写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

男の存在感(普遍)

2016年07月31日 | 生活・ニュース

 最近は家庭の中で、男の存在感がなくなったという指摘をよく聞くようになった。私が子供のころの父は一家の主として、家族の皆から一目置かれる存在であったと記憶している。給料日には、おかずが一品多く、食後には母が昼間買ってきた父が好きな生菓子が出されることもあった。

 午後から思いがけずに雨が降って来た日には、父の退社時間に間に合うように歩いて1時間もかかる会社の正門まで、雨傘を持って行かされたりもした。色々な場面で、母は父を大切にしていることを態度で示し続けていた。

 世代が変わって我らの時代となった。明治生まれの父母のころとは変わって、新しい教育制度のもとで学び躾けられて育った。男女同権、男女平等はことのほか強調された。そして近代では、男女間の格差是正、男女雇用機会均等、男女共同参画など、男女を性差だけで差別することが厳しく糾弾されるようになった。

 結果としては、男社会への女性の積極的な侵入、女社会への男の侵入と、男女入り乱れての世の中となっている。自衛官や警察官、ダンプの運転手にまで女性がなったり、看護婦さんだと思っていたのに男の看護師さんが出てきたり、夜のクラブではオネエが頑張っていたりで、職業でも男女の差はなくなりつつある。

 そんな影響もあって、家庭内でも徐々に男女の共同参画の考え方が浸透し始め、男は出産こそできないまでも、出来た子どもの育メン休暇、家事の分担、外出時の子供のだっこなど、男だからといっての存在感は希薄になっている。

 これが当たり前だとは頭では理解できるが、私の世代の男は、男女平等が唱え始められた端境期の人間であり、気持ちではそう思っているが身体が素直に動かない。「飯、風呂、寝る」の3語だけで威張っている訳ではないが、どちらかというとそんな気配。

 そう思っていた時、面白い川柳を読んだ。「娘来て 誰もいないの? オレいるよ」 「孫が言う じいちゃんがいる ばあちゃんち」。どうやら子や孫から見るじいちゃんは、とっくの昔に存在感は希薄になっている。そうだ、奥さんあっての私。これからは心を入れ替えて奥さんに尽くすことで、男としての存在感を強める努力をしよう。


あっぱれカープ(意見)

2016年07月30日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 昨夜(29日)、我らがカープがDeNAを相手に戦った姿は、あっぱれというほかない試合内容であった。

 今やエース格ともいえる今季12勝2敗で快調の野村が先発したが、序盤から打たれ、わずか4回で降板した。その後出てくるピッチャーはDeNAの勢いを止めるどころか、いずれも火に油を注ぐがごとく打ちこまれ、まさに火ダルマ状態。

 9回までに打たれたヒットは24本、ホームランが5本、四球が5個で、毎回平均して4人が出塁したという無様な試合内容であったことを、今朝の新聞で知った。昨夕は、楽しみにしてテレビ観戦をしていたが、4回の表が終わり8対2となったところでテレビを消したからである。

 こんな試合を見たという記憶は近年ない。カープの各ピッチャーがファイティングポーズをとることなく棒立ちになって、まさにサンドバッグ状態で打ちのめされた試合であった。これを見てプロと言うものの恐ろしさを痛感した。

 プロの勝負というものは、紙一重の力の差で勝負をしているから、どちらが勝つか分からないという面白さがあるものだろう。それが、大人と子供ほどの大きな力の差があれば、試合にはならない。この試合は、そんなことを思わせるほどの力の差を感じさせた。

 先発ピッチャーが崩れた時、出てくる中次がその役割を果たさなければ、試合にならない。それが、出てくる中次が軒並み打たれらのでは、中崩れとしかいえない状態であった。カープは、予想外の好調さでここまで来たが、それは何とか先発が試合を作ってきたからであった。

 肝心の先発が崩れた時、それを補う中次陣が、短い1イニングをしっかりと守りきれるようにならなければ、25年ぶりの優勝に分厚い暗雲が垂れ込めてきそうである。「こんなこともあるさ」との声も聞こえてきそうだが、これほどの試合は見るに忍びない。「満塁でも筒香は歩かせろ」が私の指示である。

 かつては「判官贔屓」だったカープが、強くなった今「贔屓の引き倒し」状態のブログとなったが、これもカープ愛の一つ。それにしても強い相手投手のDeNAの石田や巨人の田口が広島出身だとはおかしな因縁ではある。


機械式腕時計(普遍)

2016年07月27日 | 生活・ニュース

 高校へ入学した時に初めて腕時計を買ってもらった。以来、買い替えながらも腕時計を手放すことなく今日まで過ごしてきた。腕時計の構造といえば、当初はリューズを手で回す機械式のものであったが、昭和45年には電池で動くクオーツ式に大変革して精度は格段に上がり、時計は精密機械から簡単な電子機器へと変わり、価格も大幅に下がっていった。

 そんなクオーツ時計は更に進化して、今では電波時計が出現し、精度は10万年に1秒までになり、駆動源も電池ではなくソーラで発電する構造となり、全く何の手間をかけることなく四六時中精度よく動く腕時計となっている。 

 5、6年前だったろうか、ソーラ式の電波時計を買った。もちろん電池もいらないし時報に合わせての時刻の修正も不要である。「なんと便利になったものか」と、技術の進歩にただ感心しながら使っていたが、何か一つ物足りない気がし始めた。

 ペットでも車でも菜園でも、適当に世話をやくことがあるから愛情や愛着が湧く。ところが何ひとつ世話をしなくても止まることもなく、狂うこともなく時を刻む時計は、実用的ではあるが、愛着心は湧いてこない。

 もう少し、人間味のある時計が欲しくなってきた。1年前、「スケルトン機械式自動巻き腕時計」というものを買ってみた。日常の腕の動きだけでネジは自動的にまかれるが、置いておくと2日くらい後には止まってしまう。リューズが付いているので手で巻くことはもちろんできる。

 人間の動きで機械的にネジがまかれるところと、スケルトンといって、外部から時計の往復する駆動部があたかも人間の心臓の鼓動を覗き見るように透けて見えるところ、時々時刻合わせをしてやらなければいけないところなど「今日も頑張っているな」と思わず声をかけたくなる人間臭いところが気に入っている。

 自動車でも家電でも、世は全て電子化やAI化していき、人間が介在しなくてもよい方向に進んでいるが、腕時計のひとつくらいは頑固に、精度を気にせず昔ながらの機械式にこだわって生きている。

 


本質的対策(意見)

2016年07月26日 | 生活・ニュース

 買い変えたばかりの新しい自転車に乗って、夕方買い物に出かけた。店を出ると、すでに陽は落ちてはいるが、まだ明るさが残る「薄暮」の状況であった。自転車に乗ると、前輪の車軸に組み込んだ発電機が回り、LEDの明るいライトが自動的に点灯した

 毎年のことであるが、交通安全週間になると決まって「ライトは早めに点灯しましょう」とか「トンネル内では点灯しましょう」など、事故が多発する薄暮やトンネル内での車両の点灯を促す呼びかけが繰り返し行われている。

 夜間走行時にライトを点灯させるのは暗くて前方が見えないからであるが、それ以上に対向車や歩行者からの視認性を高めて事故を防止するという重要なものである。特に薄暮時、運転者からはまだ見えるから大丈夫と思うかもしれないが、相手の安全性をを考えていないことになる。

 購入した自転車のように、乗り手の意思にかかわらず暗くなれば自動的に点灯する機能を備えた自転車は、少し割高のようであるが、事故の未然防止という観点からは本質的な対策を取った大変いいものだといえる。 

 今年に入って、国土交通省は自動車メーカー各社に対し、一定の暗さになれば車のヘッドライトが自動で点灯する機能「オートライト」の装備を義務づける方針を固めたという。運転者の判断に任されている点灯の遅れを防ぎ、事故の減少につなげるためであるが、装備で対応させるという本質的な対策となることは歓迎される。

 この「オートライト」と呼ばれている装備は、欧州連合(EU)では2011年から新型車に取り付けることが義務化されている。日本でも、交通安全週間で「早めの点灯」の呼びかけを繰り返すのではなく、車のみならず自転車にも初めから装備する方向へ転換し、事故の低減を図ってほしいものである。

 


後ろ姿(紹介)

2016年07月25日 | 生活・ニュース

 今日(7月25日)の毎日新聞のコラム「余録」に、男として大変興味あることが書いてあった。要約してみた。

 「『俺たちはバカなのかもしれない』という雑誌の記事に、2010年3月に行った世論調査で『次の首相にふさわしい人』の順位が載っていた。3位は菅直人(7.4%)、2位が鳩山由紀夫(8.3%)、1位は舛添要一(23.7%)。いずれもりーダーとなったが評価は芳しくなかった。31日の東京都知事選には、今度こそふさわしい人をと思う」

 「そんな時、哲学者・鷲田清一さんの著書『しんがりの思想』を読んだ。右肩上がりの時代ではない今は、先頭に立って道を切り開いていくよりも最後尾で社会全体へ目配りする役割が重要ではないか。登山に例えれば、みんなの安否を確認しつつ最後を歩く『しんがり』だ」

 「リーダーに必要な条件の一つに『後ろ姿』がある。思い浮かべたのは任侠映画の高倉健。多くは語らぬが、後ろ姿で人を引きつける。この人は何を思い、行動しようとしているのか。周囲の人は健さん任せではなく自分でも考えるようになる。組織は一人一人が
指示を待つのではなく、自ら能力を発揮する時に活力にあふれる」

 これを読んで、「なるほど今年の広島カープが強いはずだ」と納得がいった。まずは黒田、
新井という2人のベテランが、自分の息子世代ともいえる若い者に対して、とやかく言うのではなく、後ろ姿で引っ張っているという。

 緒方監督も、選手の起用面では厳しい采配を振るっているようだが、試合で出した結果に対しては思いやりのある発言が多い。このような環境はまさに「後ろ姿」であり「しんがり」の現実版であろう。若鯉の1人1人は、自ら考えながら能力を発揮して、残り試合を突っ走ってくれるに違いない。