

 冬至の日の風習としては、ゆず湯に浸かったり、小豆粥を食べたり、なんきん・レンコン・うどんなどのように「ん」の付く食べ物を食べるなどすると長生き出来るとの伝承がある。今夜は、久しぶりにこのオリオン座を眺めたあと、ゆずは持ち合わせていないので、庭のレモンでも浮かべて風呂に浸かってみよう。レモンは「ん」がつくので風呂でこれをかじれば長生きもできるか。ゆずではないので、やっぱり「ダメヨ ダメダメ」? 


朝湯だ~

2014年12月17日 | 生活・ニュース

 2006.12.05の中国新聞「広場」に「朝寝朝酒、朝湯だ~」という題で、遅く起きた朝、息子が送ってきた生酒を、朝からお猪口1杯飲んだだけでいい気分になり「次は朝湯だ~」と書いたエッセイを掲載してもらった。あれから8年が経った今朝、「おとうさ~ん、お父さんが好きな雪が降っているわよ~」という声が、ベッドの中にいて階下から聞こえてきた。

 起きがけ、カーテンを少し開けて外を見ると、雪が降っているどころではない。家の屋根、塀の上、菜園の野菜の上、郵便受けなど、見るもの全ての上に雪が積もっている。その上になお、西からの風に乗って45度の角度で降り積もりつつある。昨夜のニュースで、全国的に大寒波がやってくるとは聞いていたが、まさにその通りの大雪であった。

 耳を澄ましても国道を走る車の音も聞こえてこない。朝8時、夜は明けているのに聖夜のようにシーンとしている。降る雪は、さらさらとした乾いた粉雪だ。玄関アプローチの、今にも滑りそうなタイルの上を慎重に歩を進めて新聞を取りに出た。久しぶりに踏む雪の感触は快く、少年時代のように心がはしゃぐ。

 「こんな日は、朝風呂だ~」。スイッチを押して5分後、湯船に飛び込んだ。首まで湯につかり、曇った窓を手で拭くと、ブルーベリーの紅葉した葉の上に、雪がふんわりと乗っている。白一色の空間の中で、ひと際赤い葉がより赤く見える。これぞまさに「雪見風呂」の情緒であろう。

 遅く起きた朝、風呂上がりに一杯飲めば、これこそ「朝根朝酒、朝湯が大好きな小原庄助さん」状態である。「♪ はあ~ 会津磐梯山は 宝の山よ~」などと、一節歌いたくもなってきたが、庄助さんとの違いは、私には身の上話はあっても、潰すような身上(しんじょう)がないことに気がついたので止めた。

 ともあれ、これを書いている午後2時、サンデッキを見るとサラサラサラと、止むことなく粉雪が降っている。現在の積雪は10cm。どこに出かけることもなく、何を考えるでもなく、ただ雪を見て日がな1日過ごしている。